虎神様 続

「再び虎神様に会えたのは偶然じゃった」

 マフ老師は髭を撫でつけ目を閉じ、それから続きを語り始めた。


 ***


 その日もひどい砂嵐の晩でな。儂は朝から忙しくて、うっかり水を汲み忘れてしまった。

 夜も更けた頃に泉に水を汲みに行くと、うっすら人影が見えたんじゃ。

 砂嵐が来るような日、街のもんは大抵家の中にこもってじっとしている。こんな夜更けに水場にいるのは迷った旅人じゃろう。そう思って声をかけて、診療所に避難してもらうことにしたんじゃ。

 見たところ男の人で、大きな荷物を抱えていた。

 視界が悪い中、外套を引いてやって診療所まで案内したんじゃ。


 診療所に入ってもらって、腰が抜けたわ。

 男の人はあの時会った黒髪の虎神様だったんじゃ。


 なにを話したとかは、なんも覚えておらん。とにかくびっくりしたんじゃ。

 びっくりしてから、また驚いた。

 虎神様が抱えていた荷物は、不思議な鱗と翼を持った見たことのない生き物で、またさらに驚いたことに、その不思議な生き物は産気づいておってな、もうなにがなんだか分からなかった。


 それでも、驚いている暇は無かった。

 虎神様はあの時のような神々しい雰囲気はあるものの、弱り果てているように見えてな、産気づいた生き物も放っておくわけにはいかん。儂は精一杯虚勢を張るしかなかった。

「儂は診療所をやっておって心得もある、ラクダのお産にもたくさん立ち会った。だから任せてもらって大丈夫じゃ」と言って無理やり虎神様を元気づけた。

 幸い、お産は順調に進み、数時間のちに小さな小さなお子をお産みになった。

 母体の方の体調も問題なく、嵐が去るまで診療所で体を休めて貰って、お二人は二日後の晩に旅立たれた。


 その時から、儂は虎神様とまた会ってしまったことに急に不安になってしまってな。

 あれは竜の子じゃなかろうか。虎神様は、虎神様で竜神様でもあったのじゃ。あんなに小さな竜がこの世に存在していて、それを儂がお気軽に話して自慢していいはずはなかったんじゃ。

 それからは姿絵は診療所の壁から外してしまい込み、虎神様に会ったことを人に話すのはやめた。


 ***



「その日から今まで、虎神様の話しをしたことはないんじゃが、やはりこの街に長く住んでいる人は、まだ覚えている人も多いの。何度も聞かせてしまったからな。儂は、小さい竜の子と虎神様が本当に存在していて、二回も出会えたことに感謝した。けれど、次に会ったのは偶然ではなかったんじゃ」



 ***


 その日から十年も経った頃、夜更けに虎神様が儂を訪ねてこられた。

 女神様は今度は赤髪の人の姿をしておったが、次のお子を宿しておられて、一目で衰弱しているのが分かった。それと何故か男神様の方も具合が悪そうじゃった。

 儂には良く分からなかったが、夫婦めおと神様は体の具合が同調してしまうのかの。二人とも青白い顔で、ここまでお互いを支え合いながら尋ねてこられた。


 一緒にいたナディだけは元気いっぱいじゃった。

 ナディは人間の幼子の姿をしていたが、儂にはあの時取り上げた竜の子だとすぐに分かった。男神様によく似た黒髪の活発な子で、深い真紅の瞳は女神様と同じだった。


 どうやら、ここに来ることを言い出したのはナディでな。

 ナディが産まれた時に儂が手を貸したことを虎神様が話して聞かせていたようで、弱る両親を案じて、『もう一度、人を頼ったらどうか』と言ってここまで来たようじゃ。

 女神様の産み月はまだ少し先だったが、これまで食事があまり取れていないようでな、砂漠の旅は酷だったと思う。

 幸い、ラクダのミルクが合ったようで、少しづつ体調を戻していって無事にお子が産まれた。

 それでも産後は肥立ちは悪くてな、半年程一緒に暮らして面倒をみた。


 虎神様のことは儂が今まで周りに散々話していたし、この街のもんは診療所に飾ってあった肖像画を見たものも多い。

 それでその間は、ずっと診療所で匿うしかできずに不便をかけてしまうことになった。ぺらぺらと吹聴しておったことは後悔しかなかったわ。


 ナディとは時たま街に一緒に出歩いた。

 かわいいかったぞ。人間の暮らしに興味深々でな、街を見渡してはあれこれ質問されて良く笑っておった。

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