第104話 「ぼくらがしてるのは」

 男子シングルスの試合は、決勝に勝ち進んだ日本とアメリカ両チームの、言うなればエース対決だ。今大会の大トリは女子シングルスだが、世界的な注目度が高いのは、ジュニアであれプロであれ男子シングルスである。当然ながら観客の多くは聖と弖虎の試合に対し、決勝戦に相応しい試合を期待しているが、理由はそれだけでは無い。


 第1、第2試合で行われた男子および女子ダブルスの両試合ともに、決勝戦らしからぬ一方的な内容で終ってしまったこと。そしてミックスダブルスも終盤では盛り上がったものの、妙に後味の悪い幕切れとなってしまったこと。これらが重なった事によって、ただでさえ注目度の高い男子シングルスに寄せる観客の期待は、より一層高まっていた。


 1stセットは観客の期待に応えるような激しいラリー戦をみせ、観客に「もしかしたら」と期待を抱かせた。だが2ndセットに入ると、弖虎の異様なまでに攻撃的なプレーがことごとく決まり、あっという間に差がついた。落差の激しい展開を目の当たりにした観客は、鼻白む者、落胆する者、ジュニアであればこんなものだと冷笑する者など様々な反応を見せたが、それらは概ねネガティブなもので、なんとなく会場の熱は冷めつつあった。


――しかし


<世界屈指のライジングの使い手アガシと、仏国の魔術師フレンチ・マジシャン、サントロの両立か>


 ボールがバウンドし、最頂点に達するまでの間にスイングして打ち放つライジング。運動エネルギーが充分残ったボールを、早いタイミングで捉えた上でコントロールする事は至難の業だが、幼少期の徹底的なスパルタ指導でアンドレ・アガシはそれを完璧に体得した。


 他方、ボールに逆回転を掛け、その回転量とラケット面の角度を調節し、絶妙なコントロールで相手を翻弄する圧倒的技巧を有するサントロ。スライス回転をボールに加えるには、ラケット面を上に向ける必要がある為、本来ライジングとの相性は悪い。理屈の上ではもちろん可能だが、融合するにはあまりに難易度の高い組み合わせだ。しかし聖は、自身に宿した能力の撹拌によって、剛柔相合わさるその技術を、見事に実現してみせた。


 瞬跳護攻ライジングの斬り返し・スラッシュ


 早いテンポでの攻撃にスライス回転を加えることで、相手の球威を利用しながらより深く斬り込む。自身の体勢や相手の打ってきたコースによって、スライスを使わずフラットやスピンを織り交ぜ、容易に慣れさせない工夫を凝らす。まもりと攻撃を兼ね備えた、理想的なショットで聖は弖虎の猛攻に反撃した。


(撹拌事象で選手一人のフルスペックを発揮するより、遥かに難しい!)

 嵐に荒れ狂う海の上を、暴れ馬に乗って進まされるのに匹敵する感覚を味わう聖。初めて能力を使うことになった時にアドに説明されたが、あくまで能力を使うのは自分自身。本来自分が持つ以上の力を操るには、相応のコツが必要だった。そして最近になってようやく、身の丈以上の力を従えられるようになったと感じていたところだ。それも束の間、自分で選んだこととはいえ、大幅に難易度の上がる事態に陥ってしまった。まるで、乗り慣れてきたスポーツカーのエンジンが急にレース用、いや、ジェット機のものに変わってしまったような感じである。


<とか言いながら、割と上手く扱ってンじゃねェか。大したモンだぜ>

 茶化すアドの言葉に構う余裕など、今の聖には無い。

 借り物の力を手懐けるべく、今はただ必死に、全神経を注ぐより他なかった。



(ライジングでの高速スライス?! あいつこんな事できたのかよ!)

 聖のプレーに釘付けとなりながら、蓮司が心のなかで絶叫する。彼だけでなく、日本のメンバーはもちろん、会場の観客、ネット配信を視聴している者たちも含め、試合を見ている全員が聖のプレーに度肝を抜かれていた。


「ライジングでスライスか。いうなれば超長距離ロングハーフボレーみてぇなもんだ。しかもあのテンポ。なんだこれ、見たことねぇぞ。普通ライジングは、勢いが充分残ってるボールを、吹っ飛ばないように抑えながら打つ。そうなると普通は無回転フラットか、ちょっとばかり順回転スピンがかかる。そりゃ逆回転スライスも、出来ない話じゃねぇけど」

 起きている現実を咀嚼するように、奏芽が口に出して聖のプレーを分析する。


「しかも強いスライスじゃなくて添える程度だね、あれ。奏芽がいう通り、吹っ飛ばないよう抑えながら、必要最小限ギリギリのスライスを留めてる。だからボールが相手コートの深いところに安定して押し込められるんだ。こっわ」

「スライスだけじゃない。フラットと、たまにスピンも混ぜてるよ。それに今の、ちゃっかりドロップのフェイクも入れてた。ごめん、キモイわ。なんなのあれ。あんなのとラリーとか絶対したくないんだけど」

 奏芽につられ、桐澤姉妹も自身の見解を誰ともなくつぶやく。仮に自分が相手をする場合を想定しているらしく、聖のプレーに対する賞賛とも畏怖ともとれる言葉が無意識に口から出てしまう。ダブルス専門の二人ではあるが、個人での活動においてはシングルスにも出場するため、相手が身内であろうと分析には余念がない。


「聖ってさぁ、色んなプレーできるよなぁ。サーブ&ボレーとかも上手いしさ」

「そうそう。かと思えば死ぬほど走り回って、カウンター決めたりもするよな」

 デカリョウとマサキも、聖のこれまでのプレーを思い返しながらいう。練習ではときどきペアをバラしてゲーム形式の対戦をするのだが、聖はときおり驚くような技を見せることもあった。


(走ってるクルマの荷台から、動いてる的にサーブ当てるからね)

 ミヤビは頭の上に氷のうを乗せながら、誘拐の夜のことを思い出す。あのとき聖が見せた横顔は、普段の彼からはかけ離れた、やけにワイルドで好戦的なものだった。ミヤビは今でも、あの出来事は夢だったのではと疑ってしまう。しかし、トラックの荷台で受けたマイアミの夜風の感触が甦り、あれがまぎれもない現実だったと思い直す。


「Game. Japan 1-4」

 聖が弖虎のサービスゲームをブレイクする。

 立て続けにゲームを連取し、開いていたゲーム差を一気に縮めてみせた。


           ★


「……興味深い。これは、実に興味深い」


 そう低い声でつぶやいた新星のセリフに、沙粧は珍しいこともあるものだと意外に感じた。彼は時折その言葉を口にするが、心の底からそう思っているわけではないのは、彼の普段の態度を見れば明らかだった。せいぜいが、多少考える余地が残されている事項であることに同意する、といった程度の、いうなれば相槌のようなもの。本当の意味で彼が興味深いと感じることなど、滅多にない。


「なぁに? 何か仮説を実証できる数値でも検出された?」

 アーキアの開発に関わり、その理論や構造について沙粧は当然把握している。しかしそれはあくまでナノマシンを使った『ジェノ・アーキア』が何をどうできるのかという話に限られ、より深い専門知識を持つわけではない。車がどういう仕組みで動いているのかを説明できても、構成するパーツそれぞれがどのように作られているかまでは分からないのと同じだ。新星は普段はあまり見せない真剣な面持ち――とはいえ、奇妙なゴーグルのせいで素顔は窺い知れないが――で、静かに答えた。


「アーキアの脆弱性を見直し、再構築する必要があるかも知れませんな」

「っ!? ……なにを言い出すの」


 危うく怒鳴りつけそうになるのを、沙粧は辛うじて堪える。これだからこの男は信用、いや、油断ならないのだと胸中で警戒を強める。同時に、彼女は無意識のうちにカレンダーに視線を走らせた。彼女の頭の中の冷静な部分が、あらゆるスケジュールを整理し、どの程度であれば調整可能かどうかを一瞬で弾き出す。


「それはアーキアの、全面的な再構築リビルドという意味?」

「その通り。現状のまま進めた場合、致命的な問題を抱える事になるでしょう」

「……仮にやるとして、どの程度の時間が必要になる?」

「概算ですが、余裕を見れば十五年程度、楽観的に見て十年前後でしょうな」

「有り得ない。そんな時間的猶予が無いことは、よくご存知でしょう?」

「ええ。もちろん。しかし、これは実に興味深いのです・・・・・・・


 新星の口元が、不気味に歪む。

 沙粧は怯みこそしないが、全神経を集中させねば飲まれそうになる。

 そう自覚した彼女は、鼻から静かに深く息を吐き、気を落ち着けた。


「貴方が自身の知的好奇心を満たそうとする事に、口は挟まない。ただ、貴方がたGAKSOも我々ATCアリアミスも、政府の後ろ盾があって成り立っている。そして、アーキアの開発については、あと数年以内に一定の進捗を見せなければ、計画自体のリジェクトも充分あり得るの。無論、貴方が必要だというのなら提案を無下にするつもりもない。だけどせめて、個人的な欲求で計画を掻き回すようなことは控えて頂戴」


 毅然とした態度を崩さず言い放つ沙粧。

 新星はその言葉を吟味するように間を取り、そして口を開いた。


「良いでしょう。日本政府が目論む無理難題なムーンショット計画程度であれば、現状のアーキアの性能で概ね達成できますからね。多少のマイナーチェンジは必要でしょうが。それに、沙粧クンの個人的な欲求・・・・・・についても、今のままでさして影響はない」

「……私の? なんのお話かしら」

「ヒャハハ! 冗談ですとも。しかしそうなると、この若槻聖クンとやらの処遇については検討せねばなりませんな。仕組みはさっぱり分かりませんが、少なくとも彼を中心にアーキアへ何らかの影響が及んでいるとみてほぼ間違いないでしょう。いやぁしかし、本当に興味深い」

 いつもの調子に戻ると、話は終わったとばかりに新星はデータの解析を再開する。知の権化、現代に蘇ったトリスメギストスともあだ名される世界屈指の天才科学者。GAKSOの中心人物であること以外、彼の詳しい素性は沙粧も知らない。


「それに、弖虎クンもなかなかに興味深いですよ。彼自身も彼に移殖しているアーキアも、他のメンバーとは事情が異なりますからな。どうせならアーキアの稼働率を最大に上げて、どこまで起動し続けられるかの負荷度試験ラッシュ・テストをやるのも面白いでしょうな。現地にはアーヴィング女史もいることですし、死にはしないでしょう。もっともその場合、高い確率で彼の自我は吹き飛びます・・・・・・・・・が」


 手を動かしながら、新星が嬉々として語る。弖虎はリアル・ブルーム側の被検体である選手だが、貴重なサンプルでもある。できるだけ自前の駒を温存したい沙粧としては、アメリカ側の選手を無駄遣いしたくないという思いもある。少し考えたのちに、彼女は溜息と共に言った。


「好きにして頂戴」


           ★


 互いに人間離れした挙動で、壮絶なプレーを繰り広げる聖と弖虎の両者だったが、その内情は正反対だった。虚空のアカシック・記憶レコードより授かった叡知の結晶を自身に宿し、溢れんばかりに膨れ上がろうとする力を、必死に制御しようとする聖。対して、人為的にヒトの遺伝子を書き換える禁忌の技術で、強引に人体の限界を越えさせられている弖虎。もはや自分の意志で制御できるわけもなく、弖虎はただ身体が動くままに任せていた。


(もうな〜ンも感じねェな。いよいよ痛覚神経すらイッたか?)

 感じていた苦痛が遠のいたせいか、弖虎は意識がはっきりしてくるのを感じていた。身体は自分が動かしているはずなのに、感覚が鈍くどこか他人事のよう。既に自分の身体は自分のものでなくなってしまった気さえしてくる。


(今に始まったことじゃねェけどな)

 アーキアをその身に宿して以降、弖虎は少しずつ人間らしい五感を失った。目に見える色彩は淡く、鼻をくすぐる香りは薄く、舌に絡む味はやけている。感情は乏しくなり、かと思えば自分でも制御できないほど乱れることもあり、挙句の果てに昔の記憶が少しずつ曖昧になっていることにも気付いた。


(早く終われよ。こっちはもう、どうだって良いンだよ・・・・・・・・・・

 弖虎は自分がどうしてこんなになってまで、リアル・ブルームの下にいるのか分からない。恐らく反抗しようと思えばできたかもしれない。ただ、用意周到な彼らのことだ。そうならない為の予防策は既に講じているだろう。もしかすると、自分は行動を起こさないのではなく、起こせないのではないか。既に自分の意思を飛び越えたところで、完全に制御されている。そんな可能性さえ充分あり得た。


「Game. Japan 5-4」


 主審のコールが弖虎の耳に届く。なぜか、やけに遠いところから聞こえる気がした。今まさに自分で戦っている試合が、終盤へと差し掛かっているというのに、弖虎はもう何も感じない。焦りも悔しさも、闘志も怯懦も、勝ちたいとも、負けたくないとも思わない。自分のなかから、様々なものが零れ落ちて消えていく感覚を味わう弖虎。既に、身体は勝手に動いている。自分の意志と肉体が切り離されたようで、まるで誰かの身体に乗り移っている気分だ。


(どうでもいい。早く、さっさと終れよ)

 投げやりに意識を放り出す弖虎。

 相手の放つ鋭いボールが、自分から離れた場所に目掛けて飛んで来る。


(届きゃしねェだろ)

 感情の消え去った無機質な心持ちで、そう判断する。

 だが、予想に反して弖虎の身体は強靭な膂力で追いつき、打ち返す。


(ヘェ、さすがアーキア。で、足のスジは何本イッたよ?)

 身体への強い負荷が、徐々に弖虎の身体を壊していく。右へ、左へ。前へ、後ろへ。激しい攻防を繰り広げながら、その度に身体のどこかが壊れていくのを感じる。次第に、消えたはずの感情が甦ったのか、突然弖虎は腹の底から込み上げる衝動を吠えた。


(オラさっさとしろよッ! こンなくたばり損ないに、いつまでも時間かけやがって! こっちはもう飽きてンだ。くだらねェ、たかがスポーツなんぞに命張ってンじゃねェぞ。自分を天才だとでも思ってたか? 才能があるとでも? ねーよ、てめェ・・・にそンなモンねェ! もしあったら、あんなモン・・・・・に手ェ出してねェだろ! 認めろよ、ババア。あんたに才能なんか無かった。オレを妊娠したつくったのだって、ただの気の迷いじゃねェか! そんなミスをやらかすやつが、いっちょ前に天才ぶるな! 挙句になんだ? 選手としてじゃなく、一人の人間として歩むだと? なら大人しくそれに徹しろよ。なに未練がましく舞い戻ってやがる。そんなことするから、オレもアンタもこう・・なったンだろうが!)


 弖虎は自分が何について捲し立てているのか、分からない。浮かんで来る言葉の数々は、顔も覚えていない誰かに向けて、遠慮なく言ってやりたかったことのような気がする。その一方で、こんなことが言いたいんじゃないと叫ぶ自分がどこかにいるような気もする。思考も感情も捻じれて歪み、現実感が薄れる。悪い夢を見ているときにも似た、妙にぼやけた感覚が意識を覆う。そして最後にひと雫だけ残った理性のカケラが、冷静に事態を把握する。


 自分自身が小さくしぼみ、消えていく感覚。

 身体はともかく、自分の意識はきっとここで消える。

 そう確信すると、やっと安堵感を覚えて、気持ちが安らいでいく。


(あぁ、やっと終わりか)


 諦観と虚無的な安堵感に沈もうとした弖虎に、誰かが言った。


――踏み止まりなさい。弖虎・モノストーン


 その声は、星の色をしていた。


           ★


 非撹拌事象での能力使用から、果たしてどのくらい時間が経過したのか、聖は把握していない。それを考えてしまったら、代償の脅威に怯えて上手く力を扱えず、敗北してしまう恐れがあると思ったからだ。自分に宿っている能力は、決して無敵ではない。今はただ、一刻も早く勝負にケリをつける。その一心で文字通り、全身全霊を賭けていた。


「40-30」

 そして迎えた、サーブをキープサーヴィン・フォすれば勝利。ー・ザ・セット

 さらにマッチポイントを握り、聖はさらに集中を深める。


(この一本、この一本で確実に仕留める)

 聖はもう、相手を見ない。その余裕が無い。ここに至るまでの攻防で、弖虎に普通ではない事態が起こっていると薄々勘付き始めてはいるが、あえて無視した。精神的なゆとりが無いことも、理由の一つとしてある。しかしそれ以上に、目の前の勝敗に集中することが何よりも最善であると、聖は根拠無く確信していた。


(僕は、自分だけが特別だとは思わない)


 一切の容赦なく、聖はサーブを放つ。


(何が正解かは知らないし、分からない。だから、僕は出来ることをやる)


 鋭く突き刺さったボールを、ロボットのように感情や気配を感じさせない弖虎が平然と打ち返す。聖は自分に宿した力をどうにか手懐け、より厳しいコントロールで攻め立てる。長く、激しいラリーが続く。


(事情はそれぞれ、皆が抱えてる)


 聖の脳裏に、マイアミで出会った選手たちの顔が浮かんでは消えた。


(でも、僕らがしてるのは、ただのテニスだ。そうだろ)


 弖虎の返球がネットをかすり、勢いを削がれて跳ね上がる。


(それは、そうであるべきだ・・・・・・・・


 聖は弖虎の方を見ず、とどめの一撃を叩き込んだ。


                                  続く

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