第14話 セミナーⅠ
「もしもし、中根君け?いやぎりぎりになっちって悪いね。明日、行けるからだいじょぶだ」
田口君からの第一声を聞いて、急に体から力が抜けた。スマホを耳にあてたまま、僕はベッドに倒れこむように仰向けになった。ベッドの端で丸くなっていたカフカが、驚いて飛び降りた。
「檀家さんの一周忌はだいじょうぶなの?」
「ああ、何とか代わりに出る人が見つかったから。とりあえず、9時くらいにそっちさ行ぐから、乗り合わせでいぐべ」
「わかった。恩に着るよ」
「んでも、入る時は一緒だとまずいから、別々がいいね。知り合いだって気づかれると、怪しまれるから。それと、ぞうさんはどうすんのかな?」
「それが、コロナにかかっちゃって、来られないんだ」
「え、そうなの?それはかわいそうに。でも、二人だけの方が、動くときは楽かもしんないから、かえって都合がいいかもね」
「で、セミナーで、どうすればいいのかな?」
「うん…」
と言ってから、田口君は少し間を置いた。
「まずは、知り合いであることを隠して、なるべく近くに座ろう。最初の、教祖の講演の時に、タイミングをはかって、発言する。おそらく、警備をしてる人が僕らを排除しようとすっから、『体に触ったら暴力とみなして訴える』ということを言って抵抗する。そん時に、中根君は携帯で動画を撮っておいてくれっけ?」
「わかった」
「そして、めぐみさんに会わせろということを訴える。そこは、おいらにまかせてもらって、絶対に合わせるように仕向けるから、そこまではまかせてくれ」
「うん」
と言ってから、いろいろ質問したいことがあったが、とにかく今は田口君に任せるしかないと思った。
「ねえ、中根君は、使わなくなった、古いスマホは持ってっけ?」
「2年前まで使ってたのがあるけど」
「そしたら、それ持ってきて。講演の前に、スマホ預けさせられるかもしれないから、そしたらその古いのを預ければいいから」
「なるほど、わかった。でも、持ち物検査とかするのかな?」
「おそらく持ち物検査はしないよ。ただ、講演を無断録画されるのを防ぐだけだから。あとは、めぐみさんと会ってからだね。なんとかその場で連れ帰れるようにしよう」
「うん」
と言ってから、僕は無性に不安になった。
「うまくいくといいね」
「だいじょぶだよ。ぜったいうまくいぐよ!」
「ありがとう」
「じゃ、明日9時に」と言って、田口君は電話を切った。
田口君とのやり取りを終えて、窓の外を見ると、もうすっかり暗かった。
僕は今までのことを振り返った。
大学を出て、生協に入り、めぐみと知り合った。
めぐみと結婚し、生協をやめ、僕はいくつかの会社を転々とした。それらの会社はほとんどすべて「ブラック」だった。
その間、めぐみは、自分の体が徐々に蝕まれていることを感じながら、それを僕に感じさせまいとして懸命に生きていたのだ。
そして、最後の土壇場でも、僕に心配させたくないということを優先して、僕に知らせずに、「セミナー」に参加してしまった。そのことは、とても悲しいし、やりきれなかった。
めぐみの選んだことだから、それが間違っているとは考えたくなかった。
が、やはりそれは間違いだ。
その間違いを起こさせたのは、この僕だ。
めぐみが、僕を心から信頼しているのなら、病気のことも、「セミナー」のことも、僕に話をしていたことだろう。
それによって、適切な解決方法が見つかるかと言えば、見つからなかったかもしれない。しかし、少なくとも「セミナー」に参加させはしなかった。もちろん、それがわかっていたからこそ、話さなかったのだろうが。
だからこそ、と僕は思う。
だからこそ、これからは、めぐみのために生きようと思う。
めぐみとの、本当の信頼を築くために。
たとえ自分がどうなろうとも、これからはめぐみのためにだけ生きよう。
気が付くと、僕はうとうとしていたらしい。
スマホで時間を見ると、もうすでに午後9時になっていた。
炬燵が置いてあるところまで行くと、炬燵の上に、買ってきた包丁が置いてあった。
僕は、一瞬どうしようかまよったが、やっぱりその包丁を、タオルにくるんでショルダーバッグに入れた。
次の日、田口君は、8時45分に僕のアパートについた。
ドアを開けてみると、一瞬、違う人が立っているのかと思った。
黒縁の眼鏡をかけ、ひげはきれいに剃られていた。グレーのスーツに、緑色のストライプの入ったネクタイを締めている。
「どうしたの、そんな恰好して?」
と僕が訊くと、
「うん、ほら以前、熊野っていう檀家のむすめの件があって、そのむすめには顔を知られてるから、おいらだってわかっちゃったらまずいでしょ。だから、変装してみたんだよ。どう、これならわかんないべ?」
と言って、田口君は、ねずっちです、みたいな恰好をしてみせた。
「いろいろご面倒をおかけします」
と僕は言った。
今日は、午後から雨が降り出すという予報で、朝からどんよりと曇っていた。国道六号は、それでも、日曜日の朝ということもあり、所々で渋滞が起きていた。
『未来会館』についたのは、すでに10時10分前くらいだった。
「駐車場の隅さ停めて、ひとりひとり別に出よう」と田口君は言った。
僕が先に車を出て、入り口の手続きを済ませた。
入り口のところでは、「スマホを預かりますので、電源を切ってお渡しください」という係員に従い、僕は、予定通り古いスマホを渡した。2人の係員のうちの1人は、例の熊野という女性だった。
会場は、高校の教室よりやや大きいくらいの広さで、そこに折りたたみ椅子が、間隔を広めにとって整列させてあった。
中には、約30名ほどがすでに座っていて、僕は後ろの方に座ることになった。僕の右前の座席が空いていた。会場の後ろと両脇にひとりずつ、計3名の、スーツを着た、警備係と思われる人たちが立っていた。
会場の前に、ひときわ高い演壇があり、その左右に「南無南無弥勒仏」という掛け軸が掛っている。その演壇の上に、「未来のために」という演題を書いた横断幕が掲げてあった。
ふと会場の右側の上の方を見てみると、何やら絵画らしきものが飾ってあった。またモネの『睡蓮』か、と思ったが、違った。それは、奇妙な形をした人や馬や牛などが苦しそうに天を仰いだり、横たわって断末魔の叫びをしているようなものだった。その上の方には、何やら電灯のようなものが光ってたり、燭台を持った手だけが浮かんでいたりする。
これは、ピカソの『ゲルニカ』という絵だ。でもどうして、こんなところに『ゲルニカ』なのだろう?
やがて、田口君が後から入ってきた。マスクをしているせいで、入り口の熊野という女性には気づかれなかったようだ。
僕は目配せをして、僕の右前の空席に座るよう合図した。
田口君は、ちょっとだけ微笑むと、右手を小さくあげてその席に座った。
どこからともなく、線香のにおいが漂ってきた。おそらく、盛り上げるための演出なのだろう。
来場している人たちは、女性と男性はほぼ半数だった。スーツ姿もいれば、ジーパンといったラフな格好の人もいた。やや年配の人の方が多い気がしたが、年齢層はばらつきがあった。目が見えなくて手を引かれて入ってくる人や、松葉杖をついている人もいる。
やがて9割がたの席が埋まった。
入り口のドアを閉めながら、一人の係員が入ってきた。それは、あの狐川という男だった。その狐川が、演壇に登った。
「皆さん、お集まりいただき、ありがとうございます。本日は、大山大先生の、直接の講演をお聞きいただくということで、大変貴重なお時間になると思います。皆さまのこれからの人生の転換点となるでしょうから、どうぞお聞き逃しのないよう、十分集中してお聞きいただけますよう、お願いいたします。なお、撮影や録音は、禁止となっておりますのでご注意ください」
それだけ言うと、演壇を降り、入り口のそばに立った。
しばしの沈黙が、会場に流れた。
突如、スピーカーから、お寺の鐘らしき音が3回鳴らされた。
鐘の音の終わりと同時に、入り口のドアが開けられ、一人の男がゆっくりと入ってきた。
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