第2話


 夏休み明けの席替えで隣になったのはバレー部の水谷真紀だった。

 土田雅成が席に着くと先に席に着いていた水谷は「よろしくね」と言って笑った。少しドキッとしながら土田は軽く会釈をした。

 突然声をかけられて驚いたこともあったがそれ以上に水谷は美しかった。サッカー部のキャプテンで2年生の瀬浦と付き合っているという噂を耳にしたことがあったが帰宅部の土田には真相はわからなかった。ただ少なくとも自分のような人間には無縁な存在だと思わせるオーラを水谷は持っていた。

 新しい席の机は前のものと比べて少しぐらついたが八つ折りにした紙を机の右前脚の下に挟むと安定した。来年で創立百周年を迎える船橋南高校の校舎は過去に一度建て直されたことがありそこまで古い印象を与えない。だが椅子や机は長いこと交換されていないのか机の表面に傷が入っていることや脚の高さが不揃いでがたつくことがしばしばあった。まさに公立高校といった感じである。

「それいいね」

 水谷は自分の机を両手でガタガタと揺らして見せ、手元にあった紙を八つ折りにすると長い黒髪が床につかないように片手でかき上げながら高さの足りていない机の脚の下に敷いた。その動きすら美しく、魅入ってしまいそうになるが水谷が一瞬こちらに視線を向けてきたので土田は慌てて目を逸らした。

 休み時間になると水谷の席の周りに三、四人の女子が集まってきた。移動教室の時にいつも一緒にいる集団だ。ちらと目をやると水谷の席を中心に、近くの空いている席に座った女子たちが最近の流行歌やアイドルの話で盛り上がっている。比較的顔のいいメンバーであるにも関わらず水谷の引き立て役に見えてしまう。

 それからまた数人の女子が水谷の輪に加わってきて段々と居心地が悪くなり、些細な尿意にすがって席を立った。

 トイレに向かいながら、自分とは本当に真反対だな、と土田は思った。水谷の周りには自然と人が集まってくるが土田の席にわざわざ来るような人はいない。

 土田は中学の卒業と同時にこの地域へ引っ越してきた新参者だった。このクラスに転校してきて最初の頃はどこから来たのか、とかおすすめの観光地はどこか、などと興味本位で聞いてくる人もいて、話しかけてくれることは嬉しかったが答えるときに吃ってしまい期待に添えるような返しはできなかった。吃音症だと昔母に言われたことがある。調べるとほとんどの場合が自然に治ると書いてあり一安心したものの現状は先に記した通りだった。

 多くの生徒は最初の数ヶ月で自分と波長が合う人間をうまく見定めいくつかの集団を形成していった。中学が同じだったものや趣味、部活が同じもの同士がくっつき徐々に輪を広げ、あぶれた人間もあぶれたもの同士で集まっていた。そうすることでクラスという小さなコミュニティの中に自らの居場所を確立していくのだろう。

 気がつけば周りに次々とグループができあがり各々の内輪ネタで盛り上がっている。仲間に入れてほしいという自分の思いを言葉にすることができなかった。文字でならいくらでも書き起こすことができるのにその言葉を流暢な音に変換する行為はとてつもなく難しいことのように思われた。

 だからいつも机で本を読むようにしている。それは1人で愉しむことができ、ブックカバーをかけていれば誰かに話しかけられることもない。そして何より本の中の世界はクラスの中で交わされるどんな会話よりも価値があることのように思えた。

 周りからは暗い奴だと思われているに違いなく、そう思われるほどにわざわざ話しかけてくる人はいなくなる。土田自身も初めのうちは周りの目が気になって孤独や寂寥感に苛まれこそしたが本にのめり込む今となっては透明人間の如く景色の一部に同化したらしく、侮蔑や憐憫の目を向ける人はいなくなり心底安堵した。これでようやく安寧が訪れたのだと。

 だから水谷に声をかけられたとき彼女の吸い込まれそうなほど黒い瞳に自分が映っていることに驚いた。思わず「僕が見えているのか?」と意味不明な言葉を発しそうになったほどだ。もちろん言葉にはならないのだろうが。

 トイレでは校則ギリギリの髪型をした男たちが最近誰と誰が付き合って誰と誰が別れたとかそんな話をしていた。土田が来てもまるで気づいていないかのように話し続けている。あるいはわざと聞こえるようにしているのではなかろうか。水谷と瀬浦が付き合っているという噂もそうだった。盗み聞きをしているわけではないが嫌でも耳に入ってくる。

 教室に戻ると土田の席は水谷を囲む女子の1人に奪われていた。どいてくれと頼むのも躊躇われ、居場所を失った野良猫のように廊下を彷徨った。

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