終わらせてしまえよ、こんなもの。

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「じゃあ、また明日」

「また明日じゃないでしょ。明日には、明日を生きる人なんてどこにもいないのに」

「だから言うんだよ。僕はまだ、期待しているんだ。絶対にありえないとしても、それでも……生きていられるようになってくれるって」

「巨大隕石が空に見えている時に、よくそんな呑気でいられるね。私、もう気が狂いそう。どうしてこんな事になってしまったの? 別に、ここに衝突しなくたっていいじゃない?!」

「そんな事言われたって……でも、きっとまた始まるよ」

「どうして? 何が?」

「この世界。全て失われてしまうなら、きっとまた生まれる。むしろ、生まれる為に消えてしまうのかもしれない。納得はできないけど……そうとでも思わなくちゃ、消えてしまえないよ。僕だって諦めているけれど、でも……」

「分かった。私もそう思ってみる。どうせ他にできる事なんて何もないし、このまま発狂するよりは、ずっと見苦しくもないもの」

「……まあ、それでいいなら止めないよ」

「文句があるならいいなさいよ」

「いや、そうじゃなくて……まあいいや」

「何よそれ。まさか、次に生まれた時に言うつもり?」

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 また、物語が一つ終わろうとしていた。僕の日々は、どうにかして続こうとするばかりだ。世界を全て破壊しつくしてしまえる隕石を欲しているのではない。ただ、もっと良い日々を送りたいのだ。こうしてただ余暇よかを文筆に注ぐばかりの日々が報われる事を望んでいるのだ。今のところ、その様な気配はなかった。だからそのまま死んでいくのだろうと思った。その覚悟さえなかった。それにすら耐えられない弱者に過ぎなかった。

 エンターキーが押されて、遂に物語は確定した。僕はその確定された筋書きを見返していた。誤字の探索ではない。僕はそこに、筋書きに生きる者の姿を見ていた。終結する為に始まった筈の物語が、終結していく様を見ていた。僕も、その様になりたいと思った。死にたくはなかったが、納得できる結末は迎えたかった。ならば、死に納得すれば早い事だ。そうではなくて文章を連ねているのだから、その先に納得できる事柄を発見しようとしているのは明白だ。そして、そうはならないという事も。

 全くの無駄だった。少なくとも、将来の為にはならない。何もしないでいるよりは良いのかもしれないが……その様に思う時点で、その価値が希薄きはくである事に間違いはないのだ。それでも書いていた。ある飛行機の例えばかり、頭に浮かんできていた。

 夢追い人との関係は良好だった。悪くなる筈もなかった。当たり障りのない話をするだけの関係に、良し悪しの目盛りが通用する訳がない。悪く言えば、泥沼だった。ここから出ていこうとは思えなかった。しかし出ていかなければ、生活に進展が訪れる事はいよいよないだろうと思っていた。そしてその進展よりも、泥沼を望んでいた。物語ばかりが、決着していった。


 飽きもせず、味噌汁とスクランブルエッグを作っては食べていた。もう何度食べたかも覚えていない。これより美味しいものを作るつもりもなかった。望んでいるものは全て、手に入っている様に思えた。しかし、この焦燥感はなんだ。失われたものを取り戻そうとしている様な自分の行動はなんだ。死ぬ事が、そんなに恐ろしいか。どうせ終わっていくばかりのつまらない人生が途切れるなら、喜ばしい事ではないか。そんなに恐ろしいのなら、終わらせてしまえよ、こんなもの。そう思うばかりで、物語を終わらせていく一方だから、いよいよ死が恐ろしくなってしまった。恐怖ばかりが堆積たいせきしてしまった。やはり先延ばしにするべきではなかった。しかし、こんなものをまるで早弁の様に済ませるのは、死の恐怖を超越ちょうえつする為に人間性をかなぐり捨てているだけだろう。僕は恐怖ゆえに、人間性を求めたのだ。その結果がこれだ。生きていて良かったとはどうしても思えなかった。

 死にきれないものなら、生きるしかないのだ。これ以上は生きられないと悟った者が、どうしようもなく死に近づいていくのと同じだった。その方が前向きな生き様かもしれない。少なくとも僕は、前を向いて歩いていなかった。ずっと横に逸れる道を探していた。今進んでいる道を、どうにかして避けたかった。そうして顔だけが横に逸れて、足はこの道を進んでいた。どうしようもなくそうさせられているのなら、ここにいるのは亡者だろう。死んでいるのかもしれなかった。

 生きられないものなら、死ぬしかないのだ。そして、そんな人はどこにもいないのだ。ただ、諦めただけだ。諦めさせられただけだ。僕はどちらの人にもなれそうにない。そうして生と死の境界を真っすぐ突き進んでいくのだろうと思った。それが後ろ向きな生き方なのだろうと思った。思っている自分は、本当にここに生きているのだろうか。生きているのは内臓ではなかったか。体液ではなかったか。思惟しいが生存の条件だとは思えない。僕はやはり死んでいるのではないか。近くには夢追い人がいた。彼が死んでいると思いたくはなかった。僕は、そうやって微かに生存し続けるしかない。


 雨はしばらく降っていなかった。ここしばらくは曇天だ。僕の様に中途半端な天気だ。僕の様な存在が、僕はどうしても好きになれない。だから夢追い人は僕の様な人間ではないかというと、そうではない。むしろ僕に似通っていて、僕と近しい存在だった。既に数年が経過している筈だった。それでいて嫌に思っているのなら、それはそれで物好きなのだろう。どうであれ、彼を嫌っているのなら誘いに乗る筈もない。

 彼を嫌悪するには、十分に時を過ごした筈だ。それでいて嫌っていないのだから、それが答えなのだろう。自分の作った味噌汁をすする間柄にもなって、嫌悪する為の理由を探したくもなかった。そうやって、泥沼はよりその粘着性を高めていくのだ。僕は真綿で首を絞める才能に恵まれていたのだ。いよいよ、自己は憎悪の対象だった。

 食欲はあった。腹も減っていた。頑なに口を開きたくない気持ちだった。気持ちだけがあって、口は食物を噛んでいる。自分の事は嫌いだ。

 夢追い人は、しかめ面をしながら食事をしている人間を不思議そうに見つめている。かと思えば食物を嚙み始める。お互いに奇妙な絵面だった。いや、自分の方がより少し奇妙だ。それらを俯瞰ふかんしてなお、その状態を保とうと躍起やっきになっているのだ。泥沼もそうだ。社会的立場もそうだ。僕はその場で走る素振りを見せ続けているのだ。だから置いていかれるばかりだ。それさえも自分の視界の中にあるのだ。僕は如何なる方法を用いても、自分を不幸に導くつもりらしい。その割には幸福を得ようとしている。僕はどうやっても、物語にはなれそうにもない。

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