第9話 天才

近くの駐車場に停めてあった僕の車に乗り込むと、惣野は言った。

「めぐみちゃんが、余命三年だって言われたのは、あんた知らなかったんだね」

「うん、全然そういうの、聞いてなかった」

「そうか、あんた鈍感だし、めぐみちゃんは優しい子だから、そうなっちゃうんだろうね。でも、これでめぐみちゃんがいなくなった理由がはっきりしたわけだし、対策の立てようもあるってわけよ」

「そうだね、これから、あの占い師のところへ行ってみようか」

と僕が言うと、惣野は眉間にしわを寄せた。

「そこへ行って何をするわけ?」

「え、だって、その人が一番偉い人だって言ってたでしょ。だったら、何とかお願いして、めぐみに会わせてもらえるんじゃないかな」

「そういう単純な頭だからめぐみちゃんに逃げられちゃうわけよ。あの狐川ってのが言ってたでしょ、その人は教団の部外者だって。部外者で、しかも相談役ってことは、裏の利害関係がかなり複雑に絡み合ってる人だと思うわ。ここは慎重に計画を立てたほうがいいわね」

「ふーん、そうか。でもその人、一目見てめぐみが、体の病気のことで悩んでるのを言い当てたっていうから、本当に霊力みたいなのがあるのかもしれないね」

と言うと、また惣野の眉間のしわが深くなった。僕がなにか、また馬鹿なことを言ってしまったらしい。

「あんたのいいところは、そうやって人を簡単に信じられるところだけど、それはかなりやばい素質かもしれないわね。いい、その相談所のチラシは、どこに貼ってあったと思う?」

「チラシだから、電信柱かな?」

と言うと、惣野は頭を抱えた。

「チラシは、たいてい電信柱に貼ってあるわよね。それより、めぐみちゃんは、病院から出てすぐにそのチラシを見たんでしょう?てことは、どういうこと?」

「ああ、そうか、そのチラシは、病院の近くに貼ってあったってことか!」

「そう。病院から出てすぐのところに貼ってあるチラシを見て、電話をかけてくる人は、たいてい病気の悩みを抱えてる人よね」

「ということは、病気の悩みを抱えてる人が電話をかけてくるのを待ち受けて、さも霊力を使ったかのようにそれを言い当てる、そして、さも占いが当たったかのように装って信頼を勝ち取るってことか!」

と言いながら、僕の中で、その占い師に対する怒りがどんどん膨らんでいくのが手に取るように分かった。

「今度の相手は、あの小物の、ブラック企業の社長とか、ダメ労組の委員長とかより、難敵だよ」

と、僕をちょっとにらみつけた後、惣野はこう言った。

「ねえ、田口一君って知ってる?」

「田口はじめ?」

僕はちょっと考えてみた。高校時代の同級生で、田口はじめ…

「ああ、あの、天才!」

「そう、その天才よ。」

惣野は、ポケットの中から、例の飴を取り出すと、口の中に入れた。それから僕の口にも入れようとしたが、僕は断った。

「その天才が、玉造の方でお寺の住職をしてるらしいの。しかも、以前はNPO法人のカルト教団対策の手伝いもしてたってことを聞いたわ。もしかすると助けてもらえるかもしれないから、行ってみてはどうかな」

「へーそうなんだ、あの田口君が、今はお寺の住職…」

田口一君といえば、高校時代は、学級委員長を務めていた秀才だった。授業の時はいつも寝ていて、よく先生から叱られていたものだが、なぜか中間や期末のテストになると、必ずクラスでトップになり、クラスメートから「天才」というあだ名をつけられたのである。


田口君の電話番号は、二人とも登録してなかった。お寺は「蛇空寺」といった。携帯でそのお寺のホームページを見ようとしたが、ホームページはなく、住所だけが載っていて、電話番号は載っていなかった。仕方なく、その住所を頼りに行って見ることにした。

土浦市まで行き、市内のステーキハウスで昼食をとった後、僕たちは、車を東に向けて走らせた。土浦市街を抜けて20分ほど進むと、道路は霞ケ浦の上を渡る橋に差し掛かった。秋の午後の日差しを受けて、水面がきらきら光っていた。霞ケ浦を渡りきり、交差する国道335線を左折すると、約5分ほどで、右手に「蛇空寺」の看板が見えた。そこを右折すると、ほどなく駐車場があり、お寺の入り口の石門があった。

「結構大きなお寺だね」

と僕は感心した。

「何でも、鎌倉時代ころからあったかなかったかって話よ」

あったかなかったかもわからないとは、ずいぶんいい加減なこと言うな、と思ったが、口には出さなかった。

石門を通り、上り坂の長い参道を歩いていくと、正面に20段ほどの石段が現れ、その上になだらかな屋根を抱いたお寺が見えた。上の方にお寺の名前を書いた額があった。

『時宗臨霞山 蛇空寺』

お寺の正面から後ろを振り返ると、霞ケ浦が一望できた。爽やかな秋風が、湖面を渡ってここまでやってきた。こういう場所でお寺の住職をするのも悪くないな、とちょっと思えた。

お寺の正面から中をのぞいてみると、数体の仏像と、御本尊を祭ってあるらしい仏壇があって、扉が閉まっていた。人の気配はなかった。

お寺の横に、住職の住まいらしき建物があった。つかつかとその建物に近づいていくと、惣野は躊躇なくその呼び鈴を押した。しかし、反応はなかった。ちょっと待ってから、今度は続けて3回押し続けた。

「おーい」

という声とともに、ごとごとという音が聞こえ、中から人が出てきた。

「誰だっぺ?」

という声とともに、ドアが開けられた。

眠そうな目をこすりながら出てきたのは、やや長めの顔に五分刈りの頭、そして、無精ひげが顎全体を覆っている男だった。お坊さんというより、酒浸りの近所のおっさんという感じだ。どこかで見たことあるな、と思ったが、少しして、昔教科書でみた、アニメの一休さんのモデルの、一休宗純の顔に似てる気がした。それと、歌手の長渕剛にも少し似ている。一休宗純と長渕剛を足して2で割るとこんな感じになるかな、と思った。

「こんにちは、天才くん」

と言った惣野の顔を、ややいぶかし気に見ていたその男は、10秒くらいしてから急に笑顔になった。

「そういえば、高校生のころ、そんなごと言われてたっけ。とすると、もしかしてそちらはぞうさんかな?」

「象じゃなくて人間ですけど。それよりあんた、少し酒臭いんじゃないの?」

「ちょっと昼寝の前に飲んじゃってね、あっはっは」

と、田口君は頭を掻きながら笑った。

「坊さんが昼間から酒飲むってあり?」

「ま、うちはあまり戒律が厳しくないがら。それより、何の用なんだっぺ?」

「実はこの隣にいる、中根君の奥さんの件なんだけどね、奥さんが今、カルトにはまっちゃってね。どうしたらいいか相談に来たわけよ」

「え、カルト…」

「どうもお久しぶりです。実は、僕の奥さんは、最近失踪しちゃったんですけど、後になって宗教の施設にいることがわかって、それで困っちゃって…」

とそこまで言うと、田口君はそれを制した。

「わかった。ま、とりあえず上がってみっけ」

といって、家の中へ案内した。しゃべり方が強烈になまっていたが、昔からそうだったかどうか、思い出せなかった。


上がった部屋の中は、ちゃんとかたずいていて、長テーブルが一つ置いてあった。壁には一つ額が飾ってあって、「決定往生六十万人」という文字が、右から左へと読めるように書いてあった。

「お茶でも飲むげ?」と言って、田口君はお盆に三人分のお茶を運んできた。

「さてと、中根君だったよね。いやー久しぶりじゃねーげ!東京の大学さ行ったのは聞いてたけんと、その後帰ってきてたんだね。なんだっぺ、同窓会にも出てこねーんだもんな」

「ごめん、あんまり人づきあいがよくなくて。帰っては来てたけど、生協の仕事で茨城の各地を転々としてたんだよね。その生協で知り合った女の人と結婚したんだけど、急にいなくなっちゃって…」

「そうげ、それは心配だね」

「高校を出てから、田口君は、どうしてたの?もしかすると、石岡中央高校初の東大合格者が出るかもしれないっていう、全校の噂になるくらいの秀才だったのに、結局、親父さんの跡を継ぐからって、修行の旅に出たっていう噂を聞いたんだけど」

「ははは、そんな噂があったげ。そう、そうなんだよね、あれからもう20年以上たったんだ」

と言って、田口君は、額の飾ってある壁の方を向いた。






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