第9話
暗闇の中に瀬浦と思しき男が確かに2人の男子生徒を連れてやってくるのが見えた。親分でも気取っているつもりなのか先頭を堂々と歩いて旧校舎に入ってくる。指定した場所は船橋南高校の旧校舎の2階。元々図書室だった場所で今では新しい図書室で処分される蔵書が積まれている部屋だ。何度か澤部さんに言われて本を譲り受けに来たことがあった。だからここに来た時も誰にも怪しまれることはなかった。
「おい。言われた通りに来たぞ」
後ろで怖気付いている2人と違い瀬浦は叫んだ。さすがはサッカー部のキャプテンと言ったところだろうか。
「こんばんは。真紀の姉の水谷里奈です」
全員が部屋に入ったのを確認して里奈が3人の後ろから姿を現す。さすがの瀬浦も驚いた様子で振り返り一歩あとずさった。
「瀬浦晃一くん、近藤修哉くん、原勇志くんで間違いないですね」
「そうだけど」瀬浦は里奈に、あるいは仲間、あるいは自分自身に弱みを見せまいと余裕を持った声で答えた。
「なんで俺たちを呼び出したわけ?」
「手紙に書いたとおりです。あなたたちの行いで真紀は自殺を図って病院に運ばれました。自分がやったことの重さがわかりますか?」
「重いもなにも何もしてないって」
さっきまで黙っていた一人が早く帰らせろとばかりに口を開いた。証拠がない以上口を割らないつもりのようだ。
「お前の妹が変な妄想抱いて勝手に自殺しようとしただけじゃねえの?」
瀬浦の虚勢に騙された後ろの連中がそうだそうだと喚き散らかしている。先公みたいな口聞きやがって、とか汚ねえ顔だな、とか話と関係のない悪口まで聞こえてくる。
「そもそも妹がそんなことする前に姉が止めりゃあよかったんじゃねえのか」
その通りなのは痛いほどわかっている。自分にも全く非がないわけではないし全ての罪を彼らになすりつける気は毛頭ない。
「もちろん私もここで罪を償います」
「ここで?」瀬浦がキョトンとした顔をしているのが面白くて噴き出しそうになるのを堪えながら説明する。
「暗くて気がつかなかった?」手元のライターをつけると床一面が照らされて無造作に撒かれた滑り気のある液体の存在が鮮明に浮かび上がった。
「これ、よく燃えるんだって」
「だから俺たちはなんもしてねえって」
「私の妹があなたたちの名前を口にしました。私は妹の言葉を信じます。なんせシスコンなもので」
「は、そんなの証拠にならないだろ」
「盟神探湯を知っていますか?」
「クカタチ?」
「古代日本の裁判方法です。神に誓って罪を犯していないと言うのなら火傷をしないはずです。もし何もしていないというのならその身をもって無実を証明してください」
出口には里奈が立っている。他に退路がないことを確認した瀬浦は里奈に向かって走り出した。女一人なら体当たりで倒せると思っているのだろう。他の連中も彼に倣って走り出すがもう遅い。
ライターを床に落とし小さな火花が跳ねたかと思うと波紋が広がるかのように瞬く間に火が部屋中に広がった。旧校舎だからまともな防火装置も無い。里奈は1人部屋を出ると外からドアの鍵を閉めた。中から扉を叩く音が聞こえるが火がドアに燃え移った頃には何も聞こえなくなった。
里奈の周りにも火が回ってきた。やがてこの建物は崩れ落ちる。その時に私もまた死んでしまえばいい。息苦しさに意識が霞む中でそんなことを思った。
元から死んでいた命だ。父が私を助けた時からこの日に収束することは決まっていたのだ。顔に負った火傷は父を死なせ母を悲しませた有罪の烙印。その罪を償うために今日まで生かされてきた。
真紀と2人の生活は辛いこともあったけど楽しいことの方が多かった。自分の幸せはもう十分だ。
誰かが階段を上がってくる音が聞こえる。消防隊が駆けつけるには早すぎるから先生に見つかったのだろう。ただもう既に2階は火の海になっている。誰もここまでは辿り着けないだろう。
重くなる瞼の隙間に真紀の姿が見えた。走馬灯ってやつだろうか。
ごめんね、真紀。私は姉としての役割を果たせたかな。そんな言葉を投げかけると「もう十分だよ。私のためにありがとう」と言って真紀は里奈を抱きしめた。そしてこう続ける。
「これからは自分のために生きて」
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