第四話 役割分担(ニ)
「あなたが……辻浦……真宮子さん?」
幸利は目の前の女性に聞いた。
「はい。わたしが辻浦真宮子です」
真宮子はビラを脇で押さえながら物静かに返答した。
「あ」
真宮子が軽く会釈した拍子に、脇からビラが何枚かこぼれ落ちた。
真宮子はすぐに屈み込み、拾いあげた。ただそれだけの動作だったが、スーパーロングの黒髪が弾け、胸がばいんばいんと音を立てそうなくらいに揺れた。それに合わせて、胸元の赤い何かも揺れた。幸利は真宮子の胸を凝視したつもりはないが、どうしてもその揺れるブローチを見てしまった。幸利は、そういう言い訳を男にさせるためにわざわざそんなブローチをしているのかと思った。それは小さくて真っ赤な翼の生えた太陽のようなデザインで、とても高級そうに見えた。
幸利は、周囲の目を引くような美女に探偵が務まるのかと心配になったが、いつまでも胸を見てはいられなかった。
「この、動画作成への協力というのは……? いや、少し気になりまして。どういうビジネススタイルなのかな、と」
幸利はあまり長々と話すつもりはなかった。誰かに見られたら邪推されるかもしれない。
「はい。それは『アフィリエイト」です」
「アフィ? つまり広告収入で儲かるから依頼人からはお金とらないってこと?」
「はい」
真宮子の刺すような眼差しに、なぜか値踏みされている気がしてくる。キャバクラで嬢に年収を推測されているような、そう幸利は感じた。
「依頼者さまは、顔も声も出さなくていいのです。ただ、相談内容をTutubeで公開させていただきます」
「Titubeね」
それは誰でも知っている無料動画配信サイトだった。
「他人の不幸は蜜の味って昔から言いますし、ウケるかもしれませんね」
幸利は適当な相槌を打ちながら、はたしてそんなビジネスでどれくらい稼げるのか訝っていた。
「で、どんなタイトルなんですか? 少し興味があるので、後で見ておきます」
仮にこの真宮子がカモに目をつけるために適当なウソをついているのではなく本当のことを言っているのだとしても、相当な閲覧数がなければ信用できない、そう幸利は思った。
「ええ、もちろん……と言いたいところですが。まだ一度も依頼を受けたことはありませんの。信用って、なかなか得られないものですね。ですから、まだ動画はありません」
真宮子は物憂げにため息をついた。それからほんの少し、体を幸利に近づけた。幸利の鼻腔をオンナの匂いがくすぐった。
「もしよろしければ、最初の依頼者さまになられませんか? お近づきの印に、お店に来ていただくだけでも。あなたでなくとも、お困りの方をご紹介いただくのでもかまいませんわ」
そう言うと、真宮子は微笑んだ。さっきまでの値踏みするような冷たい視線とのギャップが幸利を狼狽させた。
「すみません、早く帰宅しないといけないので」
幸利は慌ててそう言うと、その場を離れた。
幸利はドキドキしていた。手元のビラには事務所の所在地が書いてある。怪しいが、もしかしたら本当に無料で妻の浮気調査をしてもらえるかもしれないし、そうでなくても、などと幸利は思った。
そんなことがあったのが数週間前だ。
幸利は目の前の雑居ビルを眺めた。看板もある。「辻占真宮子探偵事務所」。そのままだ。
真宮子の事務所は六階にあるようだ。だが、雑居ビルの入り口は狭い。もし怖いお兄さんに囲まれたらと思うと、二度足を踏んでしまう。
だが、結局、幸利は決心した。これから浮気相手に会いに行くわけではない。妻の浮気を調査してもらいに行くのだ、何を恐れることがあろう、と。
幸利は何年も塗り直されていない壁と同じ色のエレベータに乗り込み、六階行きのボタンを押す。
ぎしぎしとカゴが揺れ、エレベータの扉が開いたすぐそこに、真宮子のオフィスの扉はあった。幸利は扉から漏れる煌々とした灯りに少し安心して、その扉を開けた。
「こんにちは。いつぞや駅前でお会いした方ですね」
幸利が扉のなかに入ると、そこはこぎれいなオフィスだった。椅子から立ち上がったのはあの、スーパーロングの女性だった。揺れる胸に赤いブローチも揺れていた。
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