第六話 役割分担(四)

「……というわけで、最初の依頼者さまをゲットいたしましたわ、ご主人さま」


 血だらけメイドはスーツをロッカーに仕舞いながら少年にその日の報告を終えた。


「効率が悪そうだな。前の仕事の方が楽だったろ」


 少年は中学校の制服を着たまま、エプロンをつけて台所に立っていた。台所、と言っても古びた事務室の一角にある流し台にすぎない。少年はプラスチックの踏み台に乗り、包丁を振るっている。


「そんなことございませんわ。前の仕事だとこんな依頼など来なかったですし」


 メイドは少年の横に並び立ち、少年の手元をじっと眺めた。少年はちくわを切っていた。側には切り野菜を入れたボウルがあった。


「左手はネコの手、です」

「うるさいなー。で、どうなんだ? おまえの好みの苦痛にありつけそうなのか?」


 少年は切ったちくわをボウルに放り込んだ。


「はい。なかなかの獲物ですわ。うまく釣り上げたいところです。ところで、ご主人さまの学校はいかがですか?」

「シンプルな苦痛ならそこら中にゴロゴロしておる。部活でのシゴキ、クラスでのイジメ、成績不振、とかな。だが、おまえの好むほどのものはまだ見かけてない」


 メイドは少年の作ったサラダをテーブルに持って行った。


 古びた事務室は、小洒落た応接室のすぐ奥にある。少年は制服を脱ぐとメイドに手渡した。メイドは手慣れた様子でそれをクローゼットに仕舞う。相変わらず、メイドの手から制服に滴った血の跡はすぐに消えた。それからメイドはグレーのフード付きパーカーを少年に着せた。少年はごく自然に着せられるままになっていた。


 少年の着席したテーブルにはほかに、メイドが用意した肉料理の大皿があった。


 メイドは少年と一緒に着席したりはしなかった。少年の横に直立している。


「……いつも大量だな」


 少年は大皿を見て言った。


「はい。食事はすべての基本ですから」

「いつも思うが、何の肉だ」

「ジビエですわ」

「……食う気になれんな」

「いつもご主人さまのためにご用意しておりますのに。これでもお料理には自信がありますのよ」

「ま、いつかな」


 少年は肉にはそれ以上関心をもたず、目の前のサラダボウルをたいらげた。そして少年はそれを流し台に持って行く。


「あらあら。お任せくださいましな」

「なんとなく、だ。おまえは自分のメシを食って片付ければよい」

「では、お言葉に甘えて」


 メイドはそう言うと、自分でどこかから取り出したカトラリーにしては大きすぎるナイフとフォークで皿の上の肉を切っては食べ、切っては食べし始めた。所作はあくまでエレガント。だがどこかケダモノじみていた。


 少年は洗い終わった食器を片付けると、古びたパソコンのモニターを見ていた。


 モニターには、幸利の後ろ姿が映っていた。


 しばらくして、自分の食事をし終えたメイドが少年の後ろに立った。


「いかがですか。苦痛の甘い香りがここまで匂い立つかのようではありませんか?」 

 

 メイドはそう言うと、爪で自分の右胸の膨らみをすっとなぞった。すると、鋭利な刃物に裂かれたように服には切れ目が入り、そこから鮮血が滴った。


「モニターにはかけるなよ。いくらすぐ蒸発するといっても故障の原因になるかもしれんからな」


 少年は呆れたような表情でメイドの奇行を眺めた。


「ご主人さまは本当にお優しい。そう言いながら、いつもわたしを見てくださるのですから」

 

 メイドは恍惚とした表情を浮かべていた。少年はため息をついた。


「わしのこの嫌悪感がおまえのメシだから仕方なかろう」

「またそんな嫌な言い方をされて」


 少年は、どうでもいい、と手を振った。


「そんなことより、このギラついたオッサンのどこにおまえ好みの甘美な苦痛が香り立ってくるんだ? よくいる好色な男ではないか」


 メイドは、少年の顔を愛おしげに撫でた。血がべっとりと少年の頬につく。


「あらあら。確かに幸利さんはどこにでもいそうなただの好色な殿方ですわ」

「では、どこにおまえ好みの苦痛があるんだ?」


 メイドはノートを取り出してページを開いた。


「倉山幸利、三十六歳。年収は一千五百万円。奥様は専業主婦。子どもは五人。もうおわかりですわね?」

「いまどきその年齢でそれだけ稼ぐのは珍しいな。恵まれておるじゃないか?」

「確かに、この年齢でこの年収の方はあまりいらっしゃらないようですわね」

「子どもにも恵まれておるな。教育費はかかりそうだ」

「それも確かに苦痛に関係はしているでしょうね」


 少年は何かに気づいたように声を上げた。


「わかった! 教育費をもっと確保したいのに、妻がパートに出てくれない。そんな苦痛だ。どうだ、本当は浮気が心配というわけではないのだ」


 メイドは屈み込み、少年の顔を覗き込んだ。その表情は慈愛に満ちていた。


「ご主人さまは、本当に世間知らずですね」

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