第12話 貉の館

田口君のお寺から外へ出ると、霞ケ浦はすでに夕焼けに赤く染まっていた。

「んじゃ、明日あたり電話すっから」

と言って、田口君は軽く右手を挙げた。手を合わせて「ナムアミダブツ」とでも言われたらどうしよう、と思ったが、そういったところは全然お寺の住職らしくなかった。

「私は、平日は仕事だからしばらくかまってあげられないけど、何かあったら電話ちょうだいね」

といって、惣野はまた、コーヒー飴を舐めはじめた、が、僕にはもうくれなかった。


惣野を家に送ってから、車でアパートまで戻ると、カフカが目の前に出迎えてくれた。僕を見上げるカフカを見ると、体からふっと力が抜けると同時に、疲れがどっと出た。カフカの体を抱き上げ、ベッドまで行くと、そこに仰向けに倒れた。カフカを腹の上に乗せて体をなでていると、やがてねむりに落ちた。


次の日、東関ハイヤーから呼び出されて、退職の手続きをすると、その後、ハローワークへ行って、失業保険の手続きをした。アパートへ帰る途中で、ラーメン屋でラーメンと餃子を食べてから車に戻ると、田口君から電話が入り、明日、午後1時に、例の相談室の予約が取れたということで、一緒に行くことに決まった。11時ころに僕のアパートまで来るから、一緒に田口君の車で柏まで行くことになった。


翌日、11時5分前に、アパートの前に車の音がしたので、見てみると、緑色のフィアットが停まっていた。田口君が、車を降りてこちらを見た。窓から顔を出している僕に気づくと、手を振った。

僕が乗り込むと、田口君は車を出発させた。

「なんか派手な車だね」

と僕が言うと、

「ルパン三世が好きだったんで、つい買っちったんだ」

と言って、ニコッと笑った。


「昨日、カルト対策室の仲間に電話して、『未来の世界』についての情報がないかどうか聞いたんだ」

と田口君は話し始めた。

「おいらがカルト対策室を辞めてから、もう三年ほど経つけど、その間に、2件ほど『未来の世界』についての相談が来ている。1件は、1年ほど前で、50代の女性からの相談で、息子がここにはまって、お金を使い込んでいるらしいということで、対応したところ、息子の強硬な拒絶にあって、対策室としては対応を断念した。もう1件は最近の話で、40代の女性からの相談で、相談というよりは調査依頼のような感じなんだけんと、自分の姪が、どうやら教祖の大山にレイプされたらしいということで、真相を究明してほしいという依頼だそうだ。対策室としては、探偵に依頼して調査をしている最中だそうだけど、結構難航しているようだよ」

「調査って言っても、レイプされた本人が訴えてないと難しいんじゃないかな。証拠だって、どうやって探すんだろう?」

「そう。そこんところがネックだな。本人はまだ脱会してないから、教祖にレイプされたなんて言ってないそうなんだ。でも、相談した女性が、姪に会って話をすると、なんだか二人きりの部屋に行かされて、そこから先が記憶がないって話をされたらしいんだな。それも数回あったらしい。おそらく、記憶を失うような薬品を飲まされてる可能性があるから、そこからしっぽを捕まえようとしてるようだ」

「なるほど、用意周到な犯罪だね」

「そして、その調査の過程で分かったんだけんと、あの相談室の女、名前は、葉山みどりといって、教祖大山の妻の、大山郁のおばに当たるらしい。そして、おそらく『掘削工芸社』の役員だ」

「やっぱりつながってるんだ」

「相談所自体は、もうかれこれ40年ほどやってるらしいから、『未来の世界』を立ち上げる前からあるようだよ。そうとう年季がはいってんな!」

「一筋縄じゃいかなそうだね」

といったことを話しているうちに、車は柏市に入った。

通りすがりの道沿いに、『ラーメンカナリヤ』という看板をみつけ、「ここで食ってぐべ」と言った田口君は、車を駐車場へ入れた。


ラーメンを食べ終えた僕たちは、相談室の住所から携帯のナビを入れ、それを頼りに車を走らせた。

相談室は、国道を右に折れ、とある団地に入ったすぐのところにあった。やや黒めのグレーの一軒家で、入り口のところに、『相談室 貉の館』とあった。

「なんの館って読むのかな?」と僕が言うと、

「知んね。んでも、相談室って書いてあっから、ダイジョブだっぺ」と、田口君は言った。

そこから見える、道路のはす向かいのところにコインパーキングがあったので、そこに車を入れた。時間は、午後1時15分前だった。

「まだ早いけんと、行っちゃうべ。中根君はここで待っててくろ」

と言って、田口君は車を出て、すたすたとその家の門を入っていった。


車の中から家の門を見ていると、何やら動くものがあったので、それが犬だと気づいた。しかし、知らない人が出入りしても、吠えたり近づいたりせず、じっとしていて、時折犬小屋の中から外をのぞくくらいだったので、人が出入りすることに慣れているのだろう。番犬としては役に立たなそうだった。

田口君が入っていった門を30分くらいじっと眺めていると、やがて眠気が襲ってきて、いつの間にか僕は意識を失っていた。


気が付くと僕は、鳥になっていた。しかし、羽ばたこうとしても羽ばたけなかった。どうやら翼が傷ついているか、折れてるかしているらしい。

僕は、薄暗い森の中をさまよっていた。後ろから何か近づく音がするので、振り向いてみると、それは蛇だった。蛇は、こっちに向かってゆっくりと動いていた。その蛇がやけに大きく見えるので、自分がけっこう小さい鳥なのだと気づいた。蛇につかまらないよう、役に立たない翼をばたつかせながら、僕はジグザグに逃げ惑った。逃げても逃げても、蛇は後をつけてきた。やがて、前方に沼が見えてきた。近づくと、沼一面に睡蓮の花が咲いていた。立ち止まった僕に追いついた蛇は、「止まらないで」と言うと、僕の脇を通り過ぎて、その沼の中に入って行って姿を消してしまった。その声は、田口君だった。やがて、蛇がやってきた方面に、黒くて大きな動物が姿を現した。一瞬、クマのようにも見えたが、ほかの動物のようにも見えた。その黒いものは、ゆっくりと、首を左右に振りながらこちらに近づいてきた。何か強いものに締めつけられるような圧迫感が僕の胸を襲った。その時、どこか上の方から、「助けて」という声が響いた。めぐみだった。どこから聞こえたのかときょろきょろしているうちに、その黒い動物は、あと3メートルくらいのところまで近寄ってきた。意を決して、僕は沼に飛び込んだ。羽をばたつかせると、羽毛の中に容赦なく水が入ってきた。くちばしの中にも水が入ってきて、もう息ができないと思った。「ナムアミダブツ」と心の中で唱えると、どこかで犬が遠吠えするのが聞こえた、それはあの、東関ハイヤーの建物につながれていた、薄汚れた犬の声だった…


突然、ドアが開く音がして、田口君が車の中に乗り込んできた。

「だいじょぶげ?すごく苦しそうだけんと」

と言われて、時計を見ると、すでに午後2時15分だった。

「ごめん、つい寝ちゃったら、いやな夢見ちゃった。で、どうだった?」

「うん、うまぐいったよ」

と言うと、車の中に置いてあったペットボトルのお茶を一口飲んだ。

「んでも、予想とは違ったな。もっとなんか、裏表がありそうなばばあかと思ったけんとも、見るからにお人よし婆さんって感じで、俺が末期ガンなんだって言ったら、すごく気の毒そうな顔されたから、なんだか嘘ついてるのが悪いような気がしちゃったよ」

「そう。でも、セミナーには紹介されたんだ」

「うん。だいたい、めぐみさんの時と同じような流れだったね。ほんとは、『末期ガンは嘘でしたー、てか』って言ってやりたかったけど、そういう訳にもいがねーかんね」

「じゃ、そのお婆さん、自分が悪いことしているって思ってないのかもね」

「もしかすると、本気で世の中のためになってると思ってるかもな」

「だとすると、始末が悪いね」

「こういう問題は、始末が悪いのが当たり前だから。新興宗教とかは、はた目から見れば怪しい活動をしてる団体だけど、それをやってる人たちからしてみれば、世の中の人たちを救ってやりたいって思いでいっぱいなんだよ」

「ふーん、そういうもんか」

「うちの宗祖の、一遍上人って知ってるでしょ?もう何百年も前の話だけど、その当時は新興宗教だって思われてたよね。上人は、踊り念仏を広めたんだけんと、はた目から見れば、踊りながら念仏唱えてる人たちを見たら、『やべ、危ない人たちがいる!』って思っただろうからね」

「ちょっと近寄りたくないかもね」

「でも、本人たちからすれば、真面目そのものだからね。ただ、それを利用して悪いことする奴がいるから始末が悪いんだ。さ、行ぐか」

と、僕たちは茨城へと帰った。






 

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