干支決めのときにもやってたアレの話
「ご主人さま! スポーツ、スポーツをしましょう!」
「また何か始まったな……」
ぼやきながらあくびを噛み殺す。
その日は久々の休日、俺は目を擦りながら居間に出てきたところだったのだが。
「何言ってるんですか、ご主人さま! せっかくのお天気なんです! はやくしましょうよ!」
これなのである。
「どうしたんですかご主人さま!? そんなに頭を抱えて、まさかご病気でも!?」
「うん、まぁちょっと」
「それなら気持ちよく汗をかいて早く治さないと! さぁ逝きましょう!!」
「殺す気か!?」
俺たちが散々喚き合ったところで、廊下から足音がしてきた。
「なんだい、朝から騒がしい……」
「二人とも、何の話をしてるの?」
現れたのはヒトヨとヒカゲさん。それぞれ、黒地に白い花柄が散らされた和装と、ゆったりとしたロングワンピースに身を包んでいる。
二人とも、容姿は抜群にいいんだよな。並んでいると本当に絵になる。
できたらこのまま現実逃避してたいところだが。
「おはようございます! お二方も一緒に、スポーツしにいきませんか!?」
目を爛々と光らせて、ついでに尻尾をブンブンと振って、アサヒが二人ににじり寄っていく。
「なんだい、また朝から面倒なことを」
「そもそもスポーツって、何の種目をするつもりなの?」
そうだった。アサヒは“スポーツ”と連呼するばかりで、何をやるかまでは指定していない。
そもそもこの犬娘、スポーツの知識なんてあるのか?
「どうなんだアサヒ?」
「へ?」
「だから、何の種目をやるつもりなんだ?」
「種目……? あぁ! はい、そうですね! それでは、テーブルの上で球を打ち合うやつを!」
テーブルの上で、球を打ち合うやつ……?
「もしかして卓球のことか」
「そう! それです!」
なんで種目の名前が出てこないんだか。
だけどおかげで薄々察せた。そういえば少し前まで、こいつはテレビにかじりついてたな。
「アサヒ。お前、最近は何の番組を見てたんだ?」
「当然スポーツの実況ですよ! いっぱい金メダル獲得してましたねっ!」
あぁ、やっぱり。
四年に一度のスポーツの祭典は、なんだかんだで世間を賑わしてたからな。
……にしては時期が遅すぎるような気もするが。
「それより、わたしたちも何かやりましょうよぉ!!」
「無茶言うなよ! ルールだってろくに知らないくせに」
「でもでも、体を動かすのはいいことですよね!?」
そうは言われてもなぁ。
応えあぐねていた俺の脇から、虎柄の猫耳が割り込んでくる。
「おいおい、あたしの非常しょ……男を困らせるんじゃないよ」
「いま非常食って言いかけたな!?」
「旦那さまはあたしのモノなんだけど!」
そんな俺とヒカゲさんのツッコミなどものともせず、ヒトヨは言葉を継いでいく。
「だいたい犬娘。あんた、得意競技の一つくらいあるんだろうね?」
「あ、ありますよ! えぇと、駆けっことか!」
駆けっこ、ねぇ。
アサヒと似たような背格好の少女たちが、短距離走に挑む姿を思い浮かべる。
ちょっと可愛いかも――なんて思ったりしてないから、こちらを突かないでヒカゲさん!
「あんたならフリスビーのほうが似合ってるんじゃないのかい」
「ふりすびー?」
「人間が円盤を投げるだろ? それを犬が追いかけて、捕まえて、持ち帰ってくるのさ」
「なるほど、それは確かに楽し……はっ! わたしは犬じゃありません! 狼です!」
(自称)狼ならしい。そろそろ認めてしまえばいいのに。
「おのれネコ科め! 今日こそお前の思い通りにはなりません!」
「そいつは残念だねぇ……くっくっく」
たぶんアサヒは、現時点で踊らされていることに気づいていない。
うちのワンコは棒に当たるまで歩き続けるのである。
「うぅ……余裕ぶってられるのも今のうちだけですよ! というか、そっちこそ得意競技はなんなんですか!?」
「なんであたしがそんな質問に答えなきゃならないんだい?」
「ふふーん? やっぱりネコ科は貧弱ですね。本当はスポーツが苦手だから、煙に巻こうとしてるんじゃないですか?」
珍しく煽りおる。その挑発的な口ぶりに、ヒトヨは平然と――
「そろそろ“しつけ”の時期かねぇ?」
――全然、平然そうではなかった。青筋を浮かべながらアサヒににじり寄っていく。
「なっ、ななな、なんですか!? わたしがいつも脅しに屈すると思ったら、大間違いのはずなんですよ!」
「そうかい。それじゃあ、そいつを確かめてみないとねぇ?」
「くっ、来るがいいですネコ科! かぎ爪なんか捨ててかかってこ――やっぱり来ないで下さい無理です無理ですごめんなさい!」
瞬く間に逃げ出そうとしたアサヒの首根っこを、ヒトヨの爪が捕らえる。
「さぁて、お楽しみはここからだ。たっぷり楽しませてもらうよ?」
「ごめんなさいごめんなさい、私の中には誰もいません! だからお腹を引き裂かないでぇ!!」
今にも殺されそうな勢いでアサヒが暴れ回る。
さすがにちょっとかわいそうかもしれない。
「まぁまぁ落ち着けよヒトヨ」
「なんだい、今いいところなのに」
目をギラつかせながらそんなセリフを吐くんじゃない。
「俺も、ヒトヨの得意種目には興味があるんだが」
「なんだい、全くどいつもこいつも。あたしは運動なんかゴメンなんだがねぇ」
「だからこそ、想像がつかないんだって」
あながち嘘でもない。
冬になると猫はこたつで丸くなるらしいが、ヒトヨは夏でも布団から出てこない。そんな彼女が得意なスポーツとは……。
根気強くねだってみると、照れくさそうにヒトヨが頭を掻く。
「得意な種目ねぇ……あんたは何だと思うんだい?」
「ハンティング」
なぜだか反射的にそう答えてしまった。いやいや、ハンティングはスポーツじゃないだろ。そんな内心のツッコミが届くはずもなく。
「ほほう? あんたは“そういうの”をご所望なのかい?」
ヒトヨの口元に凄絶な笑みか浮かぶ。
まずい。踏んではならない地雷を踏んだ。そう気づいたときには、背中が床に押し付けられていた。両肩を抑えられる。
「さて、覚悟はできてるんだろうね?」
すぐ目の前でヒトヨの牙が覗く。誰がどう見ても肉食獣の顔だった。やっぱ、こいつは虎だ。
「悪かったって! だから落ち着けよ!」
「イヤだね。たまには誰があんたの所有者なのか、見せつけてやらないとね」
「分かってるから顔を近づけるなって! ちょ――」
たっぷりの唾液を乗せた舌が首筋に押し付けられる。そのざらざらとした感触が、喉元から顎の近くまでをなぞり上げてくる。
「――っ、マジで……ひぃあ!?」
変な声が出た!? 本当に俺の声かよ今の!?
「いい表情になってきたじゃないかい。それじゃあ、そろそろ仕上げにかかろうか」
ヒトヨの舌がいっそう熱烈になる。切れ切れにこぼれた熱い吐息が首元を湿らせる。
あかん。この子、マジで俺を攻め落とすつもりだ。というか陥落寸前だ。これはそろそろヤバいかもしれん。
だけど、何よりもまずいのはヒトヨの攻めじゃない。この状況だ! こんなのを見せつけてたら……!
「最近思うんだけど……ねぇ旦那さま?」
「な、なんでしょうかヒトヨさん!?」
「すぐにこうなっちゃうのは旦那さまに非があるんじゃないかって」
ほら、やっぱり乱入してきちゃったよ! 一番怖い人(?)が!
「たまにはあたしも、手痛いお仕置きをしたほうがいいかしら?」
「勘弁してくだ……いや、それもありか?」
いやいや、何を言ってるんだ俺は。
「ヒカゲさん! 落ち着け……とは言わないので、考え直してください!」
「ふぅん、何を?」
怖っ!? セリフ少ないのに怖すぎる!!
「あのね。あたしは、旦那さまと一緒にいられればそれでいいの。本当はいつだって旦那さまに触れたいし、触りたいし、抱き締めたいけど我慢してるのに!」
「今のセリフのどこが我慢できてるんですかね!?」
「してるの! 本当ならどこかに閉じ込めて、ずっとあたしだけのモノにしてたいくらいなのに! そうだ今からでも山奥に――」
「――ちょっと、抑えて! 抑えて下さいヒカゲさん!」
なんで今日はこんなに暴走してるんだ!?
「そ、そうだよね! 旦那さまにも生活があるもの……そうだ、だったらあたしたちも勝負して決めよっか?」
「勝負?」
「えぇ。スポーツしよ? あたしと旦那さまで」
どんなにいかがわしいことをするんだろう? 正直に言って、期待もとい心配せずにはいられなかった。
だからこそ、拍子抜けしてしまう。
「どうしたの?」
「いや、スポーツって……これですか?」
「えぇ。もしかしてイヤだった?」
「いえ、そういうわけじゃないのですが」
俺とヒカゲさんは向かい合って、両手のひらを重ね合わせていた。
こうしていると、何だか仲睦まじいカップルのようでもあるが。
「手押し相撲ですか?」
「そうだよ。これなら、旦那さまとイチャ仲良く遊べるかなって」
「いま、何か言いかけ……いいえ、何でもございません」
ヒカゲの有無を言わせぬ笑顔にすごすご引き下がる。
「さ、それじゃ始めよっか?」
「えぇと、はい。じゃ、お手柔らかにお願いします」
こうして始まった試合なのだが、正直に言って、俺は全力を出すつもりなんてなかった。
だって、万に一つもケガをさせるようなことがあってはならない。そうだろう?
だから、まさかこんなに――
「甘いですよヒカゲさん! それじゃまるっきり無防備だ!」
「きゃあ!? ……なぁんて。そっちこそ無防備すぎて食べちゃいたいくらい♪」
「くっ……!?」
――白熱していた。いや、ホント、なんでこんなに熱くなってるんだろうなぁ!?
「うふふ、まさか旦那さまがこんなにやるなんて……あたしも、ちょっと本気出しちゃおっかな?」
「これ以上があるってのか!?」
「えぇ、まぁね……」
その瞬間、ヒカゲさんのまとう雰囲気が一変する。息が詰まるほどの圧迫感が俺を飲み込んでくる。
それと同時に、彼女の腰元からフサフサとした何かがこぼれ出て――
「ちょっ、ヒカゲさん!?」
あの尻尾は、決して気づいてはならない公然の事実! 自分でも何を言ってるのか分かんねぇけど、ともかく大っぴらになっちゃいけないんだ!
「やりすぎですよ! ちょっと抑えないと!」
「ごめんね、驚いちゃった? でも旦那様にはあたしの全部をもっと見てほしいから」
ダメだ、もう歯止めがきかなくなっている! かくなる上は、この身が朽ち果ててでも……!!
「うおおおおお! 光って唸れ、俺の拳ぃ!」
裂帛とともに右手を突き出す。胸元に近いヒカゲさんの右手へ、そのまま押し倒す勢いで。
「これで終わりだぁああああ!」
「すごい気迫だね――けれど残念」
彼女の手は触れる寸前にふわりと俺の手から逃れる。
しかし俺の手が止まることはなく、その先にあるのはヒカゲさんの……。
「――あ」
ぽにょんと、弾力の奥にある柔らかさの中に指が沈み込んだ。思わず鷲掴みにしてしまい、ヒカゲさんがぶるりと全身を震わせる。
「ひ、あ、きゃああああああああッ!?」
そして乱れ舞う九つの尾と二つの平手。
その日の騒動は腫れ上がった俺の頬と引き換えに、事なきを得たのだった。
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