第五話 役割分担(三)

 真宮子の座っていた椅子には複雑な彫刻が刻まれていた。机は高級そうに黒くツヤがある。その机の向こうの壁には扉があったが、その扉にも雑居ビルに似つかわしくない複雑な模様があった。


 幸利は真宮子に誘われるまま、ソファーに腰かけた。


「それでは、ご依頼内容をお伺いしましょうか。もちろん、依頼者さまの名前も含め、関係者全員のお名前は伏せますし、顔を含め、個人が特定できるような情報は一切公開しません。声も処理します。仮に何らかのトラブルが生じた場合、責任をもってわたしが対処いたしますわ」


 真宮子の口調は洗練されたものだった。


「ちなみに今、後ろから撮影させていただいております。ですから、相談時に収録されるのは、基本、わたしが話を聞いている姿です。依頼者さまの姿は頭まで完全に後ろの衝立に隠れていますのでご安心ください」


 そう言うと、真宮子は持っていた携帯端末を幸利に見せた。その携帯端末は部屋の後ろのほうに仕掛けられたビデオカメラにつながっているようで、見ると確かに、その部屋が映しだされていた。いや、部屋というよりもむしろ、真宮子を映し出していた。依頼者に向い合う、豊満な肢体の女探偵。幸利の姿は完全に衝立の後ろに隠れていたが、仮に横顔が映し出されていたとしても、視聴者は誰も気にかけないのではないか、と幸利は内心、苦笑した。つまり、真宮子が相槌を打つ仕草だけが収録される仕組みだった。ビデオカメラの視点は高いが、胸の谷間は見えそうで見えない。幸利はなかなからうまいビジネスだと感じた。カメラが一つだけとは限らないが、リスクをある程度とらなければ、前に進めないこともある。浮気よりは浮気調査の依頼のほうがリスクはないはずだ。


 真宮子は幸利から携帯端末を取り上げると、飲み物を準備するために席を立った。その何気ない動作さえ、幸利には刺激的だった。そしておもむろにインタビューは始まった。真宮子は相槌ばかりで、ほとんど質問することはなかった。だが、幸利は知らぬ間にこれまでの経過をしゃべっていた。もちろん、妻に知られたくないことまではしゃべらなかった。もっともそのことは、目の前の女性にも知られたくないことでもあったが。





 幸利は、ざっと次のようなことを話した。妻とはお見合い結婚だが初めは仲も良く、野球のチームが作れるくらい子どもが欲しいね、と言い合っていたこと、子どもは現在五人いるということ、最近、妻が子供を知人に預けてネットカフェに行っていたことでケンカになったこと、そのときの妻の様子がおかしかったこと。


 真宮子は時節、なるほど、とか、そうなのですね、と相槌を打ち、古風にもノートにメモをとっている。


「とりあえず、そんなところです」


 インタビューが終わると、幸利は妻の名前と住所を書いたメモを真宮子に手渡した。


「わかりました。それでは、あとはお任せください」


 真宮子は事務的な口調でそう言うと、席を立ち、オフィス玄関の扉を開けて外へと幸利を促した。幸利は急に出て行けと言われた気がした。


 幸利は拍子抜けした。調査料ではない別の名目、例えばコンサルティング料といったような代金を請求さたりとか、真宮子に誘われてあわやというところで奥の部屋から強面が出てきたりとかはしなかった。幸利は物足りなかった。


「さっき、ノートにメモされてましたけど、ずいぶんと古風ですね?」


 幸利は唐突に話題を振った。


「携帯端末に入力されると依頼者さまはご不安に思われるのでは?」


 理知的な答えだ。幸利はどう会話を広げようかと悩んだ末に言った。


「不安、と言えば。わたしが言うのもアレですが、こんな狭い部屋に男性と二人きりで話をするのは、ちょっと……危なくないですか?」


 密室で二人きりの相手がグラビアアイドルのような姿態だと、悪心を起こす男がいてもおかしくない、何か対策はしているのか、と幸利は気になった。例えば、やっぱり、机の奥の扉の向こうの部屋から怖いお兄さんたちが出てくる、とか。


「ご心配、ありがとうございます。なるほど、そういう心配もあるのですね。今は日中ですけれど」

「いえ、今の話ではなくて」


 それだとまるで自分が襲おうとしているみたいではないか、と幸利は焦った。


 真宮子はなぜかそんな様子の幸利を見て頷いた。


「なるほど。でも大丈夫です。わたし、襲うことはあっても襲われることはあまりありません。ご安心ください。倉山さん……幸利さんは優しいんですね」


 そう言うと、真宮子は微笑んだ。襲うことはあっても襲われることはない、その真意を幸利は測りかねたが、名前で呼ばれたことで、幸利はどこか舞い上がっていた。

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