25.5話 小さなその手が握るもの
花咲きほこる庭園。中心にある
「ロズウェルト。我が愛しの息子。何を恐れているのですか?」
「……母上?」
膝の上にいる小さな子供の金色の髪を彼女はそっと撫でる。
「……すごく怖い夢を見たのです。たくさんの人がボクを守るために死んで……」
「それはとても、怖く、悲しかったでしょうね……」
「それもあります。だけど……」
子供は首を横に振りながら、母親に向けていう。
「悔しかったのです。ただ守られるだけの自分が。彼らの力になれず、無力で逃げるしかなかったことに不甲斐なさを感じずにはいられなかった」
申しわけが立たなかった、と子供は見た目からは想像がつかないような難しい言葉を並べる。
その様子に、母親は、穏やかな笑みを浮かべる。
「ロズウェルト。あなたが、日々、学問や剣術に努め、
子供の頭を撫でていた彼女の視線は、庭園のほうへと移る。
「ここにある花々だって、最初から、咲いているわけではありません。芽吹き、茎、を伸ばし蕾み作り、やっと花を咲かせる」
語る口調は、優しく、子守歌のように聞こえる。
「まだあなたは、幼いのです。新しい国王になるまで、時間はあります。ゆっくりでいいのです。身につけた力はきっと夢で起きた悲劇を防いでくれるでしょう」
けれど、優しいはずの言葉が、子供にとって慰めにはならなかった。
なぜなら、いつかではもう遅い。既に起きた悲劇は変えられない。
力不足だったせいで、配下は死に、国は傾こうとしていて、彼らの父親は――
そこまできて、少年はやっと気づいた。
(……ああ。そうか。)
「ロズウェルト。どうしたの?」
彼の母親は、とっくに病気で亡くなっていた。彼が五歳になる前のことだった。
「……さよなら。母上」
だから、怖い夢こそ、子供にはとっては現実で。
いま、夢を見ているのだと気づいた瞬間、彼の意識は数日ぶりに現実へと浮上していった。
×××
リリアが、金髪の少年の額にある布を新しいものに変えようとしたときだった。
金髪の少年の目は薄らと開いていた。
「……あっ」
徐々に見える金色の瞳。完全に開いた丸い形は、宝石のように綺麗だった。
彼は何度か瞬きを繰り返していたが、すぐに薄い毛布を引っ剥がし辺りに視線を巡らせる。
「こ、ここは……?」
「え、えっと。落ちついてください!」
「き、君は……」
少年は、戸惑いがちにも関わらず、透きとおるような声をしている。リリアは、思わず、一度だけ村にきたことがある詩人を連想した。
「あ、あの。ここはシュドレーにある孤児院です。あなたは、森で毒のある果物を誤飲したみたいで……」
「……そうか、僕は……」
記憶が蘇ってきたのだろう。少年は端正な顔を歪めると額に片手をおく。
「介抱してくれたみたいだね。ありがとう。僕は……ウェルだ」
「わたしは、リリアです」
多少のためらいはあったが、少年――ウェルはそういう。
けれど、リリアは彼にたいして違和感のようなものを抱いた。
金髪の少年は笑みを浮かべていたが、わずかな沈黙にリリアが疑問を抱いた。
彼が名乗ったときの
偽名なのか、あるいは名前を口にするのを迷うような理由があったのだろうか。ともかく何か隠しごとがあるのは明らかだった。
「……ネラさんだったか。ボクはどれくらい、眠っていたのかな?」
「ここに運ばれてきてからは、三日ほど経ってはいます」
「三日も……!」
ウェルは慌てたようにベッドから立ち上がる。
だが、足下がふらつき、本人の意に反するように、ベッドにお尻をつけてしまう。
「ダメですよ! ずっと寝てたんですから、まだゆっくりしてないと……」
毒から回復したとはいえ、ウェルは病み上がりだ。それに食事も水とすりつぶした少量の果実だけ。万全な体調に戻るまでは、過度に動くのは難しいだろう。
「助けてくれたことには、心からの感謝を。けれど、ダメなんだ。ここにいたら、せっかく助けてくれた君たちに迷惑がかかってしまう」
しかし、リリアの制止にウェルは首を横に振り、もう一度立ち上がる。
「迷惑……。もしかして誰かに追われているんですか?」
「どうしてそれを……?」
「エリック様が多分そうなんじゃないかって……」
「……エリック? 」
その言葉にウェルが、聞き覚えのあるような反応をする。
けれど、続きを発することはできなかった。
突然のことだった。近くで雷が落ちたような、とても大きな音がしたのは。
「えっ!? な、なんですかっ!?」
「――!」
驚くリリアとは対照的にウェルの動きには、緩慢ながらも素早かった。まるで、何が起こったのか、見当がついていたようだった。
すぐに後に続いたリリアが礼拝堂の出口で見たのは、教会の壊れた壁と子供を弓で狙おうとしている女性。
振り向いたネラの真っ青な顔が見えた。
ウェルは狙われている子供へと走っていたが、やはり足どりは速くない。
矢が放たれた。間にあう人物はどこにもいない――はずだった。
「ユグドラシル!」
ウェルは走りながら叫んだ。そして一気に駆ける。
つい、先ほどまで病人だったとは思えないほどの
リリアには、彼の体に翼が生えたのかと思った。それぐらい
空だった彼の両手には、木剣が握られていた。
古からある大樹の幹の芯を一流の彫り師が形づけたような精巧さ。全体からは、力強さと荘厳さを感じさせ、ささくれや傷がまったくない滑らかな刀身は、たったいま削れたばかりにすら錯覚させる。
ウェルは、子供の前に立ち、矢を木剣で叩き落とす。
「ワーマワ・グッドレフ!」
そして、彼――ロズウェルト・ルイスは、自分を葬ろうとする敵と対峙した。
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