それぞれの夜
扉が閉まる金属的な音が、静まり返った部屋に響く。
「ただいま」もなければ「おかえり」もない。
ここは孤独都市・東京。
誰もが孤独を胸に毎日を生きている。
この生活にももう慣れてしまった。
いつからだろう、家でひとり食べるご飯が美味しく感じられるようになったのは。
でも、そんな俺にも最近友達が出来た。
怪我をしているところを偶然通りかかって、それからというものこんな俺に懐いてくれているとてもいい子だ。
プライベートといえばこおりちゃんの配信を見るだけだった俺の生活に、最近は菜々実ちゃんが潤いを与えてくれている。別にこおりちゃんの配信を観ることが潤ってないとかそういう訳じゃないが、まあ一般的な話で。
そして今、スマートフォンが俺の日常を揺るがす新たな存在を検知していた。
それは『
ルームをタッチしてメッセージを表示する。
『岡さん、こんばんは。突然メッセージを送ってびっくりさせてしまったらごめんなさい。私、今日全然話せなかったからそれを謝りたくて……。配信ではちゃんと話せるんですけど、人前がどうしても苦手で……本当にごめんなさい』
「……ぉう」
重そうな内容に思わず声が漏れる。
鳥沢さんはチャンネル登録者数百十万人の大人気バーチャル配信者『バレッタ・ロックハート』の中の人だ。
何故か、本当に何故か、俺は仕事で知り合ったバーチャル配信者三人と連絡先を交換することになった。
そしてさらに何故か、こうして直接メッセージなぞを受信している。
何故か何故か何故か。何故かのオンパレードだ。
……一週間前の俺に『お前、来週バーチャリアルの配信者と個人的に知り合ってるよ』と伝えたらどういう反応をするだろうか?
妄想乙。
何か変なものでも食ったのか?
いくらでも言葉が浮かんでくる。
でもどうやら、これは現実のようだった。
現に頬を抓っても、ちゃんと痛い。
現実ってことは、ちゃんと向き合わないといけないという事だ。
俺は改めてスマホに視線を落とした。
鳥沢さんは今日の打ち合わせで上手く話せなかったことを気にしているようだった。
確かに三人の中では引っ込み思案な印象を受けたけど、別に気にするほどでもなかったけどな。現に言われるまで全く気にしてなかった。それに俺と話していたのは主にマネージャーの平田さんだったし。
……うーん、どう返信したもんかな。
当たり前だが有名人と直接メッセージをやり取りした経験なんてない。色々打ち込んでみるが、どうもしっくり来なかった。
ビジネス対応で無難に返してもいいんだが、勇気を出してメッセージを送ってくれた鳥沢さんにその対応をしたら悲しませてしまうかもしれないよな。
そのまま十分ほどルインと格闘してみたが、結局何を書いたらいいか全く決まらなかった。
考えても答えは出ない気がする。何故ってこんな経験初めてだから。
────もう思ったことそのまま送ればいいか。俺の好きな言葉に『十分悩んで答えが出なければそこで打ち切れ』というものがある。ビジネス系の偉い人の名言だった気がする。もう十分悩んだ。
ポチポチとフリック入力でメッセージを形成していく。さっきまでとは打って変わって自分でも驚くくらいスムーズに文章が完成した。
「こんばんは。わざわざメッセージを送って下さってありがとうございます。鳥沢さんが気にしている件、私は全く気になりませんでしたよ。頑張って話してくれているのは伝わってきましたから。そしてそれを気にして頑張っている鳥沢さんは立派だと思います。きっと人前でも上手く話せるようになりますよ」
こんなもんか。とりあえず思っていることは書けた気がする。大人気バーチャル配信者に俺如きが何を言ってるんだと思うかもしれないが、思ったものは仕方がない。
俺はメッセージを送信すると、汗だくのワイシャツを脱いで洗濯カゴに放り投げた。
早くこおりちゃんの声を聞いて癒されたい。今日は色んなことがありすぎて疲れ果てた。この疲れを癒してくれるのは、やっぱりこおりちゃんしかいないんだ。
◆
『ななみん、ちょっといい?』
午後十一時。
配信を終えベッドでまったりしていたところ、真美さんからルインがきた。
どうしたんですかと返信すると、真美さんはとんでもないことを言い出した。
『仕事で岡千早さんに会ったよ』
「ええっ!?」
思わず叫んでしまった。
……仕事で、ってことはつまりメモちゃんとしてってことだよね?
千早さんってなんの仕事をしてるんだろ。サラリーマンって言ってたけど。
『ななみんの好きな人だって気付いたから、とりあえず連絡先交換しといた! ななみんの恋が上手くいくようにサポートするから任せといて!』
連絡先を交換……?
千早さんと真美さんが?
私は嫌な汗が吹き出すのを感じた。
真美さんの事だから心から私の恋を応援してくれているんだろうけど、なんたって真美さんはめちゃくちゃ綺麗なのだ。初めて会った時はモデルさんかと思ったくらい。
……千早さんが真美さんに惚れちゃったらどうしよう。
その日、私は不安で眠れなかった。
◆
『こんばんは。わざわざメッセージを送って下さってありがとうございます。鳥沢さんが気にしている件、私は全く気になりませんでしたよ。頑張って話してくれているのは伝わってきましたから。そしてそれを気にして頑張っている鳥沢さんは立派だと思います。きっと人前でも上手く話せるようになりますよ』
岡さんから送られてきたメッセージを、私は何度も、何度も、読み返していた。
バレッタ・ロックハートは過激なキャラクターだ。
ゲーム中に口汚く相手を罵ることもあるし、叫び声など日常茶飯事。
それでも「そういうキャラクターだから」と許されている。他では味わえないトラッシュトークが観たくて私の配信に来てくれるファンも多い。
内気な私は、配信でならバレッタを演じることが出来た。
ネットの世界でなら、私は大空に羽ばたけた。
でも、現実の私は何も変わってない。
内気で、根暗な、元引きこもり。
……ファンの皆は、まさかバレッタの中身がこんなだとは思ってないだろうな。
バレッタが人気になればなるほど、私の中の孤独は強くなっていった。
誰も本当の私を見てくれてなどいないんだ。今更素を出せるはずもない。
もう一度、祈るような気持ちでメッセージに視線を落とす。
────そこには、私がずっと欲しかった言葉が並んでいた。
岡さんは、本当の私を見てくれた。こんな私を立派だと言ってくれた。
ドクン、と強く胸が跳ねた。
「あ、れ……私、どうしちゃったんだろ……」
熱に浮かされるように、私はメッセージを送信していた。
◆
「…………うーん……ゼッタイ怪しい」
姫が自分から連絡先を交換するなんて。
姫はああ見えてガードが固いのだ。コラボは沢山するけど、キッチリ線を引いている。ボクだってルインを交換したのは三回目に会った時だった。
──それが、仕事で初めて会った男と連絡先を交換?
実は初対面じゃなかったみたいだけど、深い繋がりにも見えなかった。
益々怪しい。
ルインを開き、昼登録したばかりの彼を表示させる。
岡千早。
初対面の印象は、はっきり言って、どこにでもいる男の人という感じだった。
姫が惚れていると言われれば、「いやいやそれはないでしょ」と突っ込みたくなるレベル。
だからこそ、何かあるに違いない。
ぬぬぬと頭を悩ませていると、頭の中に一つの考えが浮かんだ。
「…………にひひ」
ボクはありす。
楽しいことが、大好きなのだ。
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