北へ

 早く眠りたかった。

 眠って、眠って、朝になったら改めて精霊様には変わらず会えることを確かめようと思った。

 けれど、浅い眠りから覚めたところで、泉に行く勇気は出なかった。

 頭の痛みと胃の不快感はすっかり無くなっていたが、気分の落ち込みと不安が消えない。

 それよりも、なんだかこの場所にいることが、いたたまれない気持ちになり、荷物をまとめて出発することにした。


 らくだの放牧に行く前のリリー一家に会うことができ、挨拶をする為、駆け寄った。


「おはようございます」

「おはようアーク」

 一家は朝から爽やかな笑顔で迎えてくれた。


「おはよう。お兄ちゃん元気になった?」

「ミカ昨日はありがとう」

「これ見て!昨日会った精霊様と泉とお空の模様なの」

 ミカは綺麗な紐を見せてくれた。

 明るい空の色、深い泉のような色、他にも色とりどりの青と藍と精霊様を表す光の色が交差した鮮やかな紐は、太陽の光を取り込んで煌いているような気さえする。

「すごい綺麗だ」

「えへへ。上手に出来たの」

「昨日、ミカは帰ってきてからずっとこれを編んでいたんだよ」

 お婆も揃ったので、名残惜しいが行くことにした。


「今日立つことにしました。アンナさんに教わった北の街へ行ってみます」

「そうか。方角さえ間違えなければ、四日ほど歩くと街道に出るで、途中に集落もあるけど、気を付けて行きなね」

 ダットさんとアンナさんは周辺の様子を詳しく教えてくれた。


「砂漠は、持っている荷物と知恵と人との助け合いだよ。困っている人を見かけたら助けてあげておくれ。それから、また来ていろいろなお話を聞かせておくれ」

 お婆は手に持ったお団子を分けてくれた。


「お兄ちゃん。また来てね」

 ミカは先ほど見せてくれた紐を手に結んでくれた。

「良いの⁉」

「うん。また作れるよ」

「ありがとう」


「お世話になりました。皆さんお元気で」

 一緒に過ごしたのは少しの間だけだったけれど、リリー一家は僕を大切な友人のように別れを惜しんでくれ、いつまでも手を振ってくれた。



 そして、一人で北に歩みを進めた。

 精霊様から貰った地図を恐る恐る広げてみると、地図にはいくつかの水源の印が点滅していて、心底ほっとした。

 一人ぼっちの旅路は心細い反面、一人になりたかった気持ちもあり、丁度良かった。

 もしかしたら、精霊様が見えなくなったのかもしれないということを、他の人に話すことは絶対したくない。不安を少しでも口に出してしまったら、本当にその通りになりそうで嫌だった。

 でも結局、一人で答えの出ない事を考えるのは不安で押しつぶされそうだ。

 ぐるぐると回っているのは頭の中だけかと思ったら、いつの間にか足元が砂に沈み込むようになり、足がもつれた。

 仰向けになって、空を見上げると世界も一緒に回っていた。

 慌てて水を飲もうと思ったが、体は思ったようには動かず、のろのろと二種類の果実漬けを一つづつ食べてしばらく休むと少し落ち着いた。

 

 景色はいつの間にか見覚えのないものになっていた。

 起伏の少なかった地面は唸るような砂の山々になり、所々あった背の低い植物の群生は、固くて肉厚で棘が生えていたりするものに変わっていた。

 ザジさんに聞いていた通りだが、想像と違ってどっしりとたくましく、瑞々しくて大きい。

 サラサラと流れる砂音を聞いていると、まるで水辺にいるかのような気持ちになった。


  コンパスを確認し、夕日が照らすオレンジ色の砂の中を精霊様の地図に従い、近くの水源へ向かって歩を進めた。

 すぐに日は暮れ、遮るもののない大きな空は幾千もの星が瞬いていた。

 

 夜の空にこんなに色があるなんて知らなかった。

 たどり着いた泉にも、星が水鏡のように煌めいている。

 こんなに美しく幻想的な風景なのに、いくら呼んでも精霊様の姿を見つけ出すことは出来なかった。それは次の日の朝、目が覚めても同じだった。


 リリー一家に教えてもらった北の街道までは、いくつかの集落があるはずだったが、それを見つけることはできず、砂と砂埃の中ただひたすらに北を目指して進んだ。

 そして六日経ち、やっと人影を目にすることができた。


 街道はそこそこの人が行き交い、賑わいと活気が目に見え、久しぶりの人々の姿ににほっとした。

 道沿いに進むと、程なくして街にたどり着き、食堂のような構えがあったので、覗いてみた。

 喉がカラカラだ。

 店先のテーブルに座ってお水を一杯頼むと、グラスの外側には水滴がつき氷が入っていた。

 冷たい水で人心地ついていると、気になることが耳に入って来た。

「……虎……様」


 よくよく聞いてみるとあちこちで、『虎』、『虎』という単語と、時折『神様』という言葉が聞こえる。

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