21.5話 もうどこにも彼の姿はなくて

 カーテンから漏れる朝日が頬にあたり、リリアは、目を覚ます。

 

 狭い室内は、他に、年齢がばらばらな数人の少女が寝ている。


 木製の扉は、経年劣化のせいか、動かすと想像していたよりもずっと大きな音を出してしまう。


 特に小さな子供は音に敏感だ。もう少しすると朝食の準備ができて、寝ている人間も全員起こさなければならないが、そのときまでは、夢の中にいてもいいだろう。

 

 彼女は、周囲の眠りの妨げにならないように、そっと扉を閉めた。


(……なんだか、屋敷での生活を思い出しますね)


 孤児院での暮らしは、屋敷に似ている部分が多かった。寝食する部屋も他のメイドと共同だったし、食事の準備や掃除をすることも似ている。

 父親がなくなったあと、屋敷で働いていたのは、十二歳から十三歳の手前までの約一年の間だ。誕生日はエリックとシュドレーへ向かっている間に過ぎていた。


 そんな経緯があったことをいまのエリック・ウォルターは知る由もないだろう。 

 

(……あの人が悪いわけじゃありませんが)


 そう。いまのエリック・ウォルターに、罪はない。彼に責任は何もない。

 けれど、どうしても本物とそっくりな彼を見るとリリアは、屋敷でのことを思い出してしまいそうになる。


 リリアは、嫌な思い出を振り払うように首を左右に振ると、青空の広がる外へと出た。


 彼女の担当は、夕食だ。朝食を作らないのであれば、いつものようにエリックのいる礼拝堂へ訪れる。

 そこには、壁の隅に背中を預けている彼の姿が―― 


「……エリック様?」


 どこにもなかった。


「リリアちゃん」


 代わりにいたのは、渋い顔をしたネラ。


(……ああ。もしかして)


 彼女の態度で、リリアは、あるていど予想がついてしまう。


「あのね。落ちついて聞いてほしいの、実は――」


 案の定、ネラから伝えられたのは、エリックが、今朝、一人で、孤児院から出て行ったというものだった。


「……そう……ですか」


 事情を聞いたリリアだが、反応は淡泊。

 けれど、意味をショックを受けたわけでも理解できていないわけでもない。 


「リリアちゃん。もしかして、今日、エリック君がいなくなることを知っていたの?」

「いえ、ただ……」

「ただ?」

「あの人なら、いつかはわたしを置いていくんだろうなとは思っていましたから」


 邪険にはされていなかったものの、最初から、彼は一人でいることを望んでいた。

 

 ずっと礼拝堂で寝ていたのも子供が怖がらないようにするためというよりも、出口から、一番近く、急にいなくなっても、誰かに気づかれることがないからだ。

 

(……誰か、ですか)


 それが自分のことだろうということくらい、リリアでも察しはつく。というよりも他に反対や同行しようとする人間が思いつかない。


「そう……。リリアちゃんは、彼が、どこへ向かったのか知っているのかしら?」

「いいえ。わたしでは、エリック様の行き先は見当もつきません」


 ネラの質問にリリアは、素直に答える。

 本当に、彼の目的は不明だ。なぜエリック・ウォルターを名乗り、そっくりの顔をしているのかもわからない。


 ただ、出会ったときの一般的な常識の欠如から、記憶喪失だというのも嘘ではないのだろう。仮に記憶がないと偽るにしたって、スキルや貨幣など子供ですら知っていることをとぼけるのは、むしろ不自然さが増してしまう。

 

「……彼、出る直前にほとんどのお金を渡してくれたの。失礼ないいかたになるかもしれないけれど、エリック君のおかげで、しばらくは、孤児院は安泰ね」

「エリック様らしいです」


 リリアは、思わず頬を緩ませる。価値は理解しているのに、大金を簡単に置いていける人物などそうはいない。


「ええ。お金は一箇所に保管せず、使うのも小分けにして最低限の人間にしかあることを告げないでおくっていうアドバイスをもらったわ。お金、というよりリスクの管理といえばいいのかしら。まるで私よりも、年上の人みたい」

「……とてもエリック様らしいです」


 ついでにいえば、相手の年齢、地位関係なしに口が酸っぱくなるほどの忠告をしてくるのも、実に彼らしい。苦笑したネラにリリアも緩ませていた頬がひきつる。


 孤児院にリリアをひき渡した彼の判断は、間違ってはいない。


 村が壊滅するよりも前から、彼女には身寄りがなかった。屋敷にひきとられなければ、遅かれ早かれ孤児院のような場所へいた。


 生まれ育った村に愛着がなかったわけではない。けれど、村が滅んだあの日。リリアの中で思い出はすべて灰になるまで燃えた。

 けれど、完全に消えたわけではない。灰という残滓ざんしは、いまだ彼女の心の中で、忌々しい記憶となって、残り続けている。


「……リリアちゃん? 大丈夫?」

「えっ! ごめんなさい。少し考えごとをしちゃって……」

「……そうね。いくら想像していたって、本当に突然いなくなったら、心の整理なんて、つかないわよね……」

「えっと……」


 本当はまったく別のことをリリアは考えていたのだが、その内容を話すわけにはいかず、曖昧に頷く。


「それでね。リリアちゃん。エリック君、孤児院だけじゃなくて、あなたのぶんにも個別で、お金を残していったの。いままでの給金だって」

「わたしのぶんも孤児院の運営に使ってください」

「……いいの? 急に聞いてしまったけど、返事はいまじゃなくても、平気よ?」

「これから、お世話になるんですから、どうか孤児院の役に立ててください」


 それにどうせ、彼なら選択肢を与えた上でなお、リリアが、孤児院へお金を渡すことを予想していただろう。


「では、わたしは失礼しますね。そろそろ朝食の準備をしないといけません」


 ネラからの返事を待たないまま、リリアは孤児院から出る。

 本当は朝食の当番ではないけれど。

 

 毎日彼がいないと思いながら、礼拝堂へ訪れていた。


 だから、今回のことも驚きは、あまりなく、開いた穴も小さくて。リリアの中で、いたことなんて、すぐに昔のことになる。

 だけど。さっきネラのいっていたことは、一理あるのかもしれない。


「……リリアおねえちゃん……?」


 宿舎へ戻るとクラが、リリアを見つけ小走りで抱きついてくる。


「おはようございます。クラちゃん。少し起きるのが早いですね。もしかして、わたしが起こしてしまいましたか?」

「ううん。どうしたの……? イヤなことでもあったのの……?」

「いいえ。なんでもありません。さあ、クラちゃん。食堂へ行って顔を洗いましょう」


 桶の水面を見たときには、リリアの表情はいつも通りだった。クラ以外からも何もいわれなかったから、きっと少しの間だけ、感情表に出てしまったのだろう。


 彼が誰でも自分が救われたことには、変わりはなく、短い間旅をした間柄だ。


 だから、一言でいいから、別れの言葉がほしかった。



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