逃避の先には、逃避のみが残る。

 怯えている割には、どうにも能動的だった。しかし、こもりきりになっている現状に、文筆という灰色を足したところで、鮮やかな日々になるとも思えない。それなら、妄想を暴走させて、己の欲望を世の中に開陳かいちんするように生きるべきなのかもしれない。そして、僕にはそんなものさえ宿っていないのだった。

 あるいは、その妄想によって形作られる本能一色の表現でさえも、磨けば大きな光を生み出すものだ。そのという行為に対して、どうしようもない忌避の感情が芽生えているのが分かっていた。自分の心だ。その卑しい欲望を存在させる場所とすると、絶え間なく吐き気に襲われるのは分かっていた。

 だから、こうして自分の醜さを開陳させているのである。全くの矛盾だった。羞恥しゅうちを避けて、また別の羞恥に出くわしているのだ。それは逃避に似ている。何か恐るべきものを背に向けて逃げ出す自分は、その先に辿り着いてもまた逃げ出すしかないのだ。恐怖を視界から外したことで、恐怖を見失ってしまうのだ。そして逃げた先に恐怖を幻視する事となる。だから、逃避の先には、逃避のみが残るのだ。

 今、まさにその時だ。恥晒しの時だ。みっともない人間が一人、あらゆる体液を垂れ流しながら、辺り構わず走り去っていくのである。この文章というのは、その汚らしい行動のいしずえとなっているのだ。だから、本当はやめなければならない。こんな事はすぐにやめて、現実世界に身を投じなければならない。そして、その結果、僕はこの文章を書いている筈なのだ。また恐怖だ。また逃避だ。ここはどこだ。また訳の分からない所に辿り着いてしまったらしい。なんでこんな事を書いているんだ。嫌だ。僕はまだ未来を残している筈なんだ……。

 そして、その未来の中で、僕はやはり文章の自分なのだ。作家志望の死にぞこないなのだ。しかしこれもまた例の妄想なのではないか。己の欲望を開陳した結果なのではないか。ああ、僕はやはり逃げる人だ。能動的な臆病者だ。そうやって、僕は罪を重ねていくだけなのか。穢れを自分に押し付けようと必死になっているだけなのか。

 僕は、他者ではない。忌避されてはいても、自分はその行為の主体ではないのだ。そうでなければ、僕は僕を忌避しているのにもかかわらず、忌避されるべき行為を繰り返している事になる。また矛盾だ。作家としてではなく、人として、良識を持つ社交的な生物としての矛盾だ。駄目だ。これでは駄目だ……なのに続けているのだ!

 誰でもいい、助けてくれ……僕をここから救い出してくれ……まるで牢獄の中に閉じ込められているようだ。いや、自分がそうしたのではないのか? そもそも、これは逃避の話で……という事は、これも逃避の範疇はんちゅうで、現実世界はこの文章の中には含まれていないのだ。ではこれを書いているのは誰だ? どこだ! どこにいる! お前を見つけ出して、手錠をかけてやるぞ。

 そして、手錠をかけるのも、手錠をかけられるのも自分だ。逃避する自分と、追跡する自分とが、世の中の隅っこで這いずり回っているのだ。現実世界は遠く離れていくばかりだ。これを望んでいた筈だ。なのに何だ。焦燥感ばかりが心に蔓延っている。嫌だ。嫌だ。嫌だ……どうして時ばかり過ぎていくのか。僕はどこにいるんだ。どこにいるんだ……。

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