指先に込める僅かな勇気

 土曜日の昼。


 俺は新宿駅前のカフェでコーヒーを啜っていた。エアコンが汗ばんだ身体を急速に冷やしていく。


「…………」


 向かいの席には俯いた鳥沢とりさわさんが座っている。

 白いフリルのワンピースが夏を感じさせる。清楚なイメージの鳥沢さんによく似合っていた。

 綺麗な黒髪のショートボブは雪のように白い肌とコントラストを演出していて、童話のお姫様のような印象を受ける。


 鳥沢さんはちらちらと眼鏡越しにこちらを盗み見てくるが、俺と目が合うとすぐ逃げるようにテーブルに視線を落としてしまう。


 そう、俺は今大人気バーチャル配信者とカフェに来ていた。


 どうしてこんな事になっているのか。

 発端は鳥沢さんから来た一通のメッセージだ。


『人見知りを克服する練習相手になってくれませんか?』


 どうして俺が……とも思ったが、あんなルインを送った手前断ることも出来ず、俺はこうして休日返上で苦い豆をすり潰した汁を啜っている。


「…………鳥沢さん」


 このままだと鳥沢さんは日が暮れるまで俺とテーブル間で視線のシャトルランをし続けそうなので、俺から水を向けてみる。


「…………は、はい……」


 ちらちら。

 なんだか小動物みたいだ。大人気バーチャル配信者だってこと忘れそうになる。


「鳥沢さんってさ、そもそもどうして人前が苦手なの?」


「どうして……とは……」


「こんな事聞いてもいいか分からないけど、何か原因があるのかなーって。それとも物心ついた時から?」


「えっと……多分気付いた時には……」


 過去にトラウマとか原因がある訳じゃないんだな。

 なら、慣れれば話せるようになるんじゃないか。


 兎にも角にも、まずは目を合わせられるようになる所からだろう。


 なにせさっきから他の客にちらちら見られている。鳥沢さんが俯きっぱなしだから、多分俺が鳥沢さんを虐めているように映ってるんだろうな……。

 可愛い女の子を泣かせているモブっぽい男。どういう事情だと気にもなるわ。


「まずさ、俺と目を合わせてみようよ。さっきから見ようとしてくれてるのは伝わってきてるけど。話す前に、まずそこからだと思う」


「岡さんと……目を……」


「うん。それが出来るようになればきっとすぐ話せるようになると思うんだ」


 俺はコーヒーで口を潤すと鳥沢さんの反応を待った。多分、あまり急かさない方が良いだろう。

 相手のペースに合わせてあげる。これは誰かにものを教えるときの鉄則だ。


「…………!」


 鳥沢さんは小さく深呼吸すると、意を決した様に俺に顔を向けた。


 パッチリとした大きな瞳が、羞恥に歪みながら眼鏡越しに俺を捉える。顔を強ばらせて、プルプルと震えながら、必死に俺を睨みつけている鳥沢さんは失礼かもしれないが何だか可愛かった。


 五秒ほど頑張っていた鳥沢さんだったが、耐えきれず気の抜けた風船のように脱力してしまった。


「…………恥ずかしいです……」


 鈴が鳴るようなか細い声で鳥沢さんは呟いた。湯気が出るんじゃないかと心配になるほど頬を紅潮させている。目の端には涙が浮かんでいた。


 ……思ったより重症だな、これは。


 俺は割とコミュニケーションでは緊張しない方だ。この前のように大人気バーチャル配信者が来る、とかであれば流石に緊張するが、今日は全く緊張していない。会うのが二回目なのもあるし、鳥沢さんは若い女の子だからリラックスして話せるというのもある。正直、人前が恥ずかしいという鳥沢さんの気持ちは分からなかった。


 ……うーん、俺が相手だから緊張するというのもあるかもしれないな。

 鳥沢さんからすれば俺はよく知らない年上(多分)の異性。余計ハードルが高いだろう。


「鳥沢さんって女の子相手なら普通に話せたりする?」


 俺の問いかけに、鳥沢さんはうーんと考え込むようにする。


「そう、ですね……男性の方よりは、まだ……」


「やっぱりそうだよなあ。俺相手だと余計緊張しちゃうよな。練習相手としてあんまり相応しくないのかも」


 同性とか、同い年の男とか、そういう所から始めたほうがいいんじゃないか。


 俺がそう告げようとすると、鳥沢さんが途切れ途切れに、それでもはっきりとした口調で言葉を紡ぐ。


「えっと……岡さんがいい……です……ごめんなさい……我儘を言って」


 本当に俺でいいんだろうか。

 まあ鳥沢さんがそういうなら俺はいくらでも付き合うけども。


「うーん、鳥沢さんがいいなら俺はいいけど。そういう頑張ろうって姿勢は俺は好きだしね。じゃあもう少し練習してみよっか」


 とりあえず十秒目を合わせられるようになれば上出来かなあ。





 結局、鳥沢さんの記録が伸びることはなかった。

 というか、やればやるほど俺と目を合わせられる時間は短くなっていった。その分頬を赤く染めて俯いている時間が増えた。


 ……一体なんなんだろうか。


 まあそう簡単に治るわけもない。鳥沢さんのペースでやっていけばいいだろう。力になれなくて少し心苦しいが。


 夕方から配信があると言うので、さっと会計を済ませ俺たちはカフェを後にした。結局コーヒー一杯で一時間くらい滞在してしまった。店に迷惑を掛けてなければいいが。


 外に出ると、耐え難い暑さが俺たちに襲いかかる。長居は無用だ。さっさとエアコンの効いた我が城に帰ろう。


「今日は力になれなくてごめんね。じゃあ気をつけて」


 軽く手を振り俺は歩き出した。


 が、僅かに引っ張られるような感覚に立ち止まる。


 ────鳥沢さんが、シャツの裾をつまんでいた。


「……えっと……どうしたのかな?」


 鳥沢さんは相変わらず頬を赤く染めている。つまんだ手が、僅かに震えていた。


「あ、あの…………また付き合って……貰えますか……?」


 囁くようなその提案に、俺は頷いた。


「俺でよければ勿論。鳥沢さんが人見知りを克服できるように俺も色々考えてみるよ」


 頑張っている人は応援してあげたい。配信者だからとか、そういうのは関係なしに。


「…………! ありがとう、ございます……」


 蕾のような柔らかな笑顔に見送られ、俺は今度こそ歩き出した。





 夕方、俺はバレッタの配信を眺めていた。


 第二回MMVCに向けて練習ということでエムエムの配信だった。


『雑魚が! アタシの前から消えな!』


 画面の向こうではバレッタが果敢に突撃し、バッタバッタと敵を倒していく。

 冷静なこおりちゃんと違い攻撃的なプレイスタイルだが、めちゃくちゃに強い。観ていて爽快感もある。プレイを観ていて気持ちがいい、というのは間違いなく人気の一因だろう。


 それにしても、バレッタの中の人があんなに人見知りだとは。

 バーチャル上のキャラクターは全くアテにならないんだなあと俺はしみじみ思った。


 ……こおりちゃんも、リアルでは逆に荒々しい性格だったりするんだろうか。丁度鳥沢さんの反対みたいに。


「うーん……想像出来ないな」


 この前のオフコラボを観るに、きっとリアルでも優しくて礼儀正しい女の子だろう。


 ……なまじバーチャル配信者とリアルで知り合ってしまったせいで、こおりちゃんの中の人を意識するようになってしまった。


「いかんな、これは……」


 バーチャル配信者の中の人なんて、基本考えるだけ無駄なのだ。

 俺たち視聴者はただ目に映る姿を受け入れるだけでいい。


 それが正しいファンの姿だろう。


 …………だけど、それでも。


 一度気になりだすと止まらないのが人間ってものだ。


 俺はルインを開くと、ある名前を表示させる。


 栗坂くりざか真美まみ


 大人気バーチャル配信者・魔魅夢まみむメモの中の人。


 魔魅夢メモは、こおりちゃんが唯一オフコラボをした相手。


 つまり────栗坂さんはこおりちゃんの中の人を知っている。


「…………いやいや、流石にダメだそれは」


 そもそも、教えてくれないだろう。バーチャル配信者はその辺きっちりしているはずだ。


 あーーー、もう!

 何だか嫌な感じだ。


 俺は純粋な気持ちでこおりちゃんの配信を楽しめるだろうか。


 どうしても心の端で気になってしまう、そんな自分が恥ずかしかった。

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