第16話 セミナーⅢ
「それで、あなたは煩悩を滅却することができたんですか?」
それは、田口君の声だった。
大山が、怪訝そうに眉をひそめて、田口君をにらんだ。
会場の者たちが、田口君に注目した。なぜか、あの絵の中の
者たちも、田口君を見ているようだった。
「自我を滅却して他人に奉仕する、なるほど、大乗仏教の考えにのっとった教えのような気がする。でも、その他人とは、誰のことでしょう?もしかすると、あなたがその『他人』ということになるのかな?」
会場の人々が、一斉に田口君の方を見た。急いで僕は、バッグの中のスマホを取り出し、動画の撮影を始めた。
それを見た近くの係員が、足早に僕に近寄ってきたので、「私に触ったら、暴力を受けたとみなしますよ!」と言って、差し出してきた手を振りほどいた。僕は、とっさにバックの中の、包丁がくるまっているタオルを握りしめた。
するとなぜか、田口君の前にいた人が、自分のスマホを取り出し、僕に向けてきた。彼も動画の撮影をしているようだった。
それでもかまわずに、僕を制止しようと手を出してくる係員を、僕の後ろに座っていた男が、後ろから抱き着いて制止してくれた。
田口君は、立ち上がって、声を大きくした。
「大乗仏教の、自我を滅却するという教えを都合よく利用して、滅私奉公する、羊のような人間を作り出し、己に奉仕させようとしてるのではないですか?」
と言って、大山を指さした。
「お前は何者だ!」
と、大山は叫んだ。
かまわず、田口君は続けた。
「病気や人間関係やお金で苦しんでいる人を、苦しみから解放するかのような誘い文句でおびき出し、トレーニングという洗脳をして、自分の言いなりになるようにする。滅私奉公をさせ、お金を差し出させ、体まで差し出させる。弥勒仏は、そこまでしないと救ってくださらないのかね」
「誰がそんなことを言った。私は、皆さんが救われるために、全力で手助けをしているのに、邪魔をするのかね。皆さん、こういうのを、第六天の魔王というんです。こういうやつの言うことを聞いて、地獄に逆戻りしないよう注意してくださいね。さあ、こいつを排除しなさい!」
と言うと、残った2人の係員が田口君に近づこうとした。
が、聴衆の内の2人が動いて、その係員を取り押さえてしまった。なぜか、僕らに仲間する人が何人かいるようだった。
「第六天の魔王か。信長みたいでかっこいいじゃないですか。私が魔王なら、あなたは何なんですか?まさか、自分が弥勒仏そのものだなんて言い出さないでしょうね。苦しみにあえいでいる人たちから、金を巻き上げ、滅私奉公させ、挙句の果てに女性を手籠めのするような弥勒仏なら、まだ魔王の方がましだ」
田口君のことを録画しながら、訛らないで話していることを不思議に思った。と同時に、こんな感じで大山を怒らせてしまって、めぐみに会えるようになるのかと不安になった。
「大山さん、あなたはもう終わりです。あなたは教祖ではなく、犯罪者だ。おのれの煩悩の深さを思い知って、刑務所の中でしっかり反省してください。ナムアミダブツナムアミダブツ」
そう言って手を合わせる田口君へ、入り口に立って事態を見守っていた狐川が、つかつかと歩み寄ってきた。
「さあ、こちらへ」
狐川が右手を差し出した。
逃げると思っていた田口君は、予想に反して、その手を握り、僕の方に振り向くと、こう言った。
「さあ、行ぐど!」
訳の分からなくなった僕は、とりあえず田口君の後に続くしかないと思い、その後を追った。
僕と田口君と狐川は、呆然としている聴衆を後にして、会場の出入り口から、外へと走った。外は土砂降りの雨だった。かまわず僕らは走った。誰かしら、後から続く気配があった。
「めぐみはどうするの?」
と僕が訊くと、
「めぐみさんのところへ行きます」
と狐川が答えた。
気が付くと、僕らの周りに、妙な姿かたちをした、牛やら馬やら、聖火のように燭台を手に掲げている人などが、「うう、うう…」と、呻きながら、僕らに寄り添って走っていた。それはあの、『ゲルニカ』に描かれている者たちだった。ただその中に、なぜか羊の着ぐるみを来た人も走っていた。その着ぐるみの背中には、黒い星マークがついていた。どこかで僕は、この、人だか羊だかを見たことがあるような気がしたが、それがどこかは思い出せなかった。
これは夢なのだろうか、という思いが一瞬浮かんだ。走った先には、あの睡蓮の沼があるのかもしれない。
その時だった、後方から、一発の破裂音がした。
振り返ると、あの、熊野という女が,右手に何か黒いものを持って、こちらに向けて構えながらこちらに走ってきていた。
「裏切者、この裏切り者!」
さらに破裂音が2発、立て続けに響いた。
まさか、拳銃!
僕たちは、さらに走りを速めた。
気が付くと、あの妙な姿かたちをした者たちは、見えなくなっていた。
遠ざかってから後ろを振り返ると、2人の男に取り押さえられている熊野の姿があった。
さらに行くと、駐車場の隅に、黒い10人乗りのワゴン車が停まっていた。
ワゴン車を開けると、そこにはめぐみがいた。
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