生きているから恥ずかしくなれると。

 何と言っていたか、聞かないでくれ。別に、こてんぱんにやられた訳ではない。むしろ褒められたくらいだ……それこそ、殺されそうになるくらいに。そんな言葉を、わざわざ聞かせるつもりにはなれない。だからこうして、どうにか話題を別の方向に逸らすように仕向けているのだ。

 物語を見せていた時、僕は無性に腹が立ってきて、持ってきていたノートパソコンを開いた。許可も取らずにコンセントを占有し、構わずにタイピング音を部屋に響かせては、どうにか気を紛らわせようとしていた。その時連ねていた文章は、すぐにごみ箱の中に押し込んだかもしれない。確認する気にもなれなかった。心中しんちゅうに潜む阿鼻叫喚の地獄絵図を、言葉に直しただけの文章だ。それならまだ、批評されていく物語の方が、幾分いくぶんか出来がよかったかもしれない。そのように思い込んだところで、個人の眼差しに晒されている文章が、僕の羞恥を刺激せずに済んでくれる訳ではないのだが。

 あるいは、酷評されている方が気が楽だったかもしれない。無くす事のできない誤字脱字や、矛盾によって構成された展開に、筆者の稚拙ちせつな主張が重なって、これらを恥ずかしくないと思う者は、一体何であれば恥ずかしく思うのか? とにかく、僕は自棄やけになって、これ以上に恥ずかしくなってみせたいとまで考えていた。そうなったところで、どうなるでもない。自分の身を痛めつけるだけの事だ。痛みに身を包んでも、苦悩からは逃れられないのだ。だが、苦悩に向き合いたくはなかった。そうやって、ごみ箱の中に突っ込んでしまうだけの文章を書き連ねていたのだ。そんな事、どうでもいいだろうか。そうだろう。作家志望の日々なんていうのは、十中八九はつまらない出来事ばかりだ。何を志望していても変わらない事かもしれないが、作家志望は特に、つまらない日々を送っているものなのだ。そうでなければ作家志望になどなる必要はない。日々を生きていれば、それで十分に幸福になれるのだとしたら、作家を目指すのは愚者のする事だ。端的に言えば、適切な目標を持てなかった者が、作家志望に行きつくのだと。

 少し自虐が過ぎてしまった。しかし、希望を持たせるような事は、僕にはできない。僕には何も成果を出せていなかった。このまま大学を無事に卒業したとしても、そのまま社会に放り出されるだけだ。準備など一つもできていない。そしてするつもりもなかった。何気なく生きて、何気なく死んでいきたかった。贅沢だった。身の丈に合わない願望を持っていた。その為にどれ程の努力を重ねなければならないか……何気なく生きるというのは、生きる事を何気ないと言える程に、その敷居を下げるという事なのだから。だから、贅沢というのはつまり、自分でも叶えられるくらいの夢を追わせてほしいと、そう願っているようなものなのだ。

 まるで逆なのだ! 自分を、夢を叶えられる者とまで成長させる事が努力なのだ! 僕にはそれが欠けているから、こうやってここまで逃げてきたんじゃないか……そのような言葉の数々を、面と向かって伝える相手を、僕は持っている筈だ。だが言えなかった。それはきっとだろうと思った。相手はそのような苦悩など、少しも抱えてはいないと……そのような考えの下に発せられる言葉だろうと、僕は思っていた。だから言わなかった。だからこうやって書き連ねているんだ。

 僕はどうやら、家に潜り込んでからというもの、気味の悪い事ばかりしている。何か話すべきだと思った。うまく発声できず、咳払いまでしてしまった。これ以上に、気味の悪い人間にはなれないだろうと思った。

「なあ……面白いか? それ」

「そんな風に聞かれたら、大抵の人は気を遣ってと答えなければならなくなる。それは卑怯な質問だぞ。だから作家なんていうのは、自惚うぬぼれているくらいでいい」

「本にでも書いてありそうな言葉だな」

「だが、自分の言葉だ。俺が考えた言葉だ。だから本に書いてあるような言葉なんだな。俺も所詮、どこにでもいるような作家志望の一人さ。それでいいだろう。君だってそうじゃないか。それが駄目なら、夢を抱えるなんてのは愚か者のする事でしかなくなる」

「適切な夢なら、愚かな考えではなくなるだろうけどな」

「……それは、叶えられる程度の夢だって事か?」

 押してはいけないものを、押したような気がした。夢追い人はその顔に憎悪を表している。明らかに、を想起している姿だった。僕から話しかけて、僕から黙り込んだ。話はそのまま、途切れてどこかに飛んで、消えていくのだろうと思っていた。

「いや、すまない。少しばかり本気になってしまった。何気ない言葉だったろう。傷つけようとして放たれた言葉ではあるまい。実際、その方が懸命だろうからな。辿り着けもしない場所に向かうよりは、地に足を付けて、地道に生きる方がいい。その方が、きっと人らしい生き方なんだろう。俺は自分らしい生き方を選ぼうとした。それだけだ。気分を害したな、悪かった」

 何も、言い出せなかった。僕は穏やかな眼差しを夢追い人に向けていた。どうやら納得したらしく、原稿用紙に目を戻した。僕も同じように振る舞う事にした。ここまで生きてきて、未だに、自分の決意はそこにはなかった。まだ、怯えていた。

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