Sacrifice

みふね

第1話


「いつもごめんね」

「いいよ。気にしないで」里奈が真紀の足首を優しくさする。するとそこにあった腫れがみるみるうちに消えていった。「もう痛まない?」

「うん。ありがとう」

 バレーボールの大会一週間後に迫って練習にもひとしお力が入っていた矢先足首を捻ったのだ。医師からは数日は安静にしたほうがいいと言われたがバレーボールの強豪で知られる真紀の高校では選手の下剋上が激しく、レギュラメンバーとはいえ1日たりとも練習を休むわけにはいかなかった。

 そこで真紀は里奈を頼ることにした。

 里奈と真紀は顔がよく似た双子だったが姉の里奈がおとなしく内向的な性格であるのに対し妹の真紀は運動神経が良く、明るい性格から誰とでもすぐに打ち解けることができた。真紀の容姿の良さもあってか周りにはいつも人がいた。里奈もそんな妹を誇りに思うと同時に憧れのような感情を抱いていた。人付き合いが苦手な里奈も彼女のようになりたくて勇気を出して色んな人に積極的に声をかけてみたことがあったがいつもあからさまに嫌な顔をされた。

里奈には生まれつき顔に火傷のような大きな痣があったのだ。それが原因でいじめられることも少なくはなかった。

 そんな2人は体の傷を交換することができた。真紀が里奈の傷口に触れて軽くさすれば里奈の傷は消え真紀の体の全く同じ場所に現れる。その逆も然りで真紀はそのようにして足首の腫れを姉に渡すことにしたのだ。

 初めてこの現象に気づいたのは2人が3歳の時で真紀が公園で転んで膝を擦りむいた時だった。里奈は真紀の膝をさすりながら誰からか教わった「痛いの痛いの飛んでいけ」を呟いた。その瞬間本当に痛みはじんわりとなくなっていき、手を離すとツルツルの膝小僧が顔を出した。

 そういう呪文なのだから当たり前だと思っていたらその傷が今度は里奈の膝にあるではないか。真紀も見様見真似で里奈の膝をさすった。今度は里奈の傷がなくなり真紀の膝に現れるものだからどうしようもなくなって2人で泣いた。

 足に現れた腫れを氷で冷やしながら里奈は昔のことを思い出した。物心ついた頃から父のいない2人は母だけが頼りで泣けばすぐに助けてくれると信じていた。

 だが小走りで駆けつけた母は里奈に向かって「お前がちゃんと真紀のことを見てなきゃダメだろ」と怒鳴りつけ里奈の耳を強く引っ張った。母は顔に痣のある里奈を嫌い、その分真紀を溺愛した。

 何か嫌なことがあると真っ先に里奈を殴り、ときに蹴り付けた。真紀が皿を割ってしまった時もその怒りの矛先は里奈の頬に向かった。ピシャリと高い音が耳の奥で響き、遅れてじんわりとした痛みが湧き上がり、そこでようやく頬を叩かれたことを知った。誰に助けを求めるわけでもなく、ただ母の同情を引くために声をあげて泣いたがうるさいと言ってまた叩かれた。それから母は真紀の方に向き直ると怪我はない? と抱き締めた。

 仕事で嫌なことがあったときもストレスを発散するために里奈に手を上げた。死んでしまいたいと何度も考えたが自分が殴られている限り真紀が傷つくことはない。そんなことを思いながらなんとか痛みに耐え続けた。

 そんな母は2人が中学に入学したばかりの頃に多額の借金を残し電車に飛び込んで死んだ。親戚からは重い精神疾患を患っていたと聞いた。今思えばこそ異常だったが当時はそれが普通の母親なんだと思っていた。

 それからは親戚の仕送りを受けて生活している。だが母の残した借金や賠償金もあり里奈は高校進学を諦めた。家を売って故郷から離れた誰も自分たちのことを知らない町でアパートを借り、そこで暮らすようになった。真紀を養うために仕事を探していると父の大学時代の友人の澤部さんが声をかけてくれて彼が営む本屋で雇ってもらうことになった。

 真紀が幸せでいられるなら里奈は自分の人生なんてどうでもよかった。真紀のためならなんだってしたし、真紀が怪我をしたときには傷の掃き溜めとなってその痛みを癒した。美しい真紀に傷は似合わないし、そもそも自分にできることなんてそのくらいしかないと思っていた。

 真紀が風呂場に入っていくのを見送り、足首の腫れを指でそっと押してみる。鈍い痛みが走り、氷を当てると和らいだ。その感触がどこか気持ちよくて何度も、何度も押した。

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