第19話 「テニス特戦隊、見参!」
相手の打ったボールが浅く浮いて絶好のチャンスボールとなった。
雲一つない五月晴れの青空に、黄色いテニスボールが緩やかな弧を描きながら打ち上がる。聖がチャンスだと認識するよりも早く、鈴奈が落下点に入った。小柄な彼女の身体が低く沈んで、更に小さくなったような錯覚を覚える。
地面を蹴った鈴奈の身体が飛び上がり、彼女のしなやかな肢体が青空のキャンバスに色を重ねる。真っ白なチュニックの裾から伸びる彼女の太ももは、草原を駆け抜ける草食獣の如く力強く、ふわりと
心地良い打球音と共に打ち下ろされたボールは相手コートのど真ん中へ叩きつけられ、高く跳ね上がってフェンスまで飛んでいく。着地すると同時に聖の方へ振り返り、満面の笑みを浮かべながら拳を握りガッツポーズを取る鈴奈。自信に満ちたその表情は、幼い頃のハルナの笑顔に少し似ているような気がした。
★
「いっよ〜し! うちらが白星一番ノリだ~!」
ルンルン気分ではしゃぐ鈴奈。彼女が小刻みに動く度、聖は目のやり場に困る。
試合は6-0のストレートで聖・鈴奈ペアが勝利を収めた。聖は殆ど後方で守りに徹していただけで、ポイントのほぼ全てを鈴奈がネットプレーによって決めてくれた。危ない場面は勿論あったが、鈴奈が立案した作戦を遂行することに専念したお陰で想像以上にあっさり勝つことが出来た。彼女は先ほどから機嫌よく試合を振り返り感想――というよりも自身のプレーへの自画自賛――を述べている。
<なァ、マジでお嬢ルートやめてデカパイセン攻略しねェ? 一生に一度だぞ、こんなの>
試合中、あまりにも煩かったのでリンクを切っていたはずのアドが再び繋がってきた。
(……頼むから邪魔しないで欲しいんだけど)
<オマエ本当に男か? あれ見て何も感じねーのか? その目は節穴か? 揺れてるぞ>
アドの言うことは勿論分かるのだが、そう簡単に心変わりする聖ではない。いくら鈴奈が容姿に優れ、年上なのに屈託なく自分と接してくれて、女性的な魅力に文字通り
「オイ、聞ーてっかよぅ、ひっじリ~ン?」
鈴奈が聖の腕を引っ張る。
構ってくれオーラを全身から放つ鈴奈の屈託のない表情は、男の煩悩を容赦なく刺激する。試合で少し汗をかいた鈴奈からは甘い香りが漂ってきて、聖の意志とは無関係に鼓動が大きくなる。まずい、このまま話をしていると好きになりそうだ。
「センパイ、オレちょっと、ギャルチームの方見てきますっ」
危機感を覚えた聖は慌てて立ち上がり、返事も聞かずに駆け出した。勝てそうにない相手とは戦うべきではないと、何かで読んだ気がする。
走っていく聖の背を見つめながら、鈴奈はやれやれという表情で水を口にした。
「オトし損ねちった」
幼さの残る顔つきには不釣り合いな、悪い笑みを浮かべて鈴奈は呟いた。
★
<教えてくれ、あンな
異常に熱のこもったアドの問い掛けは当然スルーし、聖はギャルチームの割り当てられたコートに向かう。自分たちの試合はかなり早く終わったので、恐らくまだ勝敗はついていないだろう。
<今あのデカパイセンと仲良くなっときゃ! おめェこの先、夏にゃ夏祭りに浴衣デートできるかもしンねェンだぞ!? なんなら海だのプールだので水着デートも有り得るッ! 今すぐ戻って仲良くなれッ! そしてデカパイセンと仲良く
「しつこいなぁ、怒るぞ~」
正直言うと、アドが茶々を入れなければそうなっていた可能性は大いにあったかもしれない。ハルナに対して強い想いがあるとはいえ、
「美人が多過ぎて目の毒だよ」
ごく普通の男子高校生なら程度の差こそあれ大歓迎なシチュエーションであろうが、聖には心に決めた人がいる。不満だなどということは決してないが、何にせよ精神衛生上よろしくない。
<選手としての強さだけじゃなく、タレント性も重視して選んでるンだろ。女のアスリートは特にそういうの求められるからよ。基本的にスポーツビジネスは人間ビックリショーと大して変わンねェからなァ。テニスの上手いメスゴリラ集めても盛り上がンね~し。ゴリラは野郎だけで充分ってこった>
「失礼な話だよなぁ」
そういう打算的な思惑について理解は出来るが、とても共感は出来ない。幼馴染であるハルナも、子供の頃から
そんな暗い気分から聖を現実に引き戻したのは、通りすがりの誰かが口にした一言だった。
「
驚いた聖は、慌ててコートへ向かった。
★
近くまで来ると、姫子とユーマがベンチに座っているのを見つけた。
「姫子! ユーマ先輩!」
駆け寄りながら声を掛けると2人が一緒に振り返る。姫子の目は涙で濡れていた。
「あ、えっと?」
少々間の悪い場面に出くわしたかと思った聖だったが、ユーマが穏やかににっこり笑って手招きする。一瞬ためらったが、聖はやや姫子を気にしながら傍へ寄る。
「面目無い、やられたよ」
負けたのは全て自分の責任だとでも言うようなユーマの言葉に、姫子が即座に口を挟む。
「違います!狙われてるのに上手く対処できなかった私が悪いんですっ! 相手の子は確かに強かったけど、狙いは明らかでした。私が上手く出来なかったんですっ!」
涙声で自分を責める姫子。なんだかカップルの痴話喧嘩に巻き込まれたような居心地になる聖。ユーマと視線が合うと、彼は「参ったなぁ」という表情を浮かべている。年下の女の子に泣かれてしまえば、男は誰だって困るだろう。
ユーマはハンカチを取り出して姫子に渡す。姫子は礼を言って涙を拭くと、悔しさと恥ずかしさで俯いてしまった。試合結果の気になる聖ではあったが、仲の良い姫子の事も放ってはおけない。
「いいかい、ヒメちゃん。確かに相手の子は上手かったし強かった。君が集中的に狙われてしまったのも事実だ。でも、それをカバーしようとして無理に陣形を崩したり、相手の思惑に乗って後手になったのは僕の責任でもある。それに、ミックスじゃ男性が女性を狙うのは絶対的セオリーだ。それを見越してゲームメイク出来なかった以上、僕にも、そして君にも敗因があった。つまり今回の敗北は、僕たち2人の責任だろ? どちらか片方のせいだと考えるのは、ペアを信用していないのと同じことだと思わないか」
優しく諭すように語るユーマ。
聖は同じような話を昔、ハルナに言われたことを思い出す。
――負けは2人のせい、勝ちはペアのお陰
「それに」
ユーマの声色に、少し冷たい色が混じる。
「
「先輩、他のメンバーは?」
聖が思わず問いかける。試合は3面展開で、最初はダブルスが3試合同時に入ったはずだ。残りの
「実は――」
そして、何が起きたのかをユーマが困ったような表情で語り始めた。
★
「フハハハハハハ!! 待っていたぞ、アリアミスの選手たち!!」
妙な高笑いと共に、M字に髪が後退している偉そうな中年男が腕を組んで仁王立ちしている。その横には、同じポーズをとった小柄でワンパクそうな少年二人、先日
「おめぇら、今日参加してんのか!」
マサキが思わず声を上げる。
「ハーッハッハ!! この前はよくもやってくれたなぁ!」
「今日は団体戦! 今日こそ僕たちが勝ぁぁぁつ!!」
数日前、マサキとデカリョウから完膚なきまでの敗北を味あわされたにも関わらず、2人は意気軒昂で気合いに満ち溢れている。ここで会ったが100年目、いざや積年の怨み晴らしてくれようか、と言わんばかりだ。
「初戦にこのオレ達と当たるとは不運だったな! この2人はともかく、このオレが率いるチーム『テニス特戦隊』はこの大会の最強チームだ!
中央で仁王立ちしていたM字ハゲの中年の男も、スゲとヤベに負けず劣らず自信満々で言い放つ。
「オイ、誰だよこのオッサン」
チームのまとめ役、千石透流が小声でユーマに問うが、彼は苦笑いを浮かべながら首を横に振る。しかし、横並びしている相手チームのメンバーを見て、顔色を変えた。
「オイ、あいつ!
「挑夢!? なんでお前ここに?!」
2人が注目した相手メンバーの1人は、名を
つまり、トオルとユーマの後輩に当たるのだが、すっかり背が伸びて精悍な顔付きになっている。面影はあるが、随分と逞しくなったものだ。挑夢は2人の視線に気づくと、ちょっと照れくさそうに苦笑いしながら、ぺこりと頭を下げる。昔は生意気なやつだったが、人懐っこくて憎めない性格は今もあまり変わっていないようだ。
そしてもう一人。相手チームの中でやけに浮いた雰囲気をかもし出している少女。名を、
「うへェ……なんでバンビが居んの~?」
「あァ!? ンだコラブスてめェッ! 聞こえてンだよッ!」
耳ざとく聞きつけたバンビは喧嘩腰で怒鳴りつける。今にも殴りかかってきそうな勢いと剣幕だ。がるるると、一歩でも間合いに入ろうものなら容赦なく噛みつく狂犬のような態度のバンビに、ギャル2人はすっかり怯えてしまった。
「まァ待て、バンビ。コイツラとはコートの上で決着をつける。コーチに言われたことを思い出すんだ。相手を完膚なきまでに叩きのめすなら、相手の土俵で戦ってこそだ」
M字ハゲの中年男がバンビを宥める。文句こそ言わないが、彼女の敵意はますます膨れ上がっているように見えた。
「オレの名前は
そう言って不敵な笑みを浮かべる西野。もう一つの
★
「マンガじゃあるまいし、数日でレベルアップなんざ出来るわけがねぇ」
「いつも通り、1ポイントもやらずに叩きのめしてやるとすっかィ!」
マサキ・デカリョウは対戦する以上相手がどんなレベルであろうと基本的に手は抜かない。これは自分たちの強さを見せつけたいからという理由などではなく、単に相手に対する敬意から来る姿勢だった。2人は揃ってプロを目指している。プロを目指す以上、幾度となく強敵と戦い、何百戦、何千戦と敗北することだろう。その時、相手に手を抜かれたら自分たちはどう思うか?
勝負である以上、決着がつくまで何が起こるか分からない。格下とナメた相手に足元を掬われるような無様な真似だけは絶対にしない。そういう視座で2人はテニスをしている。試合である以上、特に取り決めが無いのであれば全力で戦う。それが彼らの考え方だった。
だが。
自分たちのそうした高い視座とは別に。
人間には予め備わった慣れや無意識の油断というものが確かに存在する。
あっという間に4-0までゲームが進んだ。
16ポイントを連続で取り、次の相手サーブをブレイクしてとどめにデカリョウの超強力サーブのゲームを獲って試合終了という未来がほぼ見えてきたタイミングで、それは起こった。
第5ゲームは、テニス特戦隊の
マサキのタッチセンスは非常に優れており、相手のサーブの勢いを利用した様々なリターンで相手からサーブの優位性を奪うのが彼の持ち味だった。その為、相手の前衛がポーチ――主に、相手のリターンを前衛が捕まえて攻撃するショット――を成功させるのが難しく、2人のペアはダブルスにおいて高いブレイク率を誇っている。
スゲがボールをついてサーブを打つ動作に入る。この時、デカリョウはマサキのリターンを返すことになるであろうスゲの振り遅れの一撃を警戒していた。また、この2人は中学生らしい無謀な特攻作戦が大好きな為、もしかするとマサキがリターンを打つより早くヤベがポーチを狙って動く可能性を考慮し、ヤベの動きについても意識を向けていた。つまり。
本来であれば、デカリョウの運動神経をもってすれば
高く上がったトスは少し乱れ、スゲは僅かに体勢を崩しながら無理やりサーブを打った。にも関わらず、ラケットの真芯で捕らえられたボールは普段打っているサーブ以上の威力を発揮し、スゲもその打感に心地よさを覚えた。確かに良いサーブであった。速度といい、回転量といい、中学生にしては非常に質のいいサーブをこの時のスゲは打つことが出来た。
「避けろッ! デカリョウ!」
思わずマサキが叫んだが、遅かった。放たれたスゲのサーブはデカリョウ目掛けてすっ飛んで行き、あろうことかデカリョウの
「~~~~~ッッ!!?」
★
「嫌な事件だったね」
ユーマは眼鏡を少し上げながら、遠くを見るように言った。
聖は開いた口が塞がらない。誰にも聞こえないアドの大爆笑が耳障りだ。
「え、それって、こっちの負けなんですか?」
「意図的に当てた、ということであれば罰則がある場合もあるけど、基本的にルール上、相手の打ったボールをプレイヤーが身体で触ったら失点だ。そして、今回は運の悪いことにデカリョウが痛みのあまり悶絶して再起不能になってしまった。大怪我にはならなかったのは不幸中の幸いなんだが」
心無しかユーマの声色は冷たい。まさか
「えっと、他は?」
話題を変えたくて聖はつい口にするが、即座に失言に気付く。
だが、ユーマは特に気にした様子もなく、さらりと説明を続けた。
「僕とヒメちゃんの相手、
そこまで言うと、ユーマの顔付きが変わる。
コートの方に視線を向け、独り言のようにつぶやいた。
「やれやれ、どうしてアイツがまだテニスしてるんだ」
続く
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