やめた。
嫌になった。朝ごはんを作って、それ以外には何も口にしなかった。その後は寝ていた。あれから何ヶ月も経った。何の兆しもなかった。僕には全く才能がないのだと思い知った。いや、元々知っていたので、これはその様に通告されたとするべきなのだろう。何に? きっと、それは僕に価値を見出さなかった者だ。自分でなければ、心当たりのある者は他にはいなかった。
張り詰めていた空気は全て取り払われた。張り詰めさせたのも、取り払ったのも、全て自分だ。こんな事をする大馬鹿者など、他にいるはずもない。いるべきではない。しかし存在するのだろう。考えたくもなかった。自分の苦しみを自分で生み出すような愚か者など、僕以外に一人として存在するべきではないのだ! 僕はどうやら、人類絶滅を望んでいるらしい。それと同時に、そうならないでほしいと願う者もいた。それも自分の考えだった。僕は何を考えているのか分からなくなっていた。夢追い人は……どうして夢を追っていない方の人間を夢追い人などと呼んでいるのだろうか? それともこれは初めから一人の生活であったのだろうか? どうか狂っているのなら、誰か正直に答えてくれ! 僕を狂っていると言ってくれ! 僕にはもう、自分が何者であるかさえ分からないのだ。
「なあ、夢追い人は本当にそこにいるのか?」
「急にどうした。まさか、俺の事か。そんな風に思っていたのか? 嬉しいね。現状においては、夢を追っているとは言い難いが……君に問われなくとも、ここに存在しているだろうさ。哲学ならごめんだぜ。答えを出せないからな。最も、答えを出せているというのは全て錯覚なのかもしれないが……」
「いや、違う。そういう話をしたかったんじゃない。僕は……」
そうまで言いかけて、何を言おうとしているのか分からなくなった。やめた。何もかもやめた。横になって寝てみたりしていた。飼い猫だったなら、かわいがられているのだろうと、素朴な感情を抱いていた。素朴にしてはどうにも煩悩が含まれすぎている。空気は重くなっていく一方だ。何か話さなくてはいけない。
「……僕は、もう生きられないと思う。何をしていても、誰にも見つけてもらえないような気がするんだ。しかし消えてしまいたくはない。死んでしまいたくはない。僕は短絡的なのは嫌だ。だから二元論も嫌だ。僕はただ理解を好むんだ。だけど、理解の所在も信じられなくなってきた。僕は理解される事もなければ、理解する事もないような気がする。そのまま消えて、どこかに飛んでいく事もできないような気がする。沈む事もできない。浮かぶ事もできない。僕は長い時間をかけて窒息していくだけなのか?」
「どういう事なのかよく分からないが、悩んでいる事は分かったよ。しかし、特に分からないのは窒息だな。どうして窒息なんだ。もっと凄惨な例えでも良かっただろう。だって、結局は死ぬって事だろう? なら、死に方を選んだところで、苦痛の種類が違うだけじゃないか。苦痛を得る事に変わりはない。人は必ず苦痛を得る。それは避けられるものじゃない。それくらいの事は、無学文盲の浮浪者だって分かっているさ。どうせ苦しむなら、苦しみ方くらいは選べたっていいだろう。君は、そうやって苦しみたいのか? もっと他に得たい苦しみがあるんじゃないか? いや、マゾヒストなどという罵倒を浴びせようという訳じゃないが。まあ分かるだろ。ずっと横になっていられない事くらいはさ」
勢い余って、夢追い人の方に怒りを噴出させてしまうところであった。しかし創作意欲は生じなかった。散歩にでも出かけようと思った。もちろん二人でだ。それは、二人でいる事を確かめる為でもあった。僕にはまだ判然としていなかった。そこには、本当に他者がいるのだろうか。出かけてもなお不安を抱えていた。自動販売機の前で二人分の飲み物を買ってもまだ怯えていた。二人でそれぞれ同時に飲み物を口にした時、やっと落ち着きを取り戻したのだ。それとも、よりおかしくなっただけなのだろうか? 僕の目の前には夢追い人一人だ。そりゃそうだ。わざわざ会話相手から目をそらして話を進めるのは変だろう。特に、他人の背中を追いながら話しているなんてのは、背中に話しかけているのでもなければ何がしたいのだ。だから夢追い人の方を見ていた。何の話をしていただろうか。存在を確認させようとしていたかもしれない。存在を確認しようとしていたのかもしれない。そうしている間にも、僕という存在は段々と薄れていくようだった。どうせなら完膚なきまで消失してしまえよ。
いつの間にか、帰ってきていた。死んだかと錯覚する程に曖昧だった。死んでしまっているのは御免だ。しかし、生きていたいと思えるような日々を過ごしてはいなかった。そう思うのはきっと、よくばりだからだろう。
ここにいて、他のどこにもいなかった。そう信じて生きてきた。そう信じていなければ、誰も僕のような人間などに気を留めるような真似などしないのだから、そのまま消え去るのだろうと思っていた。今、程度はどうであれ、僕を気に留める人物がいる。死ぬ訳にはいかないと思った。僕は、たったそれだけの理由で死ぬ事を止めたのかもしれない。帰り道、質屋の横を通った。縄と練炭が目に入った。気の迷いというものは、ふと湧き上がってくるものだ。じっと見ているのがおかしかったのか、夢追い人がこちらを見て話しかけてきた。客観している視線があった。僕はたったそれだけのものに、身を掬い上げられてここにいるのだ。そうでなければ、きっと死んでいただろうと思った。そうまで考えても、どうしてもそれが自分だとは思えなかった。どこかにいる、ただ死んでいくだけの人としか考えられなかった。どこかに、僕はそうやって存在していたのかもしれないというのに。
夢追い人はいつの間にかカップラーメンを口にしていた。僕の分までお湯を入れていた。一心不乱に食べた。随分と腹が減っていたようだ。その後はまた横になった。酷く疲れていた。ただ休みたかった。何事もなく時間を過ごしていたかった。望みは悉く達成されていった。やはり、よくばりなのだろうと思った。
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