狐が正体を隠して求婚してきたけどバレバレな件について
妄想神
旦那さま(ご主人様・獲物)就職大作戦
「ご主人さまご主人さま! 早くこちらへ!」
洋風のリビングルームに、シックな木製の円卓もといちゃぶ台が据え置かれていた。その周りを三人の同居人たちが囲っている。
「何をしてるんですかご主人さま!」
犬耳の少女が跳び上がる。ぴんと立った耳をパタパタさせて。
「やっと帰ってきましたね!? ずっと待ってたんですよ!」
眩しいくらいに快活な表情。
時代錯誤な白無垢の和装がまるで似合わない彼女こそ、我らが忠犬アサヒである。
「さぁこちらへ! 早くこちらへどうぞ!」
「分かったから落ち着け! “お座り”だアサヒ!」
俺が命じると犬耳の少女アサヒは大人しく座り込む。
そしてこちらを見上げる姿が無性に愛らしく感じられた。
「よーし、よし! いいこだ!」
「犬扱いしないでください!」
「どうみても犬だろ」
「狼です!」
狼ならしい。
その割には人間に従順である。
そんなアサヒとは打って変わって、その隣の女性は退屈そうに溜め息をついていた。
「これだからイヌ科は。ちっとは静かにできないのかねぇ」
なんて嘆息する彼女の頭に虎柄の猫耳が二つ。その藤柄の着物には、誰よりも豊満な肢体と二本の尻尾が秘められている。
「どうしたんだい、そんなにじろじろと見て?」
「いや、何でもない」
「そうかい? 興味があったら触ってもいいよ。見返りはしっかり頂くがね」
「全力で遠慮させてもらう!」
見ての通り化け猫というか、化け虎とでも呼んだ方が似つかわしい女性。彼女の名をヒトヨといった。
……絶対にそんな儚げな名前は似合わないと思う。
「いま失礼なこと考えただろ?」
「そんなわけないだろ!? いやー、今日は空がキレイに晴れてるなー」
「もう夜だがね」
冷や汗をかく俺とは裏腹に、アサヒはいつものノリで噛み付いていく。
「ヒトヨさん! イヌ科を馬鹿にしないでください! タヌキもキツネもイヌ科なんですよ!?」
「なるほど、つまりイヌ科じゃなく犬がバカだってことだね」
「グルルルル……ッ! いつか尻尾を噛み千切ってやります!」
大人しそうな顔をして意外にバイオレンスなヤツだった。
「二人とも、あたしの旦那さまに好き勝手言うんじゃない!」
割って入るのは、からりとした晴れ間のように眩く尊い女性。
Tシャツにショートパンツという、なんてことの無い普段着姿なのに、舞い落ちる黄金色の長髪一本一本までもが美しい。
「その人の心も、体も、全部あたしが面倒見るんだから」
……ちょっとが愛が重たすぎることを除けば間違いなく理想的と言える伴侶である。
彼女こそ、この部屋の主人にして俺にとっては初の同居人。
それがヒカゲさんという女性だった。
「こんばんわヒカゲさん。今日もお疲れ様」
まともに生きていると言えるかも怪しい他の二人と違って、ヒカゲさんはこの世に根付いて社会生活を営んでいる。平たく言えば、働いて収入を得ているわけである。
「俺なんてただのフリーターだ……ヒカゲさんには負けるよ」
「ううん、全部×××のためなんだから、辛くなんて全然ないよ。だけど、もし期待してもいいのなら……ちょっととだけ、甘えてもいいかな?」
ヒカゲさんは、はにかみながらもそっと俺の胸に頬を寄せてきた。
「あー! そこの女狐! これ以上、わたしのご主人さまに手は出させません!」
「あたしは狐なんかじゃ……うぅん」
気持ち良さげに頬ずりするヒカゲさん。その頭からはひょっこりと二つの耳が生える。ふさふさとした、金色の狐耳が――
「――はっ!? ごめんなさい、つい気が抜けちゃって!」
出かけていた耳が一瞬で引っ込んでしまう。
なんて惜しいことを……。
「それで、あの……見た?」
不安そうにヒカゲさんが見上げてくる。いつ何時も飄々としてるヒカゲさんが、このときだけは。
意地悪してみれば、もっとかわいい顔が見られるかもしれないけれど。
「え? 何のことですか?」
「へっ? あっ、うぅん……」
ヒカゲさんは髪型を取り繕うふうを装って、そっと自分の頭を確かめる。
「ごめんね。何でもないのに取り乱しちゃって」
慌てて取り繕うヒカゲさんもかわいい。
「ご主人さまぁ! そんな女狐とイチャついちゃいけませんよ!」
「全くだ。だいたい、あたしらは何のためにこに集まったんだい?」
珍しくアサヒとヒトヨの意見が合う。
どうも彼女たちは何かを議論するためこの会合に集まったらしい。
今度はどんな面倒ごとを持ち込んできたんだか。
「なんで、他人事みたいな顔してるんですか! 今日の議題はご主人さまですよ!?」
「俺の何を話し合おうってんだ」
そんなもん、心当たりは……いくらでもあった。
「ということで、今日はですね! ご主人さまの適職相談をしようと思うんです!」
適職相談だ?
「また随分と難しい言葉を覚えてきたんだな」
「バカにしないでください!」
アサヒは憤然として掴みかかってくる。
話題を逸らそうとして、ものの見事に失敗してしまったらしい。
苦々しいものを噛み締めながら、俺はヒトヨに話題を投げた。
「で、誰の発案なんだ?」
「決まってるだろ? そこの犬っころさ」
「犬じゃありません!」
「もういいわ!」
何回このやり取りを繰り返すつもりだ。
俺が叱るとアサヒは不満そうにしていたが、やがて「わふん」と開き直る。
「わたしはご主人さまに、立派なオスとなって頂きたいんです」
「お、おう」
言い方はどうかと思うが、俺自身も今の自分には不甲斐なさを感じている。
彼女の言うことも最もだとは思うが。
「はい! ご主人さまには立派なオスとなっていただき! その暁には、たくさんのメスとまぐわっていただこうかと!」
「もっとオブラートな言い方はできねぇのか!」
「たくさんのメスと子作りして欲しいんです!」
「何一つマシになってねぇ!」
そうして必死に猛る俺になど構わず、アサヒは得意げに話を進めてしまう。
「ではでは! まずは皆さんから意見を募りましょう! それではまず、そこのメスネコ!」
「どうやらまず、お仕置きが必要みたいだね」
静かな口調でヒトヨが応じる。
それから音もなくアサヒに忍び寄ると、その首根っこを捕まえて。
ヒトヨに誘拐されたアサヒが戻ってくるまで小一時間ほどを要した。
「で、どんな話題だったんだっけ?」
満足そうな顔のヒトヨが、ぷるぷると震えるアサヒに尋ねかける。
「ひ……っ、いえ! わたしはあのっ、ご主人さまに向いてるお仕事が聞けたらな……って」
可哀想なくらい萎縮したアサヒだが、ヒトヨはそれすらも愉悦の表情で眺めていた。
仲がいいってのは素晴らしいことだな。
「ま、今回はあんたのその顔に免じて大人しくして従ってやるかね」
全くもって、大人しく従おうとする人間の口ぶりではないけれど。
ヒトヨはアサヒを解放するや否や、真っ直ぐに俺の顔を見据える。
猫の目は、一度捉えた獲物を逃がさない。
「あたしも、人間の職業を実体験したわけじゃないけどね。あたしが思うに、あんたはトレーナーが似合っていると思う」
「トレーナー?」
「知らないのかい? あたしらみたいな獣耳の娘を調教する、いまはやりの職業だよ」
「お前ら馬耳じゃないだろ! というか言葉を選べ!」
俺が叫ぶとヒトヨはケタケタ笑う。
「言葉を選べ? いったい、どの辺がまずかったんだい?」
「そ、それは……」
「ボーカロ〇ドだって調教するんだ。それと一緒だろう?」
「分かってんじゃねぇかよ!」
この化け猫、人をからかうのが何よりの楽しみなのである。まともに相手してはいけないと、分かっていたはずなのに。
「あはははは! さて、最後はヒカゲ。あんたの番だよ」
突然名指しされたヒカゲさんが、少し戸惑ったように俺の表情を窺う。
それから苦笑しつつ、慎ましやかに口を開いた。
「あたしは、旦那さまに就職なんてして欲しくないな」
最後に一番どぎついヤツが来た。
「旦那さまはあたしが養ってあげる。余計なことして、他の女がよりつくほうがよっぽど問題。それなら、ずっとここにいてくれたほうが――」
「――待って待って! 落ち着いてヒカゲさん! 俺はあなたと支え合う関係でいたいんだ!」
我ながらクサイ台詞だとは思う。けれど、これは本心だった。
俺はヒカゲさんに、保護者ではなくパートナーでいて欲しい。そのためには、一方的にもたれかかるわけにはいかないのである。
「ヒカゲさんの言葉はありがたいんだけどさ。俺はあなたの隣に立っていたい。そうしていても、恥ずかしくない人間でいたいんだよ。だからもう少しだけ強がらせて欲しい」
そんな俺のワガママをどう受け取ったのか。
ヒカゲさんは少しだけ呆けた顔を見せると、頬を緩ませて。
「あぁ……やっぱり、あたしだけのモノにしたい」
言いながら、その手が。そして、いつの間にか伸びてきた尻尾が俺を絡め取ろうする。
「そこの雌狐! それ以上、ご主人さまをたぶらかするのは許しません!」
「乳繰り合うのも騒ぐのも外でやりな!」
アサヒとヒトヨが乱入してきて茶の間は騒乱に呑まれる。犬と猫と、それから狐の声で満たされていく。
それこそが俺の居場所、シェアハウス夢高なのであった。
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