第3話

「…よく名前、覚えてたね。」


急に名前を呼ばれたことに若干戸惑いながら笑顔を向けると、流し目で私を見ながら"クラスメイトだしね。"と笑う。


「それに、俺は『つゆ』で雨音と名前にある天気が似てるから覚えやすかった。」

「綾瀬の名前は綺麗だから羨ましいよ。私は生まれた日に雨が降ってたからだって安直な理由だったし。」

「俺は、雨音の名前好き。俺は桜みたいに綺麗だって思う。」


恥ずかしげもなく褒められて苦笑する。

まっすぐに人を褒められるなんてとてもすごい人だ。

私は恥ずかしがらずに褒め言葉が出てくるだろうか。


「ふぁ…。眠くなってきた。雨音は帰らないの?」

「あ、うんそうだね。」


そう言われ、先程まで一緒に勉強していた友人たちはどうするのかと振り返ると、もう誰もいなくなっている。

なんてこった。置いていかれた。

小さくため息をつくと、手帳を閉じながら"帰る?"と聞かれて慌てて頷き、自分の席に戻る。

鬱陶しかっただろうか。

迷惑になっていなければいいけど。

彼を見ると、彼も帰り支度を始めている。

嫌われたらそれは仕方がないな。

自転車が壊れてしまって徒歩で帰らなきゃならないから早く帰ろう。

解きかけの問題を片付けて荷物をまとめていると、ふと視線を感じて顔を上げる。


「あの…なんでしょうか…?」


そこには、綾瀬が眠そうな顔をして立っていた。


「帰るんでしょ。俺も帰るし。あ、でも雨音は自転車通学だったよね。」

「え、うん。いつもは。でも、タイヤパンクしちゃってついでにいろいろ直してもらうからしばらくは徒歩で通学しなきゃいけないんだ」

「ふーん。じゃあ行こうか。」


ふわぁぁと欠伸をしながら歩き出す彼を何故か焦って追いかける。

あれ?いつの間にやら一緒に帰ることになってる…?

並んで歩いてはみたものの話題がなくて無言が続く。


「雨音は何が好き?」


ふと、綾瀬が口を開く。


「好きなもの?」

「そう。俺は光るものが好き。ガラスとか空とか水とか、瞳とか。」


瞳という言葉で、青空を映す彼の瞳を思い出した。


「どうして光るものが好きなの?」

「分からない。でも、見てしまうんだ。こういうのが好きってことなんだって本に書いてあった。」


そう言ってゴソゴソと鞄から取り出されたのはとても可愛い表紙の少女漫画だった。

彼がこれを参考書のように買っているところが想像され、笑ってしまう。


「ぷっ…あははっ。綾瀬それ自分で買ったの?」

「いや、俺は自分の感情を読み取るのが苦手で兄貴に色々相談したら、これを読んだら分かるって貸してもらった。本を読むのは好きだし、読んでみたら結構納得もする。」

「綾瀬がそれを買ったのかと思って想像しちゃったよ。」

「そんなに面白いかな…?というより、なんで苗字で呼んでるの?」

「え?だっていきなり名前呼びってあんまりしないし…。」

「俺名前結構好きだから呼んでみて欲しい。雨音には呼ばれたい。」

「えっあの、そういうのは勘違いされやすいから異性に簡単に言うものではないよ?」


普通に恥ずかしいし、どうしてそんな恥ずかしいセリフを飄々とした表情で言えるのか謎である。


「何を勘違いするの?」

「いや、うん。まぁほら、ね?」

「分からない。そんなことどうでもいいから呼んでみて。俺の名前、分かるよね?」

「あ、えっとつ、紏柚…くん?」

「なんで疑問形?」


ふふっと笑われ顔が熱くなる。

今絶対赤くなってるな。


「慣れないことを必死にやったんだから喜んで!」

「想像してたよりもずっと嬉しかった。自分の名前、もっと好きになれそう。」


彼はゆっくり微笑んで"早く寝たいし帰ろう"と歩き出す。

私は不覚にもその笑顔にときめいてしまった。

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