「彼」に会った。

 高校生の頃、よく遊んでいたあの彼だ。バイト中だったから、積もる話をする暇はなかった。口頭で約束を取り付けられて、バイト終わりになると公園に向かった。仕事中に親しく話しかけられたのは初めての経験で、加えて旧友との再会に興奮した僕が店長に怒られたのは言うまでもない。しかし、何の話なのだろうか。見知った顔だった。遊んでいた当時の、幼い面影が電灯に照らされていた。

「やあ、久しぶり。バイトって事は……お前は学生か」

「そうだ。羨ましいか?」

「ははは……いや、羨ましくはないよ。でも、めでたいね。俺の方は……なんていうか」

「どうした?」

「高校を卒業した後も、ろくに就職活動しなかったから……簡潔に言うと勘当されちゃってね。働かなきゃならない身分だから、肉体労働の日々よ。まあ、充実してはいるけどな。今はフォークリフトの免許を取ろうとしてるところさ」

「頑張ってるじゃないか」

「まあな。面目なくて、親父には顔合わせてないけどさ。親父に突き放された手前、出戻る訳にもいかないし……それに、今じゃ寮暮らしもできているしな。どうしているかは知らないけども……口減らしも済んだ分、楽に生活できているだろ」

「だったら今度会ってやりなよ。縁切ったわけじゃないんだ。親父さん、定食屋だったろう。腹が減ったから……理由はなんだっていいけどさ。むこうだって、少しくらいは気にしてるはずだぜ」

「そうかもな……今思うと、どうして俺を定食屋の店員にしてくれなかったのか……一人前じゃないとかなんとか……まだ若いから社会経験がどうとか……そんなの、定食屋にどう関係するってんだ。そりゃ食材の仕入れが経済の影響を受ける事くらい分かってるさ。仕入れはさせてもらえなくても、皿洗いとか、荷物運びとか……雑用くらいなら俺だっていくらでもできるだろう。それとも、調理師免許でも取れってか?」

「それもこれも、会って話してやりゃいいだろ。どうせここでぐちぐち言ってたって、何もわかりゃしないよ」

「……そうだな。いやごめん。せっかくこっちから誘ったのに、会って早々に愚痴だもんな」

「いいんだ。明日はバイトも休みだしさ。そうだ、高校の頃みたいにさ、ちょっとどこか食べに行こうぜ。今日は奢らせてもらうよ。定食屋で割引してもらったお返しにさ」

「あはは、いいな。そのあと親父にこっぴどく叱られたの、今でも思い出すよ。「一度話を通してくれりゃ、後から逐一確認しなくてもいいんだからよ!」とか言ってな。全くその通りだ」

「でも、割引自体には文句言わなかったんだな。いい親父さんだよ」

「そうだな……暇な時にでも、顔合わしてみるか」

「それがいい」


 その後、ありきたりなチェーン店に寄った。ラーメン屋だった。彼は必ず醤油で、チャーシュー付きのを頼むのだ。今回も、奢られる遠慮などは特になく、大盛りにまでしてもらっていた。半ライスも付けていた。その側で、僕はもっぱら塩ラーメンを頼むのだ。お互い、それが懐かしい思い出だった。あの時食べた味はどこの店だったろうか。そこまで遠くない記憶である筈なのに、妙に喉元でつっかえているようだった。

 その後、特に連絡先などは交換せずに別れた。同じ地域に住んでいるなら、そこまで会うのに苦労しないだろうと、向こうからの提案だった。こういう時の彼はどうも圧が強く、断る雰囲気さえも消し去るような語気の強さを持っているように感じられるのだ。僕の方も、そこまで言うなら……と、ことさらに要求する事もなく、離れていった。

 それから、彼がどうしているのかは知らない。なぜなら、これを書いているのは彼に会った次の日だからだ。その後は、町外れの古びたアパートの中で、一人ぼんやりとするばかりだった。彼は、高校を卒業してからの数ヶ月間で、いっぱしの労働者としての風格を持ち合わせているように見えた。立派だった。親父さんとの話し合いもうまくいくだろう。彼は社会に揉まれながらも、自身の立場を確立したのだ。少なくとも、遊び呆けているばかりではなかった。では、僕の方は?

 バイトはしている。大学にも通えている。だが、それは本当に自分の力で成し遂げたと言えるような、立派な行いであるのか? 学費の大半は親に支払ってもらっているだろう。バイトだって、楽そうなものを選び取って、適当に応答していたら受かっていただけなのだ。店長からは、初日からずっと不真面目だと言われている。実際、何度も遅刻していた。次に遅刻すれば、おそらくはクビになるだろうというところで踏ん張っているのだ。わざわざ崖の端に立って、風を全身に浴びて、バランスを崩しているだけだ。

 そうやって、悶々とするばかりだ。結局、そうやって作家志望の夢を遠ざけるばかりの日々だった。明日からはまたバイトだ……そうだ、僕にはまだ、何も成し遂げられていない。しかし彼はそうではない。僕はどうやら、彼の事が羨ましいのだ。そう気づいたのは、布団に包まれ、まどろみを感じていた時だった。

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