旦那さま(ご主人さま、獲物)の縁談破壊作戦
「そういや、あんた。あの話はどうなったんだい?」
休日の昼下がり、冷房の効いた居間には多くの住人がたむろしている。その日も俺とヒトヨがぐだぐだ寝転がっていた。
しかし、“あの話”とは?
「何の話だ、いったい」
「前に言ってたじゃないか。お見合いがなんだと」
「あぁ、それね……」
思い出したくもない過去だった。
「なんだったんだい、あの話は」
「あれはな、親が勝手に縁談を組んでたんだよ」
俺の両親は基本的に人の話をきかない。そのときも気がついた頃には婚約寸前まで話が進んでいた。
いや、あの人たちなりに心配しているのは分かるんだよ。分かるんだけどさ、やられたほうとしてはたまらないのである。
だって俺はヒカゲさんにゾッコンなのだから。
必死に拒絶しようとしたが、あのバカ両親は強敵だった。必死の抵抗もむなしく、俺は引きずり込まれようとして、そして。
「それで、どうなったんだい?」
「待つんだヒトヨ」
「何をだい?」
「この話はまずい」
そうだ、結局あの話は取り消されたのだ。得体の知れない力が働いて。というか、嫉妬深い誰かの力が働いて。
こんな話を、あの人が聞き逃すはずが――
「――心配しないで」
後ろからぎゅっと、抱き寄せられる。
柔らかな、けれど弾力のある感触が背中に押し付けられる。
これは……この穏やかな物腰と絶対的な安心感は……!!
「ひ、ヒカゲさん!?」
「うん? なぁに?」
懸命にクビを捻って振り向けば、そこには愛しの女性の顔が。
「なんでここに!?」
「呼ばれた気がして」
何それ怖い。
「そんなことよりも、もしかして、また変な女に絡まれてるの?」
「絡まれてませんよ! というか、やっぱり縁談の件はヒカゲさんが潰したんですね!?」
そうなのである。
なぜだか見合いの前日になって、相手方が不運な事故に頻発して、縁談はご破算となったのだ。
まさかとは思っていたが。
「えぇ。だけど安心して? あなたが悲しむようなことはしてないから」
「俺が悲しむようなことって、どんなことですかねぇ!?」
ヒカゲさんは、俺のためなら何だってやる。俺が愛されすぎて眠れなくなるくらい何だってやる。
だからもめ事を起こさぬように細心の注意を払っていたのだが。
「犯罪なんてやってませんよね!?」
「ふふっ、それは秘密です♪」
「可愛く言っても無駄ですよ!」
「禁則事項です♪」
「未来人ですか、あなたは!?」
そうして騒いでる間にも、ヒカゲさんが寄りかかって、胸が押し付けられて……!!
「ちょっ、待った! タンマです!」
「イヤなら逃げてもいいよ……?」
そんなもったいないことできるかッ!
とは言え、この感触はまずい! いくらヒカゲさんとのボディタッチに慣れた俺でも、これは――
「――そうはさせませんッ!!」
扉がズバッと開け放たれた。小柄な少女が飛び込んでくる。
奥ゆかしい白無垢がまるで似合わない、犬耳の少女。
「守り神アサヒ! ここに見参!! さぁ、ご主人さまから離れろ女狐ぇー!!」
声だけは威勢よく、我らが忠犬アサヒが割り込んでくる。さながら、じゃれつくワンコのように。
「これ以上、ご主人さまの縁談は邪魔させません!」
「いや、そいつはむしろ邪魔してくれたほうが……」
「ご主人さまにはたくさんの子宝をもうけてもらうんですから!!」
おい待て。
「えぇ、だからあたしに任せて?」
「なにをですかヒカゲさん!?」
「そんなの決まってる。旦那さまの子種なら、あたしはいくらでも――」
「――やめろお前ら! この小説は全年齢対象だ!!」
コンコンワンワン鳴き喚く二人を引き剥がす。
その不満そうな彼女たちに挟まれながら、俺はゼェゼェと息をついた。
とりあえず二人を説得しないと。
「まずヒカゲさん。ちょっと落ち着いて下さい!」
「でも、もしまたあんなことがあったら……!!」
「大丈夫ですって! 俺には新しい縁談も、それからあなたの元を離れる気もありませんから!」
「待って。そんなこと言われたら幸せすぎて死んじゃう!」
感極まった声を上げて、ヘナヘナとヒカゲさんは崩れ落ちてしまう。
何だか分からないが、一人はクリアー!
あとはアサヒだ。
「おい、そこの犬娘!」
「犬じゃありません! 狼です!!」
狼ならしい。いや、大事なのはそこじゃねぇ!
「言っとくがな、俺は常識的な数しか子供を作るつもりはない!」
「えぇ!?」
「意外そうな顔をするんじゃねぇよ!」
「あ! でも子供は作るつもりなんですね!?」
「ちょっとはめげろよお前!」
ダメだ、あまりにもポジティブが過ぎる。こういうときは天敵に任せよう。
「ってことで、ヒトヨ」
「ヤダね」
「まだ何も言ってないのに!」
そっぽを向いたヒトヨに食ってかかろうとする。
そこで俺はふと、我に返った。
まったく、なんで俺がこんな目に……!!
「それよりも縁談! ご主人さまの縁談の話ですよ!!」
そうだ。そうだった。だけどね、もうやめようよその話。
「おもしろそうだね。あたしも乗ろう」
「えぇ。旦那さまに、万が一があっては大変だし」
ヒトヨどころかヒカゲさんまで参戦してくる。撃沈していたはずじゃなかったのか!?
けれど抗議しようとした頃には、三人もとい三匹に取り囲まれていた。逃れられる雰囲気ではない。
「はい! それでは始めましょう! ご主人さまの縁談会議!」
「あのー、俺の意思は」
「ご主人さまは! ともかく、たくさんのメスと交わるべきだと思うんです!!」
俺の意思が入り込む余地などなかった、というか。
「いきなり重婚推しかよ?」
「もちろんです! 群れの長になってこそのオスですよ!」
「そいつは獣の理屈だろ!? 俺は人間だ!!」
「関係ありません! オスはたくさんのメスと子作りできたほうがいいに決まってます!」
「お前、本当にどんな場面でもブレないよなぁ!?」
いや、アサヒの言いたいことも多少は分かる。あくまでも多少なら。
世界一売れた本にだって「産めよ増やせよ地に満ちよ」とおっしゃっているし。いるんだけれども!
「一夫多妻制は現代日本じゃご法度だ!」
「結婚なんでする必要ありません! 現代の伊〇誠を目指しましょう!」
「最後は刺殺されるじゃねぇか!? というか、あんなクズになんてなってたまるか!」
「安心してください! 孕ませさえすれば、あとはわたしが何とかします!」
「俺の命とモラルを大切にして!」
息を切らしながら訴えかける。ええい、なんでこんな犬っころに翻弄されねばならん。たまには目にもの見せてくれる!!
「そこまで言うなら、お前も協力してくれるんだろうな!?」
「もちろんです!」
「分かってるのかお前!? 俺が何をしようとしてるのか」
「子作りですよね! それでは――」
アサヒが言いかけた途端、モフモフした何かに体を絡め取られた。気がつけば目の前にはヒカゲさんが立っている
「ごめんなさい」
いきなり頭を下げられる。
「いきなり何のことでしょうか?」
「どうしても、どうしてもね。最初はあたしじゃなきゃイヤなの」
「いや、ちょっと待ってくれ。今のはアサヒを懲らしめようとしただけで――」
「――本当はあたしだけの旦那さまでいて欲しいの! でもそれがダメなら……せめて一番でいさせて!」
重すぎるッ!!
ダメだ、ヒカゲさんの愛が暴走している。完全にやり口を間違えた。
こういうときは、えっと……どうすればいいんだ? 俺がヒカゲさんに逆らえるわけがないのに。
「おいおい落ち着きなって、二人とも」
「ひ、ヒトヨ?」
助け船に入ってきたのは、意外にも気ままそうな虎娘だった。
「そんな、落ち着いてられる場合じゃ……!」
「心配しなくたって、その男はあんたにゾッコンだよ。たとえ指を何本落とされようが、あんたを裏切ったりなんてしない」
そいつはさすがに期待が重すぎるんじゃ――いや。
「やってやるさ! ヒカゲさんのためなら指なんか何本でもくれてやる!」
「ねぇ、そんなに無理しなくてもいいんだよ?」
「無理なんてしてないよ。俺にはヒカゲさんよりも大切なものなんてないんだ」
痛い! 自分で言っときながらセリフがとても痛すぎる!
けれどこの場を収めるには俺が犠牲になるしかなかった。
「俺にとってはヒカゲさんが一番! 全てなんだよ!」
「そ、そうなの?」
「ヒカゲさんがいればいい!! 子供だって、ヒカゲさんとさえ作れればいい!!」
「そうなんだ……じゃあ、作ろっか?」
「応ッ! ……え?」
気がつけば、ヒカゲさんの両手が俺の肩に添えられていた。そのまま痛みもなく押し倒される。
「安心して。優しくして上げるから……」
まずいまずいまずいッ!!
ヒカゲさんの背後には九つの尾が展開されていた。つまり本気モードだ。
「二人で幸せになろうね?」
あ、これはもうダメかもしれない。というか、これでいいのかもしれない。どのみち、こうなったら俺の力ではもう――そういえば。
「ヒカゲさん! うしろうしろ!!」
「え?」
何かに溺れていたヒカゲさんがふと我に返る。それから背後を振り返って。
あれだけ隠したがっていた尾が、目に入ると同時に引っ込められた。
「あれ? あははっ、どうしたんだろうね、あたし?」
笑いながらヒカゲさんが遠のいていく。その目には理知的な光が戻っていた。
……少し、惜しいことをしたかもしれない。
「ね、ねぇ今何か見えてた?」
「いいや、俺に見えてるはヒカゲさんの可愛らしいテレ顔だけだよ」
「そ、そうなんだっ! ごめんねっ、あたし、少し用事を思い出したから! それじゃあまた――!!」
旋風を巻き起こしてヒカゲさんが逃げ去っていく。声をかける暇もなかった。
呆然としている俺の傍らに、ヒトヨが寄り添ってくる。
「ふふっ、助かったね?」
「おかげさまでな!」
悪戯っぽく笑う彼女に吐き捨てる。
ともかくその日も何事もなく、夜は過ぎ去っていくのだった。
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