誤字脱字の日々に。
欠けている時間があった。消費されていくだけの時間の流れだ。行動を起こさず、体も起こさずに、ただ天井や壁を見つめて、それでいて体は常にこわばっていた。決定的な瞬間は近づいていた。一日ずつ、一時間ずつ、一分ずつ……最近は、一秒毎にその気配が増しているように思えた。だが気配が増しているというのは変だ。気配に量も何もないだろう。体積は持たないし、そもそも物体ですらない。これを物体たらしめているのは自分に他ならない。
つまり、それは恐怖だった。恐怖という形を保っていた。僕はここにいて、他のどこにもいなかった。だから近づいてきているのだろうと思っていた。どうだろうか。僕は、僕の恐怖さえ分からない。僕の恐怖なのだろうか。誰かの恐怖を肩代わりしているだけなのではないか。山頂からの景色を眺める者の、絶え間ない冒険を潜り抜ける者の、溢れんばかりの恐怖を僕が受け取っているだけなのではないか。だとしたら、それはどうやって伝わってきているのだろう? 理論的な発想ではなかった。全くの出鱈目に、違いなかった。
時間は今も欠けていくばかりだ。いや、その時を思い出そうとして書いている文章なのだから、それは今ではないのだろうか。今とはどこだ? 過去の事だ。現在の事だ。未来の事だ。絶えず位置が変動しているのに、全く同じ場所を指しているのだ。恐怖は今も近づいてきている。僕のいる位置が、ある一定の時の流れによって常に変動しているとしたら、恐怖は常に同じ速度で移動しつつ、同時に僕から生じる速度にも対応している事になる。器用なものだ。僕に、その器用さを少しでも分けてほしい。恐怖には僕がどれだけ不器用であるか分かっているだろう。だから、僕が持たない器用さを、多量に含んでいるのだ。恐怖はいつも、僕を分かってくれている。こんなのに理解してもらうくらいなら、恐怖と向き合う方が余程自分の為になるだろう。それができないから、僕は不器用で、弱いのだ。
アルバイトは続けていた。大学生としての立場も保っていた。これを完遂した時、自分に残ってくれるものは何一つとしてないだろう。だが、これを脱落した時も、それは同様だ。それならば、成し遂げてさえいれば、形だけでも大人という存在になれるのではないか。甘い考えが頭を駆け巡るばかりだ。現実的な、あるいは自身の弱さと向き合うような発想は、浮かぶ度に薄れていった。まるでトラウマのように、絶えず押し潰していなければならなかった。そうしなければ、幾らでもその形を取り戻して、こちらに襲い掛かってくるのだ。そう仕向けているのは、間違いなく自分だった。誤字脱字が生じる理由と同じだ。嫌になって逃げようとするから、しつこく追いかけてくるのだ。向かい合ってみせなければならない。試みてもいないから、失敗もしなかった。恐怖は
そういえばこの頃、会話らしい会話はなかった。あの時、決定的な瞬間に対する約束から、面と向かって言葉を発していない。いや、少しはある。アルバイト先の店長に対する応答が、会話における言語感覚を保ってくれている。後は全て、こうして文章に変わっていくだけだ。だからひとりよがりだ。そういう文章は、誰の為にもならない。自分の中でのみ解釈され、誰の目にも入る事はない。存在を認知されていなければ価値もなかった。作家志望なんて、そんなものだ。消えてなくなっても社会は成立するだろう。不可欠な存在ではない。そうやって、欠けてもよい存在がこの世から消え去った時、誰か一人でも残ってくれるものだろうか?
僕はここにいて、他のどこにもいなかった。僕は不可欠な存在をそこに見ていた。それこそが、僕を欠けてもいい存在という指標から遠ざけてくれるだろうと、そう思っていた。彼等は僕を不可欠だと思ってくれているのだろうか。僕は本当に、彼等に欠けてほしくないと思えているのだろうか。僕は認知されようとしながらにして、消え去ろうともしていた。消え去ろうとしながらにして、何かを残そうとしていた。僕は矛盾だ。相反する者だ。そうやって格好つけていれば、問題が解決できる人間になれるだろうと、勝手に思い込んでいるばかりだ。欠けているばかりだ。補おうとするばかりだ。そうだ、僕には空虚がある。これを伝えなくては。これこそ、伝えなければならないものだ。誰に?
目標がなければ旅立たないというのなら、永遠に旅立ちの時は訪れないだろう。伝える相手がいないというなら、見つけてみせるしかない。それに相応しい存在などと欲求を高める前に、やらなければならない事があるだろう。少なくとも、現れるのを待つだけで時を過ごすつもりなら、やるべき事は全て済ませなければ。何か書かなくては。書かなくてはと思っていた。また、一日が過ぎようとしていた。明日にしようと思った。昨日も、そう思っていた。
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