第10話 檀家のむすめ

「修行の旅さ出たことは出たんだけんと、なんせ10代だからね。いろんな欲望が抑えらんないわけよ。お寺の住職の娘と駆け落ちしては連れ戻され、お寺の修業はジ、エンド。その後大阪でしばらく肉体労働だわ。30近くになって実家さ戻ってきたら、おっかは死んでるは、お父は激おこぷんぷん丸だはで、落ち着くまでが大変だったよ。でも、何とか跡を継いだと思ったら、お父もすぐに死んじゃって、一人っきりになりました。で、今は酒浸り。これが天才のなれの果てでーす、てか!」

ここで笑っていいのかどうしたらいいのかわからず、「はは」とだけ相打ちを打つと、惣野が言った。

「『てか』じゃないわよ。その娘となんで結婚しなかったの?」

「だって、旦那持ちだったから。その当時で、その女は30歳、おいらは20歳だったかな」

と言うと、田口君はニヤッと笑った。でもちょっと、どこか悲しげだった。

「ま、いろいろあったってことね。人間、40歳を超えれば、いろいろない方がおかしいからね」

といって、惣野は少し上の方を向いた。なんだか目が潤んでいるようだった。

「それはそうと、あんた、カルト対策のNPO法人にいたんでしょ。どうしてやめちゃったのよ」

「あー、そうだね…」

というと、田口君は頭を掻き、お茶を一口飲んだ。

「それもおいらの、大きな挫折の一つだっぺな。お寺関係の知り合いに誘われて、35の時にNPO法人『カルト対策室』を手伝い始めたんだ。カルトで悩まされてる人がこんなに多いのか、って思ったよ。それも、年々増えてるんだ。だから、頑張ろうと思って、最初は、上野にあるそのNPOの部屋まで週に3回通ったよ。んである時、自分の寺の檀家さんから、その家のむすめさんがカルトにはまっちゃってどうしようもないって、相談されたんだね」

といってお茶を一口すすった。でも、お茶はもう空だった。

「自分の檀家さんだから、こりゃあ頑張らなくちゃって思って、必死になって情報集めたり、隙あらば拉致でもなんでもして取り戻そうって思ったわけだ。『オリーブの枝』っていうその団体は、キリスト教系の新興宗教なんだけんと、勧誘も激しければ、脱会者は許さないっていう、まさにカルトそのものなんだ。だから、目には目を、で、ある時その女が、住んでるアパートから外出した隙に、半分拉致のような感じで実家まで連れ戻したんだよ」

「何よそれ、ほかに話し合いとかするわけにいかなかったの?」

「話し合いの機会を持ちましょう、ていうのは、さんざんやったけど、本人がうんと言わなけりゃ無理だからね。でも、それは逆効果だった。数日後、本人が警察に駆け込んで、結局教団に戻っちゃったんだ。拉致監禁の訴えまで出されたよ。でも、不起訴だったけどね」

「なんか、もっとうまいやり方ってないもんかな」

と僕が言うと、田口君はうなずいた。

「うん、そうなんだけど、うまいやり方っていうのは、正直言って、ないんだな。いつも会ってる家族なら、話をしながら徐々に変えていくっつうのもありなんだけんと、離れて住んでるとか、教団の施設に入ってるとなると、まずは本人を取り戻すことから始めないとなんないかんね」

「まあでも、いい歳した大人を取り戻すって言っても、本人が、自分で選んだ教団に入ってるんだから、余計なお世話よね」

「そういうことになっちゃうんだな、これが」

といって、田口君はため息をついた。

「そして、一か月後、その親は自殺した」

と、さらっと言うと、田口君は立ち上がって別の部屋へ行ってしまった。


「自殺…」

とつぶやいて惣野を見ると、惣野と目が合った。

5秒間くらいの沈黙ののち、惣野が言った。

「人は簡単に死んじゃうからね」

と言って、惣野は壁にある額の方に目を移した。言った言葉の中に、何か深い意味がありそうな気がしたが、その時は何も聞くことはできなかった。

やがて田口君が、急須を持って戻ってきた。

三人分の茶碗にお茶を注ぐと、「おっこらしょ」と言って座り、お茶を一口すすると、口を開いた。

「その家庭は、母親と、その娘の二人暮らしだったんだけんと、その母親は、その事件の一か月後に、農薬を飲んで死んじゃったんだ。もちろんうちの檀家だから、おいらがその葬儀を取り仕切った。でも、結局そのむすめは、その葬儀にも出席しなかった。そして、それで、自分の力の限界を知って、NPO法人はやめることにしたんだよ」

と言うと、田口君は、また茶碗を持ち上げたが、口までは運ばず、じっとその中を見ていた。まるでその中に、何か大事なものでも入っているかのように。

「でもその人は、なんていうのかな、極楽往生したんでしょ?」

と、惣野が言った。言ってしまった後で、何か言い間違えたかのように、ちょっとだけ眉を寄せた。

「ああ、もちろんだ。阿弥陀仏は、誰でも、どんな人でも分け隔てなく極楽往生させてくれるから」

と言ってニコッと笑うと、持っていたお茶を一口飲んでから、また田口君が続けた。

「この話には、後日談があんだよ。その半年後、『オリーブの枝』の、強引な勧誘の方法とか、脱会者へのストーカー行為とか、会員への高い物品販売とかが週刊誌ですっぱ抜かれて、世間をにぎわせるようになった。そして急速に会員が減少して、会は壊滅状態になった。まもなくそのむすめも、結局はその会を脱会したらしい」

「そんなに抵抗したのに、結局脱会しちゃったんだ」

「んだ。そして、違う新興宗教の団体に入ったと聞いた」

「え、だって、その会の教えを信奉してたんじゃないの?」

「結局は、どこかの、そういった宗教団体に所属してないと、なんていうか、自分のアイデンティティが保てないっていう人が一定数いて、そういう団体を渡り歩く人っつうのもいるんだよね。そういう人の一人が、その、熊野っつうむすめだったんだね」

熊野、そういえば、今日来てたあの女性部長も、たしか熊野といった。

「ねえ、その熊野さんの移ったっていう団体は、なんていうところなんだろう?」

「『未来の世界』つうんだよ」

僕と惣野は、また目と目を合わせることとなった。

「僕の奥さんは、その『未来の世界』に入っちゃったんだ」

「え、そうなの?」

と、田口君は目を丸くした。

「そして、今日、その幹部たちに会ってきたんだ。そのうちの一人が、熊野っていう女性幹部だったけど、まさかその人じゃないよね」

「もしかして、すごく痩せてる、40くらいの女げ?」

「そう!」

「だったらそうかも。そうか、もう幹部になってたかー。確かに、芯が強そうだから、人をまとめるのはうまいかもね」

「その人が、僕の奥さんの、めぐみの世話をしているらしいんだ」

「そうげ。いやー、世の中狭いもんだねー。で、めぐみさんは、どういう経緯でその教団さ入っちゃったんだろう?」

「うん、実は…」

と言って、僕は今までのことを話した。めぐみが余命3年だったこと。それを僕は知らなかったこと。突然失踪し、数日後に狐川から連絡があったこと。

「そして、その熊野さんから、めぐみが書いた手紙を渡されたんだ」

といって、僕はその手紙を出して、田口君に渡した。

田口君は、渡された手紙をしばらく読んでいた。沈黙が部屋の中を満たした。

やがて、手紙を読み終わった田口君は、その手紙をひっくり返してみた。

そこには、一首の歌が書かれていた。

「瀬をはやみ、岩にせかるる谷川の、われても末にあわんとぞおもう、か。崇徳院の歌だね。中根君、めぐみさんは、絶対に放しちゃだめだど!」

「うん、わがってるよ」

と返事しながら、田口君の口調がうつってしまい、ついなまってしまった自分が変におかしかった。

すると、今度は惣野が言った。

「崇徳院っていうと、保元の乱で負けて、香川県に島流しになった人よね。そしてそこで、魔王になったとかいう人でしょう?」

「ま、そうなんだけど、この歌は、そうなる前の若いころの歌じゃないかな。中根君と、また絶対に会いたいって思いが託されてんだっぺ。ごっつおうさん!」

と言って手紙を僕に返すと、

「さて、どうしたもんだっぺ」

と言って、僕と惣野を交互に見比べた。












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