17話 祈りを捧げる神の名は
こないと決めていた場所に今日もくるとは。少々不思議な感情をエリックは抱く。
「リリア。この教会にきて何か感じないか?」
「いえ、特には何も……。あっ。街の中心にも教会がありました。あっちのほうが新しいですよね。こちらと関係があるんですか?」
「……あるかもしれないな」
けれど、それはエリックが求めていた答えではなかった。
孤児院を目にした途端、昨日と同じような不調を覚えたが、やはりその現象は、自分にしか起こっていないらしい。
ただ、胸のしめつけや動悸も最初にきたときに比べるとずいぶんと緩和している。慣れなのだろうか。次第にだが、気にするほどでもなくなってきた。
「ただいまー。シスター」
「あら。ユユがつれてきてくれたのね。ありがとう」
「もう一人しろいおねえちゃんもつれてきたけどいいよねー?」
「ええ。お客さんは大勢いるほうが、賑やかでいいわ」
教会の入口にはいたネラは、駆け寄ってきた子供をひき寄せ頭を撫でる。
「昨日はお騒がせしてごめんなさい。えっと、あなたの名前は……」
「エリックだ。あんたはネラだったけか」
「ええ。そっちの子は?」
ネラの視線が、エリックの隣にいたリリアへ移動する。
「わ、わたしは、リリアといいます。エリック様の従者です」
「従者? 彼は騎士か貴族なの?」
「どうだろうな。記憶がないから、たしかなことがいえない」
「記憶がない……?」
さらりとした口調でそういったエリックにネラは眉をひそめる。
「エリック様は、村を統治するウォルター家のご子息でした。その村は火事にあって消滅しまいましたが……」
「そう。大変だったわね……。家族や親族は? この街に頼れる人は?」
「わたしは……誰もいません」
「俺のほうも記憶がないからなんともいえない」
これは事実でもあり嘘でもある。本当のエリック・ウォルターであれば、頼れる人物がいるのかもしれないが、別人であるエリックにはわからない。
あまり探られないうちに話を逸らしたほうがよさそうだ。
「ただ、この二日は宿屋で生活してる。幸いなことに手持ちには余裕があるからな」
「そうみたいね。お金のことはありがとう。本当に助かったわ」
「……こっちが勝手にしたことだ。昨日もいったが、好きに使ってくれ」
「本当にいいのかしら。こちらとしてはありがたいのだけど……」
「手持ちにはまだ余裕がある。寄付みたいなものだ」
お礼をいったのだから、ネラも満足しただろう。なので、リリアをつれてすぐに孤児院から去ろうとする。
けれど、その前に彼女から、次の発言があった。
「それなら、お昼をごちそうさせてもらえないかしら」
相手からの思わぬ提案にエリックは耳を疑う。
お礼というのは、てっきり言葉だけだと思っていた。この孤児院は、子供に盗みの判断をしてしまうほどお金に余裕があまりない。一食とはいえ二人を過剰に受け入れるのは、お金の浪費でしかないだろう。
「いいんですか? その、失礼ないいかたですが、あまり生活に余裕がないのでは……?」
「二人の一食分なら、もらったお金の一握りくらいだわ」
エリックの心情を代弁するようにいったリリアにたいし、ネラは苦笑の混じった微笑みを浮かべる。
「それに、みんなもあなたにお礼をしたいのよ。エリック君」
ネラのしようとしていることは、損得を考えれば明らかに損の部類に入る。
けれど、彼女なりの矜持というか、口にしていた通り、エリックの奇行にたいするお礼の一種としての結果が、食事をごちそうするという形なのかもしれない。
「エリック様は孤児院の人たちに慕われているんですね」
そうだろうか。慕われている人間に、こわいおにいちゃんなんて、呼ばれないだろう。愛称というかもはやただの蔑称だ。
迷いはしたものの、結局、エリックはネラからの提案を受け入れることにした。
ここまできた以上、食事をするもしないも大差ないだろう。それに、まだ昼食をとっていないので、ついでにはなる。
「ささっ。入って、入って」
ネラにつれられ、二人は孤児院である教会に入っていく。
礼拝堂だろうか。中は、閑散としていた。剥がれた天井からは日光が差しこみ、壁などは木材で補修されている。
「かなり老朽化が進んでるな」
「これでも綺麗になったほうなのよ? 数十年間使われていなかったから、最初は埃まみれで……」
いわれてみれば、古い染みこそあるが、埃やカビは一つもなく、掃除は行き届いている。奥に飾られている女性の彫像も同じだ。
「……?」
エリックはその彫像に既視感を覚える。街にあった新しい教会には一歩として足を踏み入れてないにも関わらずだ。
グルブにきてから――いいや彫像を見るのはこれが初めてだ。表現するなら、この女性の顔に見覚えが――
「っと、ご飯の前にする話じゃないわね。こっちよ。ついてきて」
「エリック様。何かありましたか?」
「……いや、なんでもない」
ネラとリリアに声をかけられ、エリックは、中庭のほうへと移動する。
礼拝堂の他には、建物が二つほど。片方がネラや子供たちが生活している場所らしい。
一つは食堂だった。奥に厨房があるのか、煙に混じり、パンを焼き、肉を煮こんでいるような匂いがしてくる。
古い長机と椅子。空席はいくつもあるが、合計で数十人ほどの子供が座っている。 そばかすの少年、たしかスモーだっただろうか。彼と目があうと露骨に視線をそらされた。
「エリック様。あの子に何かされたのですね」
「どちらかというとされたのは俺のほうだ」
財布を盗まれ。さらにいえば、スキルで視界を遮られた。被害だけでいえば、こちらのほうが大きい。
「あの子に悪気はないの。だけど、ここにくる前は、盗むことで生きていたから」
「ああ。仕草が手慣れていたな」
体に染みた経験は、そう簡単には消せるものではない。お金を得るという手段を考えたとき、どうしても慣れた方法をとってしまう。
「ただ、よほど
注意というより、忠告のようになるのは、生前に見聞きしたことのか、経験したことがあったのかもしれない。
「今回のことは彼にとってもいい教訓になったと思うわ。エリック君のおかげで、自分のしていることが、どれだけ危ういことが自覚したはずだから」
「軽く脅しただけだ。なんなら、いまのように盗む行為をした人間が暴力にあったり、そのまま殺された話をするか?」
「やめましょう。エリック様。反省している子供に不要な恐怖を与えるのはそれこそ暴力です」
「心配するな。冗談だ」
「エリック様が冗談……?」
リリアから信じられないようなものを見る視線を受ける。エリックだってときたまであるが、軽口をいうことだってある。
「あの、わたしにもお手伝いできることはありませんか?」
「大丈夫よ。そろそろできると思うから……。ほら」
ネラが視線を向けた厨房から三人の少年、少女が出てくる。
トレーには、黒いパンとスープ。運んでいる二人の少年と一人の少女は、エリックやリリアとそう年は変わらないほどに見えた。
「やったー! 今日はパンだー!」
「まだ一週間も経ってないのにオートミールじゃないなんて珍しい……」
子供たちのはしゃいでいる声を耳にしながら、エリックとリリアは、空いている席へ適当に腰をおろす。
「みんなそろってるみたいね。じゃあ、食事の前にいつものお祈りをしましょう」
ネラの声とともにリリアも含め、全員が両方の指を絡め、目を閉じる。
廃れているとはいえ、ここは教会でありネラはシスターだ。であれば子供たちに宗教の教えを尊重させるのは息をするように当たり前のことなのだろう。
普段は祈りなどしないエリックだが、周囲が見えるていどに目を薄く閉じ、何があっても対応できるくらいに両方の指を軽く組む。
祈りを捧げる相手などいない。けれど、こういうとき、周りとあわせるくらいの協調性はあった。
「数えきれないほどの
ネラの言葉を全員が反復する。
そして、と最後に彼女はいった。称えている神の名前を。
「エクス様に感謝を」
(……エクス?)
口にはしなかったもののエリックは、動揺していた。
それもそうだろう。
まさか、自分をグルブに送った存在の名前が、出てくるだなんて、思うわけがなかった。
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