31話 ぎこちない掌がそっと彼女の頬に触れた   

(……ここで眠ることはないと思っていたんだがな)


 エクスと別れたエリックは孤児院にある宿舎のベッドで目をさましていた。


 カーテンに隠れているが、外はまだ明るい。戦いが終わったあとさほど時間は経っていないののだろう。

  

 エリックは右腕を高くあげて拳の形を何度も作る。


(指先に多少の違和感はあるが、少しずつ薄れてはきているか)


 このぶんだとリハビリをしていけば、数日中には、いつも通りに動かせるだろう。


 腕が千切れたさい、最悪繋がらない覚悟はしていた。しかし、縫合とはまた別の方法でエリックの体の一部となっている。左手の酷かった裂傷と熱傷も完治していた。

 

 治療を誰がしたのか。そんなことはいうまでもない

 

 エリックが腕を横に下げる。

 ぎこちないてのひらが温かく柔らかなものに触れた。

 

「……すぅ……すぅ」


 リリアの姿がそこにはあった。床に座っていたが、上半身はエリックの寝ているベッドに倒れるように傾けている。

 スキルを使って疲れてしまったのだろうか。小さな寝息がエリックの腕に当たる。

 

「……ぅん……? エリック様……?」  


 頬に触れたせいかリリアは起き、お互いの視線があう。


「悪い。無理をさせ」

「エリック様! 大丈夫ですか! どこか痛いところはありますか!」 

「……あ、ああ。おかげさまで完治しているようだ」

「ほんとうですか? よかった……」


 リリアは、ほっと胸をなで下ろす。目覚めた途端、エリックの体調を確認してくるとは、なんとも彼女らしい。

 けれど、すぐに険しい表情を浮かべた。


「もう……。無茶をしないでください」

「あの場で、全員が助かる方法を実行しただけだ。結果として上手くいった」

「エリック様が死にかけたじゃないですか!」

「多少のリスクは背負わないと勝つことはできない」

「だとしても、もっとよい方法を……」


 リリアは呆れたようにため息をはく。


「だが、最後の手榴弾で負った傷については、リリアのスキルを頼っていたところはあるかもしれない」

「そう……なんですか?」

「ああ。急きょだったから、後先考えている暇がなかった」


 しかし、エクスと話していたとき、エリックの頭の中で思い浮かんだのはリリアのことだった。


「もしかして、エリック様が危険なことをしたのは、わたしのせいもあったんじゃ……」

「そうじゃない。むしろ助かった。少なくとも右腕を千切られたのは、完全に不意をつかれたからな」


 リリアがいなかったら勝つことができたとしても、そこで死んでいた可能性が高い。仮に助かったとしても、両方の腕が繋がっていたのか怪しいものだ。


「あの人は、エリック様とウェル様が協力してやっと倒せた相手でしたからね……」

「ああ、明らかに格上だった。勝ったのはウェルのおかげだろうな」


 もっとも、そのウェルさえいなければ、孤児院が襲われることもなかったのだから、本末転倒な話でもある。

 そういえば、ウェルのほうはどうしたのだろうか。彼には確認しなければならないことがいくつもあった。


「なあ、リリア。ウェルは……」

「では、次のお話です」


 だが、その言葉をリリアが途中で遮る。

 有無をいわさないような妙な迫力。エリックはたずねたいことが一旦保留になる。


「……次?」

「はい。とっても大事なお話があります」


 リリアの笑み。エリックはどこかで見たような記憶があった。間違っていなければたしか宿屋で勝手に抜け出したとき。 


「エリック様。今度こそわたしに黙って出ていきましたよね?」

「……もしかして、怒っているのか」

「えっと。正直にいえば、少しだけ怒っています」


 少しではないのだろう。彼女は説教するとき、笑顔になることをエリックは察することができつつあった。


「いつも出ていくような発言はしていたと思う」

「はい。何度もしていましたね」

「伝言やお金も残した」

「エリック様の考えはわかっていますし、わたしも理解していました」


 であれば、なぜ彼女は怒っているのだろうか。怒っていることはわかるのだが、理由まではわからない。


「ですが、一方で決めてもいたんです」

「……何をだ」

「戻ってきたら、少しくらいわたしもいいたいことをいってもいいのかなって」

「……そうか」


 なるほど。少しだけ理解できるような気がする。

 出ていったのは、エリックの独断だ。だったら、リリアのいいぶんだってある。


「エリック様」


 彼女は改めて自分の名前を呼ぶ。


「わたしはできれば、あなたとこれからも一緒にいたいです」

「……お金のことなら、常に一定の額を渡せるかはわからないぞ」


 いまはまだいくらか残っているが、稼ぐ手段が不安定な以上、たしかな給金など保障できない。

 けれど、リリアは、首を横に振って否定した。


「お金なんていりません。従者という立場も関係がありません」


 彼女はいつの間にか笑みを潜めていた。


「だってわたしは――」


 きっと大事な一言を口にしようとしたのだろう。 


 だが、話の最中だったが、お互いの視線が扉のほうへ向かう。

 立てつけの悪い古い扉は、半開きになっていた。動かしたときに鳴った音は思いのほか響く。


「えっと、大事な話をしているみたいだけど、少しいいかな……?」


 入ってきたのは、気まずそうな顔を浮かべていた金髪で金色の瞳をしたウェル――だけではない。


「エリック君。目を覚ましたみたいね」


 もう一人。難しい顔をしたネラだった。


 





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