言わない子

和泉ほずみ/Waizumi Hozumi

言わない子

 夏休みが嫌いだ。


 ……って、もう口にはしないことにした。

 夏休みが嫌いなぼくはちょっと、いやかなり、変なヤツらしい。変なヤツ扱いされるのはもっと気分が悪いから、今年からぼくは夏休み大好きキャラとして生きていくのだと誓った。


 「ダイチくん、ほら、一緒に泳ごうよ」


 重い腰を上げてプールサイドから塩素くさい水槽へと入場したぼくにたのしい遊泳タイムの誘い文句を垂れた森田くん、ぼくは森田くんが嫌い。夏休みの次の次の次くらいに嫌いだ……理由はないけど、そういうことにした。


 「はいはいざっぷーん。……えっとこれでぇ、『顔を水につけることができる』クリアぁ。やったぁ嬉しいなぁ」


 この不自然に間延びした口調は誰かさんのモノマネ。

 大仰に、わざとらしく水面に顔をぶつけた。そこから顔を上げたところでヤゴの死体が目前の視界に現れた。特に何も考えずすぐそこの間の抜けた顔をした森田に投げつけた。彼の丁度胸の辺りに触れそうで、でも触れはしなかった。


 「うわぁ!ゴキブリ!!うぅ~なんでそうやってヒドイことするのぉ」


 彼にとって、黒くて足が6本生えている生き物だったならそれはもれなくゴキブリらしい。ヤゴが育ったらトンボに成るんですよって、つい最近理科の授業で習ったはずなんだけどな。コイツったら、授業中にネリケシを練ったりマリオのステージの創作に勤しんだりで「関心意欲態度」は総じて最低ランク。かくいうぼくも、理科の先生の授業が嫌い過ぎて話が頭に入らないってワケだから、どすこいどすこいってやつだ(あれ、“どっこいどっこい”って言うんだっけ)。そんな具合だから、仕方なく週2通いの塾の勉強で補っているわけなんだけど。塾通いってのもなんていうか、ヒンシュク?というのを買ってしまうみたいで、あんまり言ったらいけないらしい。別に、なんだっていいさ。


 「バーカ、これはヤゴで、トンボの幼虫なんだよ」って、懇切丁寧に教えてあげても面白いかもしれないけど、言わない。それで得られる返答といえば「へぇ、ダイチくんはマジメでキンベンだねぇ」だとか「じゃあ今度勉強教えてよぉ」だとか、たかが知れている。別にそんなくらいで気持ち良くならない。気持ち良くなってやるもんですか……なんて。


 勝手にそんな妄想をして一人で不機嫌になっていたぼくをよそに、森田は何やら語り始めた。


 「あーあ。なんでさぁ、せっかくのたのしい夏休み、おれらだけこんなことやらされてんだろうねぇ。っていうか、坂本も田中もケンちゃんも、ほんとなら一緒にココにいるはずなのにバックレちゃったよ。ズルいズルい!あいつらうさぎの餌やりも掃除当番もサボるんじゃんよぉ、そんでこないだも……」


 メンドクサイ、と思いつつ、話したくて仕方がないという表情を見ていて無視するのももっとメンドクサイ展開になると知っているので、顎を上にしゃくるのを合図に続きを促した。ハイハイ、森田の愚痴当番、今日はぼくってわけなのね。


 「坂本はさぁ先生の前とおれらの前とで態度が違うんだよぉ」


 うん、あのさ、大人の前で“いい顔”できるってのはある意味要領の良さなんじゃないの?……と思いましたまる。


 「それでねそれでね、田中は女子とばっか話しててぇ、陰でみんなにキモいって言われてるんだぜ?」


 だからなんなんだよ、くだらない。そうやって男とか女とかいちいち敏感に区別してるお前らも、どうなのよ。ねぇ?


 「あとケンちゃんは──」


 ははっ、そいつはケッサク!そんならそれは何時何分何秒、地球が何回まわったときの出来事なんですかぁ?



 「ダイチくんはぁ」



 「ダイチくんは?」



 ダイチくんは食い気味に復唱してみせます。ねぇ森田くん。ぼくが、なんだって?



 「ダイチくんは、何を考えているのか分からないや」


 あっそ。あっそーですか。


 「ぼくはいつも、早く帰ってゲームしてぇなって考えてる」


 それを聞いて森田は、なんだか不服そうな顔をしてそっぽを向いた。期待していた答えはこうじゃなかったのだろう。





 ぼくは嘘はついていない。本音を言わないことは、嘘をつくこととイコールではないと思う。もちろん、本音の一切を隠しきることが大人なのだと思うわけじゃない。でも、ただただ本音をぶつけることしかできないって、それはうんとお子ちゃまのヤツがすることだと思う。


 だから、思っていることを“言う”のって、実は、すごくわがままなことなんじゃないのかなって。



 ああやって返答を急かしておいた後でまた黙ってしまうのもなんだかきまりが悪いような気がして、でも返す言葉はあれの他に、何も浮かばなかった。腹いせじゃないけど、森田の右手にあった、さっき彼が用具入れから探してきたであろうビート板を乱暴に横取りしてみた。それを装備して、気怠い動作で壁を蹴った。授業で習った4泳法だのなんだのなんかはもちろん覚えてはいないので、ただ足をばたつかせて、目の玉は自分のおへそを向かせて、それで何とか向こう岸を目指した。


 ぼくは案外、バタ足だけは下手じゃない。いつもだったら折り返す地点、女子サイドとのボーダーラインが迫る。それも悠々と超え、ただ向こう岸に向かう。テレビで観るようなプロの水泳選手に倣って、カッコよく壁をキックして折り返してみたい。男の子はいつだってカッコつけたい生き物なんだって、誰だかがそう言っててちょっとムカついたけど、実際、その通りかもしれない。どうでもいいけど、やりたいと思ったらやりたいんだ。

 あと少し……というところでぼくは力尽きる。君はいつもそう、ガッツが足りないんだ。それもそうやって、すんでのところで、やる気だとかの気力なんかがパッと失せてしまう。なんだかもういいやって、緩やかな脱力感に身を預けて、色つきのいかだはどこかへ漂流していって。





 『こら、なんでそんなことするの。お友だちをぶったらダメでしょう』



 担任の相田先生がぼくの腕を掴み、それを高く掲げる。この腕がやったんか、とでも言いたそうに、件の犯人の握り拳はこれなのだと強調する。



 だって、あいつが、それで、だから、ぼくは悪くなくて、だから……、



 『また言い訳ね!もうまったく、あなたは一体何を考えているのよ!』



 ぼくは悪くなくて、先に、じゃなくて、ぼくは、あいつ、が……。うぅ、ご、ごご……、



 ごめんなさい、って、言わされて、泣きじゃくるぼく。




 「ダイチくんって時々、何考えてんのか分からないよね」




 ──ダイチくん、何考えてるの?



 ぼくは考えている。考える……そう。ぼくは誤解されるのが一番嫌いなんだ。





 だって誤解されるのって、


 悲しくて、貧しくて、恥ずかしくて、汚くて、女々しくて、煩くて、心細くて、もどかしくて、気持ち悪くて、鬱陶しくて、悔しくて、弱々しくて、つまらなくて、気味悪くて、寂しくて、淋しくて、虚しくて、空しくて、可笑しくて、馬鹿ばかしくて、辛くて、苦くて、



 息苦しくて、息が、苦しい……。






 「大変だ……せ、先生!ダイチくんが溺れちゃったぁ!先生、先生ぇ!!」



 溺れてねぇよ、ただ、沈んでいるだけ




 …………って、言わない。

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言わない子 和泉ほずみ/Waizumi Hozumi @Sapelotte08

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