23.5話 シスター・ネラは考える

 診療所で薬をもらった帰り道のこと。ネラは、自分と同じように修道服を着た女性たちを街中で見かけた。 


 何も不思議なことではない。子供を追い出しただけで、シュドレーの教会は未だに健在だ。人の集まる場所なら、他のシスターに出会うことは、充分にあり得る。

 ただ、このままではお互いすれ違ってしまうだろう。路地に入るにしても、その前にどうしても対面するのは避けられない。 

 

 全員、顔に覚えはあったが、名前まで知らない。

 ネラは諦めたようにため息をはくと、真っ直ぐ進むことにした。

 

 相手もこちらに気づいたらしい。

 けれど、声をかけられることはなかった。

 彼女たちは全員ネラからわざとらしいほど反対方向に視線をそらす。そして、足早に通り過ぎていった。


 明らかな無視。露骨なくらいの拒絶。

 だが、ネラは不快感を覚えなかった。

 無理もない。きっと自分は教会の中では悪い意味で有名なのだろう。


 司教に暴言をはき、逆らった。犯罪集団と手を組んでいる。子供を庇護するといいながら、人身売買に手を染めている。


 他にも様々な噂をネラは、街で耳にする。あっているものも一部あるが、ほとんど誇張や出所不明な怪しい内容だ。出所はシスターたちだろうか。


(……集団の場だとどうしても、人の興味を惹くような噂話が広がるわよね……)

 

 ネラも他のシスターと一緒に生活をしていたときには、誰が聞いてきたのか、様々な話が広まっていた。  

 きっと中には、創作や本来とは違う内容もあったに違いないとネラは思う。当事者になってわかることもあるものだ。


 正直、他人のことを面白おかしく話題にするのは、聖職者として感心はしない。

 とはいえ、神に仕える人間が全員清い心を備えていないのもまた事実だ。

 

 たとえば、教会の運営が傾いた途端、己の利権と利益を優先するために、真っ先に孤児たちを追い出した司教たち。  

 彼らに真っ向から逆らったことをネラはいまでも後悔はしていないし、間違っていたとは、思えない。


 どうしても、見捨てられなかった。見ないふりはできなかった。可哀想などという上辺だけの同情で諦めることはしたくなかった。


 十年以上前にネラは弟を亡くした。彼女たちの両親は早くに亡くなり、たった一人の身内だった。

 二人は、住んでいた村で親が残した畑を耕し、貧しいながらも幸せな生活を送っていた。


 しかし、精いっぱいに生きる子供たちは、ある日、流行病はやりやまいにかかってしまう。


 体が熱く、止まらない汗と襲いくる悪寒。それは幼いネラにとっては、まさに生き地獄だった。

 だが、一番苦しかったことは別にある。


 弟の聞いたことのない苦痛の声。助けて、助けて、と。そればかりを口にするにも関わらず、何もできない無力な自分だった。


 最後に姉の名前を呼び、弟は死んだ。村にできたばかりの孤児院からきたシスターの一人に救われなければ、遠くないうちに弟と同様に死を迎えていただろう。


 教会を追われ行き場のなく、不安そうにしていた子供たち。


 子供たちが辿るかもしれない末路を想像したとき、不意に病気で苦しんでいた弟と重なった。


 気づけば行動していた。実際、何もしなければ、子供たちは路頭に迷っていた。最悪、もっと多くの犠牲が出ていた。


 突発的なことだったにも関わらず、数十人ほどの子供たちを受け入れる場所には覚えがあった。 

 同居していたシスターの一人が話していたことがある。古い教会を犯罪者たちが拠点にしていると。


 不幸中の幸いだったのといえるのだろうか。弟を亡くしたときにネラが発現したは、取引の材料としては、充分な価値があった。

 それに相手は犯罪者であっても、ネラを暴力で従わせず対等な立場で接してくれたのも幸運だっただろう。 


 結果的にいえば、ネラは旧教会の場所の所有権を得ることができ、子供たちと一緒にこの数ヶ月間一緒に過ごすことができた。

 

 きっとエクス神の導きもあった。方法だけは、決して褒められたことではなかったが、子供を救いたいという彼女の意志を神は無下にはしなかったのだ。

 

 あるいは、スキルの力は弟が最後に残してくれた贈りものだったのかもしれない。


(……それはただの詭弁ね)


 ネラは内心で自嘲する。弟が亡くなったことで得たスキルを犯罪に利用しているのは事実。清い心をもっていないのは、自分も同じなのかもしれない、と。


 けれど、子供の純粋無垢な顔を思い出す。

 それだけで、ネラは誰に何をいわれようが堪えられる。どんな悪評だって、些細なことだ。

 

『おかえり、シスター!』


 孤児院へ戻ってくると子供たちが笑顔で出迎えてくれた。


「ええ。ただいま」


 きっと彼女には、周囲からの謂われない声なんて耳には届かない。


×××


「……だいぶ、顔色がよくなったかしら」 


 誰にいうわけでもなくネラは、呟く。

 けれど、狭い室内には、他にも人がいた。


 彼女が水で濡らした布で体を拭いている人物。数日前、孤児院に運ばれた金髪の少年は、かすかに身じろぎしているだけで、眠りからは覚めないでいる。


 少年は、当初に比べて、ずいぶんと体調は改善している。ネラが額を触ってみるが、熱はもうない。毒も既に体からは除去されてようだ。

 けれど、子供たちも時折様子を見にきてくれるが、目を覚ましたという報せはまだない。


 少年は、一向に目を覚ます気配はない。ネラは、その原因が肉体ではなく、精神のほうかもしれないと考えていた。


「う……みんな……。す……ない。僕が……。僕の……で……!」


 漏れる声は、苦痛と後悔に満ちている。

 常時ではなかったが、彼はこうして、時折顔を歪め、うめいていた。

 

 ネラは、少年が罪悪感によって、いまにも潰れてしまいそうに見えた。

 見た目に反して、彼は、とても大きな重責を背負っている。まだ教会にいたころ、から孤児を受け入れ、世話をしていたネラの経験が、直感的に、そう告げていた。


(こんな小さな子供が、一体どれほどの……)

 

 少年の服装からして、高名な貴族の可能性は高く、彼に何か暴力性を帯びたできごとが起こったことは、エリックのいっていた通り、血や泥で汚れていた服が如実にょじつに語っている。


 けれど、ネラは、少年が目覚めても、事情を深くたずねるつもりはなかった。

 

 彼の過去なんて、些細なことだ。相手が子供であり、身寄りがないのであれば、ネラは、何があっても見捨てない。仮にエリックのお金がなかったとしても、彼女は、どんな手段をもちいても薬代を工面していただろう。

  

「エリック・ウォルター……」

   

 目の前にいる金髪の少年とエリックは、どこか似ている。彼も口にはしていなかったものの、重要な目的や使命をもっているようだった。だからこそ、一人で街から離れたのだろう。


 少し薄情かもしれないが、孤児院の恩人であるにも関わらず、ネラはあまり彼のことを心配してはいなかった。


 本人は、詳しい説明をしなかったが、リリアから聞いた話では、彼は戦闘に長けたスキルを所持しており、生存のためには使うことを躊躇ちゅうちょしない。心配するのは、むしろ相手のほうだろう。


 ……いや、実のところ、ネラがそう判断したのは、もっと他の理由がある。

 戦闘以外。高い知能と過度といってもいいほどの警戒性を小さな外見に反して備えているから――だけではなく、


(多分彼は――)


 しかし、ネラの考えは、結論を出す前に中断することになる。

 閉まっている扉を外からノックする音。返事をするとリリアが入ってくる。

 

「ネラ様。失礼します。あの、お客様がきているのですが……」

「お客さん……。誰かしら?」

「えっと、兵士の人? でしょうか……?」


 疑問形でこたえるリリア。相手は名乗らず、服装だけでそう思ったのだろうが。 


「わかったわ。とりあえず、行ってくるわ。リリアちゃん。少し彼の様子を見ていてくれるかしら?」

「はい。お任せください!」

「ええ。リリアちゃんなら、安心だわ」


 元気よく頷いたリリアに微笑を送り、ネラが玄関のほうへと向かう。


 彼女を待っていたの鎧をまとった二名の男女。


「こんにちは。シスター」

 

 さらにもう一人。痩身そうしんな中年男性だった。



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