第103話 「叡智が撹ぜ拌るとき」

 聖は胸騒ぎ以上に、ある種の苛立ちを強く感じた。


(なんで?)

 自分でもどうしてそう思うのか、言語化するのは難しい。強いて言うならば、折角の真剣勝負に水を差されたような感覚。そしてそれを、相手が当然のものとして受け入れていることへの、やるせなさ。同時に、聖の理性とは別のところで、本能が警告を発している。せめぎ合う複数のネガティブな感情が、1stセットを先取した聖の気勢を削いでしまった。


0-40ラブ・フォーティ

 反対に、弖虎のプレーは凶悪さが恐ろしく増している。スピードやコントロールの精度はもちろん、攻撃のリズム自体が大きく変質したのだ。ただでさえ出鼻を挫かれた聖は、防戦一方に陥ってしまう。反撃を狙う隙も見つけられず、一打一打をただ凌ぐだけの守備を強いられ、聖は精神的にもカウント的にも追い詰められていく。


(クソ、これはまずい。どうにかしなきゃ!)

 当初の目論見通り、聖はどうにか1stセットを先行できた。そのあとイメージしていた展開は、より確実に勝利を狙うため、勢いに乗って先に1つブレイクを成功させたあと、そこで能力リザスを使うというものだった。その筋書きが、聖にとってもっとも都合の良いものだったが、どうやらそうはいかないらしいと、聖は内心で自分の甘さを悔やんだ。


(マクトゥーブ!)

 心の中で唱え、聖は切り札に手を付ける。もう少し自分の実力で試合を続けたかったという未練をどこかで感じながら、体の内側から漲る力にその身を委ねた。ありとあらゆる回転を自在に操り、仏国の魔術師フレンチ・マジシャンと呼ばれた男、ファブリス・サントロの叡智の結晶スキルが聖に宿る。


「うまいっ!」

 プレー中にも関わらず、観客の誰かが思わず声をあげた。弖虎が放ったウィナー級の一撃を、聖が見事なスライス・ロブで切り返す。ディフェンスとしてだけでなく、相手に次の攻撃を続けさせない攻防一体の妙手。滞空時間の長いそのショットで、崩れた体勢を立て直し、次に備える、はずだった・・・・・――。


「grraaa!」

 頭上を越すはずだった聖のロブを、弖虎が驚異的な跳躍で捉える。のみならず、強引に身体を捻った不自然な体勢のまま、聖に背を向けるようにしながら超鋭角にボールを打ち込んでみせた。あらかじめ読んでいたにしても、とても人間業とは思えない弖虎の動き。あまりの反応に、目を疑う聖。続くポイントでも、弖虎は人間離れした動きで反撃を見せる。聖はサントロの得意としたスライス回転を存分に操り、容易に弖虎から攻撃されないよう組み立てるが、弖虎は予期できないボディワークとトリッキーな動きで、それを打ち破ってみせた。


「Game. U.S.A lead 2-0」


 結果、あっさりキープされたうえ、聖は初っ端にブレイクを許してしまう。


最適調整リサイズされてるとはいえ、サントロが……能力リザスが、通じない?)


 汗に濡れた聖の背中を、冷たいものが伝った。


           ★


 こうなることは分かってた


 それを承知で、連中を受け入れたんじゃねぇか


 なにを今さら、未練がましくイラついてんだよ


 アホらしい。所詮、何もかもが茶番だろうが


 一流だの、頂点だの、栄光だの、ウンザリなんだよ


 限られた者だけに許される領域へ、凡人が踏み込もうとするからだ


 飛べやしねぇのに飛ぼうとするから、落っこちる


 潜れやしてねぇのに潜ろうとするから、溺れちまう


 それでも、どうしてもそこへ行くんなら


 何かを引き換えにする覚悟は、あって当然だ


 ……違うな。覚悟なんて、エラそうなモンじゃない


 まともにやる事を、諦めるんだ


 道を外れて、本来進むべきルートから外れるより他ねぇ


 着いちまえばこっちのモンだろ


 だが、そうまでしてそこへ行って、何がしたい


 そもそもオレは、そこへ行って、どうしたかったんだ?


 もう覚えちゃいねぇよ。知ったこっちゃねぇ。


 そう思ってんのに


 なんでオレはまだ、ここにしがみついてんだ?


           ★


 表示されるいくつもの数値全ての変動を把握し、新星教授は想定していた状況が始まったことを確信した。弖虎・モノストーンに移殖したアーキアが、予想通りPLEの活性化に反応し、抑制機能が始動する。やはり、アーキアそのものに異常は見られない。


「フム、先の兄妹で得られたデータと酷似しているが、振れ幅が違いますね」

 誰に言うでもなく呟く新星。手元でPCやタブレットを器用に操作し、ありとあらゆる角度から分析を試みる。先入観を持たず、しかし想定されるいくつもの仮説を並行して検証し、目の前で起こっている現象をつぶさに解き明かそうとする彼の口元には、知らずのうちに笑みが浮かんでいた。


「貴方が言っていたのは誇張じゃなかったのね。彼、本当に模倣が上手い」

 アメリカで行われている試合映像を見ながら、沙粧がつぶやいた。半年ほど前、新星から若槻聖について「過去の選手を模倣するのが異常に上手い」というような話を聞かされていたが、話半分に聞き流していた事を思い出す。あの素襖春菜が推薦してきた人物である以上、沙粧も当初はそれなりに注目していた。しかし彼が目立った動きを見せない為、優先度を下げ、現場のコーチ陣に任せてそれきりだった。


「ふゥむ? 黒鉄選手との試合では、アンドレ・アガシの再現率が、能条選手との試合ではレイトン・ヒューイットの再現率がそれぞれ100%だったのですが、他はやや下回りますな。もっとも、検証データの数が少ないのでなんとも言えませんが。今回の大会での情報はアーヴィング女史のところに?」

「そうね。でも、過去の選手を模倣することに意味なんてある・・・・・・・?」

 興味なさげに、沙粧がそう口にする。


「ただの模倣なら無いでしょうな。過去はあくまで過去です。アーキアの開発初期段階で、ありとあらゆる選手の動きを我々は解析した。テニスに限らず、GAKSOは全てのスポーツ分野において、過去に活躍した一流選手に関する情報収集とその解析を行っている。その集積した叡智ウィズデムを元に、この先の未来で生まれ得る、新しい可能性をより早く実現するのがアーキアです。過去の選手の模倣など、とっくに通り過ぎた道ですからな」


「貴方が気にしたのは、100%の再現率という点でしょう? そこだけ見れば確かに、何らかの意図や仕組みがあると疑うのは分かる。ドイツやイスラエル辺りが似たようなものを作ろうとしている話は小耳に挟むけど、でも所詮その程度。警戒には値しないんじゃない?」


 沙粧の言うことに同感らしい新星は、フムと呟いて沈黙した。この男にしては珍しく歯切れが悪いなと思う反面、自分にも何か見落としがないかと、沙粧は考えを振り返ってみる。しかし現状、若槻聖について注目すべき点は、対戦相手のPLE値が大幅に上昇する現象以外に見当たらない。


 人間は日々進化してゆく。過去に活躍した偉大なプレイヤーが残した功績は素晴らしいものだが、ことスポーツにおいていえばそれは、その時代だったからそれが成し得たといえる。言い換えれば、その時ベストだったものが、その後もベストであり続けるとは限らない。時間の経過と共に、人間を含めたありとあらゆる条件も同時に変化していくのだ。であるならば、仮に過去の選手がそのまま現代に蘇ったところで、それはそれだけの話でしかなく、時代遅れの産物に過ぎない。


(私から見れば彼はせいぜい、小さな変数。多少は面白く思うけど、不測の事態は無いに限る。ようやくアーキアの最終工程マスター・アップを迎えようという段階なのだから、ここで下手に現状を掻き回されても困るのよね。素襖春菜が貴方に何を期待しているのか知らないけど、せいぜい、デバッグ要因として役に立ちなさい)


           ★


 回転を自在に操り、相手の積極的な攻撃を封じる守り寄りの攻め・・・・・・・を展開する聖だったが、それらはことごとく弖虎の苛烈な連撃によって跳ね除けられてしまっていた。守れば守るほど、逆に自らの首を絞めてしまう状況に、聖は絶望感さえ覚えてしまう。


(素で戦ってるならまだしも、能力リザスを使ってこんな、彼は一体……)

能力ソレは無敵の便利チートじゃねェって、一番初めに言っただろうが。特にオメーの意志で使う場合は、肉体強度に応じて最適調整リサイズされンだよ。ま、確かに前回はその上で、あの根暗野郎に勝ったがな>

 改めて言われなくても、聖は承知している。自分が宿しているこの力は、あくまで借り物。テニスから離れてしまった自分がプロを目指すための、言うなればブランクを埋めるためのものだ。性質的にも、能力を使っても敵わないであろう選手が存在し得るのは想定済み。そしてこの能力が半ばズル・・であることも含めて、聖はひとまずそれを受け入れている。


(違うんだ、能力が通じないことに驚いたのは確かだけど、僕が引っかかるのはそういうことじゃない。変な言い方かもしれないけど、さっきまでの彼・・・・・・・なら、負けてもよかった。能力が通じる通じないに関わらず。でも、今の彼は、最初に試合したときと同じ、いや、それ以上に)


 聖は弖虎へと視線を向ける。先ほどまでは、無愛想で感情の起伏がなさそうな態度のなかに、プレーと同じような人間らしい激しさが感じられた。それはどこか蓮司と似ていて、彼が燃え滾る闘志を、内に秘めるタイプなのだろうと素直に思えた。以前は感じなかった弖虎のその雰囲気に、あぁ、彼はこういう人間なのかと、聖は試合中であるにも関わらず、どこか安堵感を覚えた。


 それが、今はどうだ。プレーの苛烈さは増していく反面、彼に感じていた人間らしさが、まるで無くなってしまっている。その空虚さは、自分とミヤビを追跡してきたあの白い人物を髣髴とさせる。


(さっきのミックスの相手にしてもそうだ。変な不吉さというか、得体のしれない不気味さ。アメリカの選手たちには、そういうものがある。こんなの、ただの印象でしかないし、そう感じるのは僕だけかもしれない。でもなんだろう、この嫌な感じは)


 聖の直感では、弖虎が何かこれまでと変わったと半ば確信している。しかし、その根拠や彼の何が自分にそう思わせるのか、まるで見当がつかない。いくら観察しても、虚ろな雰囲気をまとう弖虎からは何も読み取れなかった。


「Game. U.S.A lead 4-0」


 聖の葛藤を他所に、ゲームは無常にも進行していく。白熱したラリー戦を展開した1stセットとは打って変わり、まるで別の試合が始まったかのような一方的な内容に、聖だけでなく観客さえも困惑している。観戦する日本のメンバーも、聖の様子以上に、弖虎のプレーに対して己の目を疑っている様子だった。


(今、僕が考えるべきことはなんだ)

 いくら考えたところで、弖虎のことは分からない。

 聖は一度頭を切り替え、この試合にどう臨むかを自分へ問い直した。


(ここで負けても、チームとしては準優勝。個人の戦績がどう評価されるか知らないけど、そう悪いものでもないはず。ただ、年明けにあるプロテストへ参加するつもりなら、選手実績の少ない僕はちょっとでも積み上げた方が良いに決まってる。チームのため、というより、僕自身のためだ)


 未だに、聖は能力を使うことに僅かながらの躊躇いがある。それが驕りであるとアドに指摘されてからは、目的のために迷わず使うと決めた。ただやはり、性格的に罪悪感や遠慮は隠しきれず、場面によっては今でも迷いが生じてしまう。そのことを自覚しているからこそ、聖はもう一度、自分がなぜ能力を使うのかというその理由を、自らに言い聞かせた。


(アド、一つ聞きたいんだけど)

<は〜ン? なんじゃらホイ?>


 聞くまでも無いけど、とぼんやり思う聖。アドがこの話に触れないのは、聖が尋ねて来ないからだろう。割と早い段階で浮かんだことだが、まずは能力に慣れるべく、いったんそれについて聞くことを保留にしていた。


叡智の結晶このチカラって、1度につき1人って制限はある?)

<っ!>


 反応に窮したアドの雰囲気が伝わる。

 それはつまり、聖の予想通りということだろう。


(それに伴って代償が大きくなる、ていうのは分かる)

 先回りするように、聖が続ける。


(この試合を、無理に勝たなきゃいけない理由は、正直ないと思う。でもさ、僕はどうしても、自分が勝ちたいと思う以上に、弖虎をこのままにすべきじゃない気がしてならない。思い違いかもしれないし、なんなら間違いかもしれない。ただ少なくとも、今はそう思う)


 アドは答えない。

 沈黙したままだが、言葉を探している気配がした。


(チカラを持つ者は、それに見合う振る舞いをするべきだ。僕が言われたのとはニュアンスは違うけどさ、このまま彼を放っておくのは、いや、彼を止めることができるのは、ことここに至っては、僕しかいない)

 聖がそういうと、アドはわざとらしく大きな溜息を長々と吐いた。


<〜ったくよォ。悪知恵つけやがって、誰に似たンだよ>

 いつものように、憎まれ口を叩くアド。


<あ〜あ、そのうちそういう場面も来るだろうと思ったけどよ、意外なほど早かったなァ。ここぞって時にオレ様が言うハズだったのに。力が欲しいか? ならばくれてやる! ってな感じで。自分で気付くンじゃねェよ、台無しじゃねぇかっとによォ~>

(えっと、つまりそのうち教える予定だったってこと?)

<うっせバーカ。テメェで吐いた唾だかンな。後悔しても知らねェぞ>

 質問には答えず、アドは普段の調子で口汚く聖を罵る。


<オラ、覚悟しろよ。こっからが本領発揮だ。さっさと唱えろ>

 いつの間に書き込まれたのか、聖の頭には唱えるべき言葉が既にある。

 深く息を吐き、大きく吸って気を整えると、聖はそれを口にした。


全ては既に書かれていマクトゥーブ・る。叡智よ、撹ぜ拌れリザスターリング


 大いなる意志が、本来ならばらぬものを、一つにする。


                               続く

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