18話 シスター・ネラとの会話

 何もおかしい話ではないのだ。


 別世界の自分の魂をこちらへ呼び、さらには新しい肉体を用意する。グルブにはスキルがあるが、明らかに規格外の能力だといえる。


 それに、だ。エリックは自分の中での最も古い記憶、白い空間で目覚めたときを思い出す。


 彼女は自分でいっていたではないか。自分はグルブにおける神のような存在だと。てっきり、比喩的な表現だと思っていたが、文字通りだったらしい。

 これはエリックの理解不足だったといえるかもしれない。しかし、生前の世界で神がいなかったことは、記憶が欠損していても断言できた。

  

 リリアも食事の前には目をつぶり両手を組んでいた。あれも簡略的にだが、エクスに祈りを捧げていたのだろう。

 宗教名は彼女の名前をそのままつけられた『エクス』教。どうやら全世界に普及されているらしく、無神論者でも、名前くらいは知っているらしい。

 

 動揺してしまったエリックはエクスの名前を口にしなかった。

 ネラは訝しんでいたが記憶喪失だということ事前にいってことが功を奏したのか、結局さほど不審がられずに食事を終えることができた。

 なので、あとは感謝の言葉を一言、二言告げて、宿屋に戻ればよいだけ。


 そのはずだったのだが―― 


「……おねえちゃん?」


それは、エリックたちが食事をしている最中のことだった。座っていたリリアの足下に白い髪をした三歳ほど幼児が、突然しがみついてきたのは。


 わかりやすくいえば、リリアがひきとめられてしまうほど懐かれてしまった。面識はなかったらしいが、理由はお互いの白い髪にあった。

      

 幼児は、帝国との戦争で負けてしまった小さな国から逃れてきたいわゆる戦災孤児らしい。

 白い髪をした人間は、ルイス王国では珍しい。そのため、幼児はリリアに戦争で亡くした姉の面影を重ねてしまったようだ。

 たしかにエリックも道中やこの街で白髪の人間の記憶は、ほぼ老人だった。見たことがあったとしても、それがこの国の人間であったかなどわからない。


 幼児はリリアが帰ろうとすると大泣きするしまつだった。さすがに放っておいたままにするわけにもいかないだろう。  

   

 とはいえ、誰に原因があるわけでもない。解決手段としてはリリアが髪を染めることだが、それはもはやただの暴論だ。


「ずっとは無理ですが、少しでもこの子の心を埋められるなら、一緒にいます」


 リリアの声は、同情というよりも共感しているようだった、本人は放っておけないと思っているのなら、好きにすればいい。


 問題は、その間、エリックに居場所がないことだろうか。

  

 エリックとそう年が変わらない少年、少女は、スモーから話を聞いたのか見た目の雰囲気のせいか明らかに敬遠されていた。


 いいや、こないほうがエリックにとってはありがたかっただろう。

 むしろ、十歳未満の子供に自分のことをこわいおにいちゃんなどと呼ばれながらも、一緒に遊ぼうなどといわれるほうが、対応に困ってしまう。

 

 慣れないというか、何をすればいいのかわからない。エリックにとって、得意なことが殺害であれば、苦手なことは、子供と遊ぶことだといってもいいだろう。

 

 結果、子供たちから逃げるように礼拝堂へとやってきた。


 騒がしい食堂とは違い、礼拝堂は閑散としている。

 けれど、無人ではなかった。


 剥がれた屋根から差しこむ日光が、丁度よい具合にネラの姿を照らしている。

 彼女は地べたに膝をつき、彫像に向かって祈りを捧げていた。


 最初、エリックは彫像を見たことがあると思ったが、いまなら、その理由もわかる。何せモデル本人に出会ったことがあったのだから、既視感なんてあって当然だ。


「……あら。エリック君。いたのね。全然気づかなかったわ」

  

 祈りを済ませたらしいネラが瞳を開き、こちらの存在に気づく。足音もなく、息も最小限にしていたため、他者がいるとは思わなかったのだろう。

 強く意識しているわけではなかった。けれど、エリックは、戦うときを除き、相手に気配を悟られないように自然と振るまっていた。


「邪魔したようで悪い。あっちは騒がしてくてな」 

「子供と一緒にいるのが落ちつかないのかしら?」

「……理由がないかぎり誰かと関わるのは、苦手だ」


 相手が子供であればなおさらだ。五歳未満など思考力がまだ充分に育っていないので、会話の受け答えが上手くいかないことだってままある。

 

「……リリアに懐いてる幼児は、戦争孤児だったな」

「他の子もほとんどは同じよ。帝国が小さな国と戦争ばかりするせいで、一番近くて土地の広い王国に難民が逃げてくるみたい」


 その国が他国へ戦争をしかけはじめたのは十年ほど前。皇帝が新しくなってからだそうだが、世界が滅亡するのと何か関係があるのだろうか。いまはまだ数えきれないほどある可能性の一つでしかない。


「そのせいかしら。去年から、ルイス王国が高い税を敷いてるのは、移民たちを受け入れないようにする対策の一つだっていわれてるわ」

「詭弁だな。逆に税が高くなったせいで、元々住んでいた国の人間が払えず、住処を追われて盗賊になってるやつらもいる」

 

 事実、道中エリックもそういった輩に襲われた。元々住んでいる自民の生活が保障できなければ、治安など悪化するだけだ。


「村だって、収穫物を金に変えたり、税としておさめているって聞いた。不作や飢饉ききんが続けば。餓死がしする人間だって出てくるんじゃないのか」 

「ええ。そして負担は、貧しい人たちや身寄りのない子供たちへとくるのよ」


 ネラは、ため息をはくと疲れたように笑う。

     

「……元々は、街の中心にある教会が孤児院の役割も兼ねていたの」

「移転したっていうわけじゃなさそうだが」

「ルイス王国にある教会の方針が変わったのよ。孤児院は廃止。自分たちの立場を守る肥えた聖職者たちには、エクス様の教えは曲解することしかできないみたいね」

 

 ネラは端正な表情を歪め、皮肉ったような言葉を口にする。

 それで、だいたいの事情は予想できた。

   

「だからあんたは、独立して孤児院を経営してるのか」  

「よくわかったわね。何かのスキルかしら」

「具体的で声に嫌悪感が伴ってた。それで、もしかしたらと思ってな」


それに、教会にいる大人はネラしかおらず、設備だって満足にそろっているとはいえない。ここまでくるとスキルなどなくとても、予想くらいは可能だ。

 

「……そうね。つい、本音が漏れてしまったわ。子供には悪影響ね」

「なら聞かなかったことにする」

「あら。大人みたいな対応ね。本当は私よりも年上だったりするのかしら?」

「この見た目で、そうだったらかなりの若作りだな」


 実際のところは、どうなのだろう。

 エリックは生前の享年についてはっきりとはいえない。なんとなく、いまの自分ほど若かったり、老人ではなかったといえるくらいだ。  


「だけど、この街はまだ恵まれているほうよ。古い教会を勝手に使っても何もいわれないし、子供たちには、一食とはいえご飯をあげることができる。じゃなかったら、孤児院の運営なんてとてもじゃないけど、成り立たないわ」

「スモーは、盗みを働いていただろ」

「あの子なりに孤児院のためを思っての行動だったみたい。少しでもみんなの生活が楽になるようにって。決して褒められたことじゃないけどね」


 けれど、そういうネラの表情は、どこか優しげだ。先ほどまでの怒りによる笑みではない。

    

「それにもう少しで裏庭で育ててる畑の野菜が収穫ができるの。そうしたら、保存食にして、冬に向けての蓄えができるわ」

「よく盗まれないな。自衛手段があるとはとてもじゃないが思えない」

「敷地内にあるおかげね。あと、こんなところ、探したって価値にあるものがないから誰もこないのかもしれないわ」

 

 本当にそうだろうか。何かがひっかかる。

 思えば、ここの孤児院の周囲にだけ子供たち以外の人気がない。市民はもちろんのこと、貧民や柄の悪い人間たちもだ。


 まるで不可侵の領域。最近は裏道のような場所を紹介する人間もいるといったが、何か関係が――裏道を紹介する?

     

「孤児院にいる子供たちは通行税を払えたのか?」  

「いいえ、だから、にお願いしてもらって、中に入れてもらっているわ」

「ハシワタシ?」

「裏道を紹介してくれる業者のことよ」

「……孤児院には金がないんじゃなかったのか」


 税金よりも高いと抜け道を案内する意味はあまりない。しかし、それでも、慈善事業で行っているわけではないだろう。

   

「彼の所属している組織、私はその集団たちと繋がりがあるの。だから、お金がいらないのよ」

「……ああ。なるほど。合点がいった」


 ネラはこの街で独自の繋がり、後ろ盾があるらしい。なぜ、この孤児院が安全なのかに落ちた。


「正確には、一員じゃなくて協力関係ってところかしら。時折力を貸す代わりに、お金をもらって、あと孤児院には手を出さない。そんな内容ね」 

「……力を貸す、か」


 内容については、深く詮索しないほうが、懸命なのだろう。エリックはあくまでも孤児院に深く干渉するつもりはない。 


「たまにあちら側から、孤児の面倒を見てくれっていわれることもあるわ。スモーのその一人。多分だけど、彼らもこういった場所があるのが都合がいいのでしょうね」


教育をされていない子供は、自然と短絡的な思考に陥りがちだ。それこそスモーのように盗みを行う。 

 ネラの後ろ盾となっている集団は、違法な行為をしているのかもしれない。けれど、幼い子供たちを違法な手段に使わず、衣食住の場を提供している。  


「おかしな話だな。秩序を守るはずの国の政策は、情勢が不安定になっていくだけで、違法をしている手段のほうが、治安の向上に努めているなんて」  

「難しい言葉や教会、いいえ、社会のこともよく知っているわね。領主の息子ってことは、あるていど勉学も身につけていたのかしら」

「そうかもしれないが、何度もいうが、記憶は曖昧だから、よくはわからない」  

「そういうことにさせてもらおうかしら」


 ネラの瞳は、真っ直ぐこちらに向けられている。

 穏やかなものの言葉や口調には、疑いが混じっていた。

   

 怪しまれているのだろうか。それともいままでの会話で、不審に思われるところがあったのか。そもそも記憶喪失という言葉を信じていないのか。

殺伐とはいわないが、長居はしないほうがいいのかもしれない。エリックがそう思っていると、

 

「お待たせしましたエリック様」


 丁度いいタイミングでリリアが礼拝堂にきてくれた。先ほどまで一緒にいた白い髪の子供の姿はない。


「待ってはないが……。もう大丈夫なのか」  

「はい。クラちゃんも寝ちゃったので、他の子にベッドへ運んでもらいました」


 クラというのは、白い髪の子供のことだろう。寝顔を思い出したのか、リリアは優しそうに笑っている。


「エリック様。それでですね……」


ところが、その顔が急に曇り、口ごもる。

   

「クラちゃん、あっ。わたしと遊んだ白い髪の女の子と明日も会おうって約束してしまいまして……」

「ああ。それが?」   

「エリック様。よろしいですか……?」


 おそらく、エリックに許可をとらず勝手に約束をしたことにたいし、負い目や罪悪感のようなものを抱いたのだろう。

 てっきり何かトラブルがあったのかと思ったが、違った。拍子抜けしたといってもいいかもしれない。

  

「俺に聞かれてもな。ここの孤児院を運営しているのはネラだ。彼女さえよければ、構わない」 

「ネラ様……」 


 リリアが、心配するようにたずねているが、それは杞憂きゆうのはずだ。

  

「こちらこそお願いするわ。明日もきてはもらえないかしら」

「はいっ! もちろんです!」

 

 ネラが笑顔で頷くと不安げだったリリアの顔がぱぁっと輝く。

 これで、明日のみならず、しばらくの間通い続けるのだろう。もしかすると街を離れるまでずっと。

 彼女ならば自分と違って、孤児院の人間全員と良好な関係を築くのは難しくない。いや、もう既にそうなっているのかもしれない。


 エリックにとっては、そのほうが返って都合がよかった。


 回復のスキルはたしかに強力だが、リリア本人は、非力であり、いざという危険のさい、守ることができない。


 ならば、いっそのこと、彼女を孤児院に預け、自分は世界を滅ぼす原因を探す。


 そんな可能性だって、エリックは視野に入れていたのだから。





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