第3話 鷹ノ巣の六つの円

 今度の問題は『鷹ノ巣の六つの円の目になる所』だった。

 『鷹ノ巣』は場所を示しているように思える。観光案内所でもらった案内絵図を取り出して、『鷹ノ巣』という施設や地名がないか調べてみた。杉之浦や有之浦はあるが、鷹ノ巣や鷹之巣はない。

 でも、案内絵図を見ていてこれが島の一部だけを示していることに気が付いた。絵図の外のエリアにあるのかもしれない。宮島桟橋の観光案内所に戻って、島の地理について訊いてみることにした。


 観光案内所にたどり着き、窓口の案内役の女性に尋ねた。

「すみません、宮島に鷹ノ巣という場所はありますか?」

「たかのすですか。鷹巣浦たかのすうらとゆう砂浜があって、その後ろの山が鷹巣たかのす山ですよ。その近くには鷹巣浦神社もありますよ」

「あるんですね。場所を教えてもらえますか?」

「はい。地図がありますからお渡ししますね」

 女性は後ろの戸棚から一枚の地図を取り出して渡してくれた。宮島全体の地図で、外周のあちこちに鳥居のマークと神社の名前が書いてある。

「安芸の宮島廻れば七里、浦は七浦、七恵比寿ってゆうて、島の周りに七つの神社があります。神社ゆうても、石垣と鳥居、お社だけの小さなものですけどね。三月と九月にこの七神社を巡る神事があるんです。鷹巣浦神社はその二番目で、島の東側にある神社ですよ」

 もらった地図をよると、鷹巣浦神社は島の北側の山をはさんでここの反対側になる。

「鷹巣浦神社に行くにはどうやって……じゃなくて交通手段はありますか?」

 島の人への質問が制限されているのが面倒くさい。

「ここからだと七、八キロはあるかしら。島を半周する道路をずっと行けばいいんですけど、バスは途中の包ヶ浦までしか行かないんです。山の中の道もあるから、タクシーで行くんがお勧めです。外にタクシー乗り場がありますよ。まあ、さっき来たお客さんはシーカヤックで行くってゆってましたけど」

「船でも行けるんですか?」

「ええ、神事の神社巡りは船で行くぐらいですから」

「そうですか。ありがとうございました。何とか行ってみます」


 瑞稀は移動に船を使うことができると言っていた。教えてもらった電話番号に電話してみる。数回の呼び出し音の後、

「はい」

 応えたのは若い女性の声だった。

「すみません、結城と申します。瑞稀…さんから、ここに電話すれば船を使わせてもらえると聞いたのですけど」

「結城さん、よおちゃったね。船はすぐ出すけぇ、今どこにおられるんかね?」

「宮島桟橋の観光案内所です」

「じゃったら外に出てもろぉて、一番東側の桟橋で待っといてもらえるかね。五分ぐらいで行くけぇ」

「お願いします」


 人力車のおじさんを彷彿させる広島弁だが女性の方が少し柔らかい感じがした。

 ビルの外に出て、岸壁に並んだ桟橋のうち一番東のものに向かう。コンクリートでできた幅三メートルほどの桟橋だった。その中ほどに立って待つ。


 ほどなく島の東側から一艘の小型船がやって来た。ほっそりとした船体で長さは七メートルほど。船室は無く、船尾近くに風よけの付いた操舵席が有り、女性がそこに立って操船していた。小型船は桟橋に近づいて来る。操舵席の女性はサンバイザーをかぶり、ピンクの七分袖のカットソーに半袖のデニムのジャケット、オレンジのライフジャケットに青いジーンズという服装だった。ゴムタイヤが括りつけられた桟橋に小型船が着岸した。

「お待たせ。結城さんじゃね」

 話しかけてきた女性は二十代半ばくらい、目のあたりが瑞稀に似ていた。

「初めまして、瑞稀の姉の紗耶香です。よろしく」

 紗耶香さんはロープを投げてきた。

「ロープをそこの輪っかに通して、こっちに投げ返して。ええ、それでええけぇ」

 紗耶香さんはロープを引き絞って先端を船首側の船べりに結んだ。根元は船尾側に固定されている。そして、船と桟橋に渡り板を渡した。

「気を付けて乗りんさい」

 板を渡って小型船に乗る。五十センチほどの高さの船べりの内側は平らな床になっていた。

「出港します。あぶないけぇ、座ってください」

 渡されたライフジャケットを着て、座席は無いので床の上に座る。紗耶香さんは渡り板を片付け、船を固定していたロープをほどいて回収した。エンジンをかけて後退しながら向きを変え、舳先が海をむいたところで出力を上げる。船は勢いよく進み始めた。

「それで目的地はどこかねぇ?」

「鷹巣浦と鷹巣浦神社へ行こうと思います」

「了解、たちまちは鷹巣浦に向かうけぇ」

紗耶香さんの笑顔は目的地が間違っていないことを感じさせた。


 港を出た船は島の海岸沿いに東に向かった。すぐに家々の姿はなくなり、海岸のすぐそばまで木々が生い茂る景色に変わる。突き出た岬の先を回ると、海上に上部に松の生えた岩と台座の上に立つ石燈籠が見えた。


「あれが蓬莱岩よ。このあたりは春には蜃気楼が見えるんよ」

 紗耶香さんが舵輪を操りながら教えてくれた。

「本当なら瑞稀と二人で宮島を観光する予定じゃったんよね。邪魔をしてしもおて悪かったけど、その分、歓迎会を盛大に行うけぇ、許してもらえんかねぇ」

「かまいませんけど、問題はまだ続くんですか?」

「うん、もうちょっとだけ続くんよ。楽しんでもらえたらうれしいんじゃけど」

「はあ」


 船は風を切って進む。頬に当たる潮の香の風が心地よかった。島の周りを回って行くと、同じくらいの大きさの船がたくさんいた。海上に停まって釣り糸を下ろしている釣り船や、すれ違っていくプレジャーボートなどだ。家族連れが乗ったプレジャーボートがすぐ横を通過する際、キャビンにいた子供がこちらに手を振り、紗耶香さんが手を振り返していた。


 右前方に小さな湾が現れた。砂浜の向こうにいくつもの建物が見える。

「ここは包ヶ浦、海水浴場があるんよ」

 確か人力車のおじさんが毛利元就の話の中で包ヶ浦から上陸したと言っていた。ここがそうなのか。

 砂浜の先は岬になっており、その境目の所の海上に鏡餅のような形の大きな岩が有った。その上に石垣が積まれ、赤い鳥居と小さなお社があった。

「あれが包ヶ浦神社、このあたりが島の東端じゃね」

 船は森と崖が続く海岸沿いにさらに進んだ。左側に太い竹を組んだ巨大な筏が現れる。

「あれはカキ筏よ。……ほら、」

 紗耶香さんは沖合を指さした。はるか遠くに、海上にわずかに覗く黒い船体と縦長の黒い四角の突起が見える。

「ちょうど潜水艦が通りよる。呉から出てくるときはあそこを通るんよ」

 自衛隊の呉基地からと言うことなのだろう。


 前方にまた砂浜が現れて来た。大きな岩のようなものが転がっている。紗耶香さんが船の速度を落とした。

「ここが鷹巣浦よ。あら……、ちょっと進路を変えるけぇ」

 船は少し左に進路を変えた。前を見ると、少し先にシーカヤックが停まっている。船の立てる波がシーカヤックを転覆させないようにとの配慮だろう。

 船はシーカヤックより少し沖側の地点で停まった。

「砂浜が鷹巣浦で、その後ろの山が鷹巣山なんよ」

 砂浜には円形の岩のようなものが四つ転がっていた。バームクーヘンのような円筒形のものが二つ、ホットケーキのような三段の円形のものが二つ、どちらも風化して丸っこい形をしている。その横には灰色のものが積み上げられて山になっていた。

「積んであるんはカキ殻よ。雨風にさらしてチョークとかの材料にするんよ」


 砂浜の背後は小高い山になっていた。木々が生い茂って建造物は見えないが、

砂浜の少し上の、森に変わる部分に電柱が並んでいるのが見えた。あのあたりに道路があるのだろう。

シーカヤックの人が視野に入った。シーカヤックは舳先を鷹巣浦に向けている。こちらから見える後ろ姿は大柄な男性のもので、緑と茶色の小さな四角形が連なった迷彩柄の上着に、同柄のリュックを背負い、同柄のヘルメットを着けていた。小さな四角いものを両手で持って、顔の前に掲げている。写真を撮っているみたいだ。腕の角度から見て、被写体は鷹巣山のようだ。


「こんにちはー」

 紗耶香さんが声をかけると、男性はこちらに振り向いた。ゴーグル型のサングラスをしていて、表情はよくわからない。男性はぺこりと頭を下げると、カメラを胸ポケットに納め、パドルを操り砂浜に向かって漕ぎ進んで行った。

「あの人も鷹巣浦に行くようじゃね。それで、どおするかねえ。鷹巣浦と鷹巣浦神社、どちらに行こおかねえ?」


 鷹巣浦に行くと正体不明のシーカヤックの人と顔を合わせることになりそうだ。それが謎解きにプラスになるかマイナスになるか、少し考えて今は避けることにした。

「鷹巣浦神社でお願いします」

「じゃあ鷹巣浦神社に向かうわよ、少おし離れとるけぇね」

 船は海上をさらに進んだ。砂浜は崖に変わり、その先でまた砂浜になった。

「ほら、あそこじゃけぇ」

 砂浜の奥に石垣が四角く積まれ、そこに赤い鳥居と柵に囲まれた小さなお社が見えた。


 紗耶香さんは砂浜の端の岩場に船を寄せた。先端にフックの付いたポールを岩の隙間に差し込み、船を安定させる。

「到着よ」

「ここも鷹巣浦なのですか?」

「ここは入浜になるんよ。鷹巣浦じゃあないわね」

 なぜ、鷹巣浦神社が鷹巣浦でなく入浜にあるのか。それが謎解きのカギなのかもしれない。

「神社を調べてすぐに戻ってきます。待っていてください」

「了解よ」


 岩場に渡り、砂浜を進んで神社に近づいた。鳥居は海に向かって建てられ、神社の正面も海の方向を向いている。高さ一メートルほどの石垣の海側に石段が作られていた。石段を登り、お辞儀をしてから鳥居をくぐる。赤い柵で囲まれたお社は高床式で、正面に御幣が掛けられていた。一礼をして拝んでから、辺りを見回した。六つの円どころか円に該当しそうなものは何も無かった。スライムみたいな球体もない。

 鳥居から出て砂浜に降り、石垣の周囲を歩いて円を探したが何もなかった。念のため、三周回ったが何も見つけられなかった。どうやらここではないようだ。


 船に戻って、紗耶香さんに鷹巣浦に向かうようお願いした。鷹巣浦へ戻る途中、紗耶香さんは口をつぐんで操船していた。何かしゃべると手掛かりになるということかもしれない。ただ、目は笑っているように見えた。


 鷹巣浦でも、砂浜の端の岩場に船を着けた。

「着いたわよ。悪いけどうちは一度、港に戻るけぇ、船が要るよおになったらまた呼んでね」

「は、はい」

 謎解き部分は一人で取り組めと言うことなのだろう。


 砂浜を歩いて円形の岩の方に向かう。途中の砂浜にシーカヤックが陸揚げしてあった。さっきの男性がまだここに居ると言うことだ。

 さらに進んで四つの岩にたどり着く。その裏側にさっきの男性の姿があった。迷彩柄の長袖の上着と同柄のカーゴパンツに、カラビナやベルクロがいっぱい付いたベストを着ている。履いているのは足首までを覆う登山靴。ヘルメットの横にはマウントのようなものが付いていた。こちらに背を向けて、岩の写真を撮っている。

 どうやらこの人と話をしないと謎解きは進められないと覚悟を決めた。


「こんにちは」

 声をかけると男性はゆっくりと振り向いた。ゴーグルのようなサングラスで表情がわかりにくい。

「こんちは」

 意外に若い声だ。値踏みをするように俺を上から下までじろじろと見つめる。そして、

「もしかして、あなたもここを訪ねて来られたのですか?」

「ええ、ちょっと調べないといけないことがあって」


 俺の答えに、男性の態度ががらりと変わった。

「うれしいな、僕の大好きなものたちに興味を持ってくれる人がいるなんて」

「ものたちですか?」

「ええ、戦争遺跡ですよ。明治から昭和にかけての戦争に関連する建物跡や残された設備を回っています」

「あの、自衛隊の方ですか?」

「違いますよ」

 男性は笑いながらサングラスを取った。幼さが残る顔が現れる。

「高校生です。遠山と言います。戦争遺跡巡りは趣味で行っています」

 遠山君は両手を広げた。

「この格好をしていると時々誤解されちゃうんですけど、これは機能性を追求した軍用品へのリスペクトです。高機能のものはありがたく使わせてもらうと言うところです」

「なるほど」

 納得はいかないけど、そういう愛好家もいるのだろう。


「俺は結城、東京の大学に通っているんだ。こちらの友達に鷹巣浦に行くよう勧められてここに来たんだよ」

 これは嘘にはならないだろうと思う。

「なるほど」

 遠山君は嬉しそうだ。


「ここは鷹巣低砲台跡です。鷹巣浦砲台は広島に通じる厳島海峡の防衛のために明治時代に作られました。侵入してくる艦船を榴弾砲や速射砲で攻撃しようと言うものです。実際にはここまで入って来る艦船は無くて、大正の終わり頃に砲台は廃止されたんですけどね。今では建造物の一部が遺跡として残っているだけです」

「じゃあ、この大きなものは……」

「ええ、九センチ速射砲の台座だと思います」

 改めて円形のものを眺める。よく見ると岩ではなくてコンクリートのようだ。だが風化が著しい。


「ここまで来られたのなら、ぜひ高砲台跡も見ていっていただきたいです。あちらは榴弾砲の砲座跡や関連施設の遺構がきれいに残っているそうです。僕もこれから行くところなんです」

「高砲台跡というのもあるのですか?」

「ええ、後ろの山の山頂近くです」

 手がかりはそちらにありそうだ。

「ぜひ同行させてください」

「よろこんで」


 遠山君と共に鷹巣高砲台跡に向かう。砂浜の後ろの斜面を登ると舗装した道路があった。遠山君はポケットから地図を取り出す。

「知り合いにもらった鷹巣高砲台跡の地図です。軍用道路を通って行きましょう」

 舗装された道路を進み、暫くして現れた三叉路を左に折れる。ここからはかつての軍用道路だそうだ。道の両側にはさまざまな形の葉の広葉樹が並び、その根元には羊歯が生い茂っていた。


 遠山君は歩きながら鷹巣高砲台について様々な話をしてくれた。装備されていたのは二十八センチ榴弾砲で、その砲弾は放物線を描いて長距離を飛び、目標の上部に着弾するのだそうだ。当初は港湾防衛用に作られたものが、日露戦争では要塞攻撃用に使われ、旅順攻略戦では瀬戸内の別の島から運ばれた二十八センチ榴弾砲が使われたそうだ。


 二十分ほどで道は行き止まり、その先は森に囲まれた広場になっていた。

「ここですね」

 広場の右側には、コンクリートの丸い井戸枠や、煉瓦を積んだ四角い構造物の連なりがあった。


「この奥が砲座跡です」

 遠山君は地図を見ながら前に進む。

 石段を登り、少し行くと左側に半円形の空間が現れた。

「おお」

 遠山君が歓声を上げた。空間の外周は石垣で固められ、内側は舗装された平地になっている。平地の部分にきれいな二つの円があった。円周部分には四角い石材が並べられ、その内側は一段低くなっている。

「円の部分に一門ずつ二十八センチ榴弾砲が設置されていました。二門でワンセットです。同じものがこの奥にさらに二つあります」 

 円が二つを三セットなら全部で六つの円だ。だが、その目とは……。


「周りを森に囲まれているけど大丈夫なのかな? 目標が見えないのでは?」

「高角度で撃つ榴弾砲ですから問題ありません。着弾点の観測所や司令所はさらに上にあります」

 遠山君がカメラを取り出しながら答えた。観測所、それが目に違いない。


「観測所はここから近いのかな?」

「地図によると、さっきの広場の左に上に登る道があるみたいですね」

 それならば……、

「俺はそっちに行ってみます」

 写真撮影を始めた遠山君を置いて、一人で上に向かった。


 広場から上に上がる道はすぐに分かった。登っていくと石段があり、さらに登っていくと山頂らしい場所に辿り着いた。木々の間から海とその向こうの島が見える。山頂に地面を掘って作られた構造物があった。外壁は石材で組まれ、石段で下に降りるようになっている。下のスペースにはやはり石で作られた丸いテーブルがあった。その上に例のスライムのような球体が置かれていた。ここが問題文が示していた場所だ。


 球体を取り上げ、捻って開ける。書かれていた文は「混ざりて別れた三つの堂宇、今に伝わる無垢なる姿」だった。

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