14話 古い教会

 子供は、軽い足どりで歩いている。盗みを行ったあと、焦って逃走をしないあたり、手つきも含め、普段から慣れているのだろう。


 だが、追いかけていることが発覚すれば、さすがに子供も逃げるために走る。

 土地勘のないエリックでは、地の利を活用されると、相手を見失う可能性が高い。

 

 相手に気づかれないようにしなければならない。そのため、エリックは、走らず、騒がず、相手の視界に入らないように努める。


 それでも見つかる場合もあるが、今回は運がよかったらしい。 

 子供は、どんどん街の外れのほうへと向かっていく。次第に人気が減っていき、壁の汚れやシミが目立つ。じめじめとした空気は、陽当たりが悪い証拠なのだろう。

  

 裏路地に入ると、他の人間に出会うことがなかった。あえて、子供はそういった道を選んでいるのかもしれない。仮に仲間がいるのなら、合流でもされる前にお金をとり返したほうがよさそうだ。


 エリックは子供に忍び寄っていく。そして、あと一歩で服に手が届く直前。


「……えっ? ちょ、なっ!?」


 なんの前触れもなく、子供が振り返ってしまった。


 エリックは、息も足音も殺していた。何かしらの気配を悟られてしまったのか、偶然後ろを向いたのかはわからない。

 子供はあからさまに混乱していたが、エリックの目的が、盗った財布をとり返すということは、瞬時に気がついたらしい。


 突然エリックの視界が白い煙に遮られる。


(ガスか!?)


 エリックは、息を止め、反射的に買ったばかりのナイフに手を伸ばそうとしたが、すぐにその手を止めた。


 子供はもう目の前にはいなくなっていた。

 というよりも、二、三十メートル先で、全力疾走していた。


 煙もすぐに消える。範囲も数メートルほどだったし、息を止めていたため、エリックの体に害はない。 

 煙は子供がもつスキルだったらしい。反撃してこないところを見ると毒はなく、逃走手段でしか活用できないのだろう。


 だが、念のため、エリックはデッドコピーを使用し、拳銃を出現させる。


 一本道だったため、子供のあとを追うことは難しくなかった。

 

 行きついた先は荒れた教会だった。天井も壁も一部が崩れ、見るも無惨な有様となっている。

 エリックは腰ほどの高さにある門を開き、敷地へと入る。


「う、うごくな!」


 子供は教会の入口にいた。荒い息をはいているのは、走ることに疲れただけではないのだろう。

 緊張しているその手には、ナイフが握られていた。


「……」

 

 エリックは子供を冷ややかに見つめる。 

 

「く、く、くるな!」

 

 子供の手は震えていた。きっと他人を傷つけるということ行為に慣れてはいない。

  

「……大人しく金を返してくれれば危害は加えない」  

「ダ、ダメだ! この金は僕のモノだ!」


 盗んだものに所有権を主張してくるのは、おかしな話ではないのかとエリックは思った。いや、見た目十歳ほどの子供に所有権などと説明しても理解できないか。もっともいまの自分も子供と呼ばれる年齢なのだが。


「もう一度だけいう。怪我をしたくなかったらその金を渡せ」

「い、いやだッ!」


 エリックの警告に子供は、なおも首を横に振る。

 手だけではなく、足も震えている。ここで銃弾を放てばかすり傷でも相手の戦意は消失するに違いない。


 正確にいえば子供はエリックを怖がっているだけではないのだろう。

 凶器を他人へ向ける。人を傷つけることができるというのは、慣れや環境、それに一種の才能だ。普通は、自衛であろうと何かしらの抵抗感がある。

 

 なのに、子供はいまにも落としそうなほど手を震わせながらナイフを落とさない。恐怖心があるはずなのに意志だけは揺らぎがない。 

 

「……素直に返せば、一部なら、その中身を渡してもいい」


 気づけばエリックはそう口にしていた。

 

(……待て。俺はいまなんていった)


 とうのエリック本人が、自分の言葉に驚いていた。


 らしくもなく、同情でもしたのだろうか。

 子供は、服装からして、明らかに貧困者だ。なんの解決にもならないが、数日分くらいの食費であれば少しくらいであればわけてもいい。それくらいなら大したお金にならないと、そう思ったのかもしれない。


「ダ、ダメだ! 少しだけじゃあ、足りないんだっ!」


 だが、違った。自己中心的ではあったが、子供が盗みを行ったのは、そんな身勝手な考えではなかった。

    

「孤児院は僕が守るんだッ!」 

   

(孤児院)


 幼いせいか、興奮しているせいか、子供の言葉は、前後の文脈が繋がっていない。


 だが、孤児院。その言葉にエリックの心は強い衝撃を受けた。 

 呼吸は通常で、体調に何か異常なところは感じられない。

 けれど、動悸が激しくなる。胸の奥底が、締めつけられたように痛んだ。


「僕たちにはお金がいるんだよ! あんたみたいに裕福じゃないんだ!」

 

 エリックを盗みの標的に選んだのは、骨とう屋を眺めていたからか。それか武器屋、あるいは、宿屋から出たところを目撃されたのか。


 子供がなおも声を荒げるのは、自らを鼓舞するためなのかエリックを萎縮いしゅくさせるためだったのか。もしかするとその両方なのかもしれない。

 けれど、喉が枯れそうなほどの声は、当然のことだが、周囲にも反響する。


 ぎい、という音が聞こえ、教会の扉が開く。

 出てきたのは、何人もの子供だった。


「あっ! にいちゃんが帰ってきてるー」

「あれ、そこの人、だぁれ? 新しいかぞく?」

「……なんだか怖い」

 

 年は五歳から十歳ていど。多少の違いはあるが、服は、ほつれていたり、穴が開いていたり、全員綺麗とはいいがたい。エリックが大通りで見かけた一般の市民に比べると身なりが整っているとはいえないだろう。


「みんな、そんなに騒いで何かあったのかしら?」


 子供たちしかいないと思っていたが、奥から一人の女性が出てくる。

 

二十代後半くらいだろうか。手と顔以外の皮膚を黒い服で隠し、青い髪は男性のように短いが、声と体つきから女性なのはわかる。

周囲の子供たちに慕われているところを見ると、彼女が、この教会の管理者なのだろうか。


「あら、あなたは……?」 

「そこの子供に財布を盗まれた。だからとり返しにきただけだ」   


 エリックが単刀直入に用件を伝えると、案の定、女性は眉をひそめた。


「……それは本当かしら」


 懐疑かいぎ的な声。当然だろう。いきなりきて、知りあいを泥棒だといわれたのだから。

 

「ああ。証明として、その財布に入ってる金をいえばいいか? スキルを使っているといわれてしまえば、反論はできなくなるが」 


 原因不明な精神の不調はいまだ続いていたが、あくまでも平常を装いエリックは、返事をする。


「……そう。わかったわ」 


 女性は子供に近づくと、しゃがみこみ、視線を彼と同じ高さにあわせる。


「スモー。そのナイフをおろしてくれない?」

「だ、だ、だめだ。ネラ。だって、そうし……」

「おろして」

   

 子供は何かいおうとしたが、しどろもどろになり、ナイフがぼとりと地面に落ちる。

    

「前にもいったわよね? 人の物を盗むのはいけないことだって」

「だって……。ネラ。こいつ、金持ちがよくいる店から出てきたから、金があるかと思って……」

「それは人からお金を盗む理由にはなっていないわ」


 女性――ネラの声は大きいわけではなかったが、盗みを行った子供にたいし、たしかな批難はこめられていた。

 子供は叱られたことで、いまにも泣きそうになる。

 けれど、険しい表情をしていたネラがふっと優しく微笑む。

 

「ねえ、スモー。あなたが孤児院のために頑張ろうとしてくれたことは、とてもうれしいの」

「う、うん……」

「だけど、方法を間違えてはダメ。そんなことをされても私たちは誰も喜ばないわ」

「ご、ごめん。ネラ」 

「シスター。スモーとケンカしないで……」

「ううん。そうじゃないの。とても大事なことをスモーに教えていたの」


 ただならぬ空気を幼いながらに感じとったのだろう。五歳ほどの少女にネラは穏やかな笑みを浮かべる。


 その光景は、部外者であるエリックにはとても眩しい光景だった。眩しすぎて直視するのをためらってしまうほどに。


 その視線が、エリックのほうへと向く。


「ごめんなさい。この子のしたことをどうか許してあげてはもらえないかしら」 

「ご、ごめん……」

 

 ネラがスモーと呼んでいた子供は、謝罪の言葉を口にし、財布を返そうとする。

 これで、エリックは本来の目的をはたすことができる。

  

「いや、いい。気が変わった」


 けれど、その手を遮った。


「えっ? でも、そのお金はあなたのものでしょ」

 

 驚いたのは子供ではなく、ネラのほうだ。とり返しにきたといっていた人間が、急に真逆のことをいったのだから、もっともな反応かもしれない。

  

「そうだ。だが、いらない」

「……気が変わったにしては、中身が多い過ぎると思うわ」  

「気紛れでも施しでもなんでも構わない。俺には、その金が必要なくなった」

「だ、だけど……」


 ネラは、子供のもった財布を見たまま狼狽うろたえている。納得していないのだろう。

 だが、エリックにとっては、どうでもいいことだった。

 

「えっ? ちょっと、あなた!」


 彼女が続きの言葉を発する前に、教会から背中を向けてその場をあとにしたのだから。

  

「待って! まだ話は――――」


 ネラが何をいっているのかエリックはよく聞こえなかった。おそらく、呼び止める類いのものだろう。


 けれど、どんな言葉でも立ち止まるつもりはなかった。  


 店などが建ち並ぶ通りにまで戻るとエリックはようやく走るのをやめる。


 そして後悔した。自分は一体何をしているのかと。


 お金をとり返しにきたはずが、なぜか全額渡してしまっていた。しかも、孤児院の代表が拒否しているのにだ。こんなもの善意の押し売り、どころか渡したほうも理由がはっきりしていないのだから、どう表現するのが正解なのか。

 

 そう、エリックにもわからない。なぜ、自分があんな行動をしたのかと。


 いいや、心当たりはあるのだ。おそらく、生前に関係があることくらいは想像がつく。というよりも他にはまるで見当がつかない。    


 ただ、たしかめることができない。エクスのいっていた破損のせいか、生前の自分にたいする記憶を強引に探ろうとすると頭がつぶれてしまいそうな頭痛に襲われる。  


 とはいえ、痛みを我慢し、必死になれば、一部だけでも、思い出すことはできたのかもしれない。


 けれど、当のエリック本人が、それが一番無理なことがわかっていた。

 

 堪えられなかった。きっと手足の一つ吹き飛ばされても戦うほど痛みには強いのに、これ以上の記憶を探ることに自分は拒否反応を示している。

 

「……ふぅ」

   

 矛盾した行動について、しかたがないとエリックはそう割り切ることに決めた。

 どのみち一度行動した結果を変えることはできない。最悪なくなることを想定していたお金だ。子供に盗られた時点で諦めたと思えばいい。


 もっとも孤児院な人間があの金をどうするのかまではわからない。

 もしかすると放置したままかもしれないが、困窮こんきゅうしているのであれば、普通は使うだろう。


 崇高すうこうな精神を最後まで貫ける人間なんて、そうはいないとエリックは思う。


 それは一見すると美徳なのだろうが、褒められたことでも尊敬できることもない。


 意地をはったが挙げ句、死んでしまっては、元もこうもない。


 理由はわからないが、そんな頑な主張がエリックの胸の中に強く存在していた。

 


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