第55話 図書室
「シイラちゃんは北部から来たんですか?」
ちょっと前にベルナが始めた朝食会で質問される。確かしばらく前から大部屋に宿泊している女だと思う。
「北部?」
同席している別の女が反応する。
「はい。北部の一部の地域には人間に変身する魔物がいると信じている地域があるって聞いたことがあります」
質問した女がこたえる。
「魔物?」
「えー、シイラちゃんはかわいいから魔物じゃないですよ」
「そうですよ」
かわいいの基準は今でもよくわからないが、ダンジョンで戦った魔物は人間や猫とはかなり違った外見であることは確かだ。
北部の話はこれまでも何度か聞いたことがある。もしかしたら、以前住んでいたところは北部なのかもしれないとも思っている。
「北部かどうかは知らないが、こことは全く違うところにいたことは確かだ」
とこたえる。
「へー、どんなところなんですか?」
さらに質問されるが、違いすぎて何から説明したものか。
「何もかも違う。言葉も文字も違う」
以前いたところでは、人間の言葉は理解できなかったし、しゃべることもできなかったのだが。
「北部の言葉はこのあたりとはかなり違うそうですよ」
「あ、それ聞いたことある。いってることの半分もわからないって」
半分どころかまったくわからなかったのだが。
「他には?」
「馬が引かなくても動く乗り物とか、夜でも昼のように明るくできるとか家の中から外の様子を見ることができたり、夏でも冷たい風が吹き出す箱とかがあった」
思い出したところをしゃべってみる。
「ヘー、魔法使いが多かったのかな」
「魔法を生活で使うって面白いね」
「そんなところがあるんだね」
魔法使いという言葉はここに来て初めて聞いた言葉だが、元いたところにもいたということなのだろうな。
それはそうと、私が元居たところが北部というところなら行ってみたいものだ。以前の同居人もそこにいるなら会ってみたい。
「北部についてもっと知りたいのだが、北部から来た人間はここにいるのか?」
と聞いてみる。
顔を見合わせる住民。今日は8人集まっているが、北部から来た人間はいないらしい。
「北部について知りたいなら、図書館に行くのがいいかも」
「図書館?」
聞いたことがあるような言葉だが、何だっただろう。
「この街だと図書室だね。ギルド本部に図書室があるよ」
そういえば、以前ベルナが魔法のことを調べるのに図書室に行くとかいっていたような気がする。
ということで、ギルド本部の建物の中にある図書室に来た。ギルド本部に登録している者ならだれでも利用できるそうだ。
来たのはよいが、天井まで届く高さの棚に本が並んでいる。その棚もたくさんあってどれを見ればよいのかさっぱりわからない。
「こんにちは」
図書室の入口にある受付のようなところにいる女が体を乗り出して私の方をのぞき込む。
「えっと、シイラさんですよね。何かお探しですか?」
ギルド本部は何度か来ているので私を知っている人間は少なくない。
受付に飛び上がり腰を掛ける。ここには人間の姿で来ているのだ。
「北部について知りたいのだ。図書室にいけば何かわかるのではないかといわれたのだが」
「北部地域の魔物伝説についてですね? 多くはないですが、ありますよ。こちらへどうぞ」
そういうと女が受付から出てくる。北部といっただけだが、魔物の伝説について調べたいということがわかったようだ。
「ロスペルさん、受付お願いしますね」
「はい」
受付にいた男に声をかけると、図書室の奥の方に歩いていくのでついていく。
「まずはこの地図もあった方がいいですね」
そういうと棚から大きな本を取り出す。
「あ、私はリリアナといいます。ギルド本部図書室の司書です」
司書というのは何のことかわからないが、図書室で働いているということだろう。
「よろしく」
「魔物の伝説は様々ありますが、北部地域の伝説は人間に変身するというところが特徴的です」
そういうと分厚い本を手に取る。
「これとこれですね。これは、文化論だからちょっと違うかな...」
つぶやきながら本を手に取るリリアナ。大きさはまちまちだ。
「では、こちらに」
閲覧席とやらに案内される。
椅子は私には低すぎるので、本を運ぶ際に使う箱を椅子の上に乗せてもらった。
本を見たことはあるが読んだことはない。閲覧席の机に並べられた本は4冊、一番大きな本は地図だ。
まず地図を開いてみる。ガレスウェルの地図は見たことがある。地図というのは実際の場所を小さく絵に描いたものだったな。表紙をめくると見開きの地図が表示される。
文字がたくさん書いてあるが、下の方にフデツと書いてあるのを見つけた。フデツというのは確か魚を捕まえる漁港のある街だったな。フデツとついた名前は他にもある。フデツ湾、フデツ港、フデツ街道。街道は道路のことだったので、フデツからガレスウェルにつながる街道があるはずだ。あった、ガレスウェルだ。この前行ったライゼルもどれかの街道でガレスウェルとつながっているということになるな。見つけた。すぐ近くにある。
フデツ、ガレスウェル、ライゼル、知っている街三つは地図の下の方に集まっている。ライゼルまでは乗合馬車で6日かかったが、地図で見るとすぐ近くなのだな。
それはそうと、北部という街が見つからない。
「調べているものは見つかりましたか?」
隣にリリアナが来ている。
「休憩時間なんですが、ちょっと気になったので」
「北部という街が見当たらないのだが」
「ああ、北部っていうのは街の名前じゃなくて地域の名前なんです。このあたりですね」
地図の上の方を指さす。大きな文字で北部地域と書かれている。こんなに大きな文字なのに気づかなかった。
「ずいぶん遠いのだな」
ガレスウェルとライゼルが近くに並んでいるのに比べるとずいぶん離れている。
「そうですね。行くのはちょっと大変。100日以上、移動している間に季節が変わるって聞いたこともありますね」
そんなに遠いのか。行くのは難しそうだ。
「こっちは魔物伝説をまとめた本ですね。これは主に子供向けの絵本です」
本を開くと大きな絵が書かれていて、文字は下の方にしかない。絵本というのは絵の多い本のことか。
「例えば、子供のしつけで語られることが多いですね。悪いことすると、小さい人間に化けた魔物が出てくるとか」
子供を脅すのか。確かに、そんなことをいわれると悪いことをしなくなるのかもしれないが。
「この本には魔物の絵がありますよ」
そういうとリリアナが開いた本を前に置く。
長い髪と鋭い目つき、牙が出ている。
「服を着ていないな」
裸という点からすると、人間に変身した魔物とか動物というのは十分考えられる。
「毛のない猿といわれることもあるようですが、目撃者の話では猿には似ていないということですよ」
こいつは裸で歩き回っているということは、服を着なくても問題ないのか? そうなら楽なのだが。
「人間の姿になる時は必ず服を着ないといけないといわれたのだが」
来ている服をつまんで引っ張る。
「え? ああ、それはそうですよ。人間の姿で人間と一緒に暮らすなら服は必須です」
そういうものなのか。服を着ていないと魔物と思われてしまうのかもな。
「この魔物は人間の言葉をしゃべるのか?」
気になったので聞いてみる。
「しゃべるといわれてますね」
そういうと本を手に取りページをめくるリリアナ。
「攻撃する、出ていけ、怒っている、とかの単語だけをしゃべる、という説明がありますね」
動物の言葉のような感じだな。私も人間に変身できるようになるまでは、猫同士で話すときもそんな感じだった。
私は言語能力の獲得で人間と変わらない感じでしゃべるようになったが、魔物の場合は違うのだろうか。もしかして猫だけができることなのだろうか。
「あ、そろそろ休憩も終わりなので失礼しますね」
「教えてもらって助かった」
「また来てくださいね」
そういうとリリアナが立ち上がる。
「あれ、お人形?」
声がする方を見ると、本を抱えた人間の子供が私の方を指さしている。
「シイラさんはお人形さんみたいですから、子供に人気があると思いますよ」
人間の子供にはあまり会ったことはないが。できれば近寄りたくない気がする。
「ここには子供たちのための子供部屋が用意されてるんですよ。こっちです」
なぜかリリアナに子供部屋とやらに連れていかれる。
「みなさーん、シイラちゃんです。仲良くしてあげてくださいね」
10人くらいいる子供が一斉に私の方を見たと思ったら駆け寄ってくる。
「お人形?」
子供には私が人形に見えるのか。確かに人形と同じような背の高さだから無理もないが。
一人の子供が頭をなぜてくる。それを見た他の子供も一斉に触ってくる。
「動いた」
「歩いた」
「逃げた」
「追いかけっこだ!」
子供らが追いかけてくる。
「ほら、人気があるでしょ。本は片づけておきますね」
リリアナはそういうと部屋を出ていく。なぜこうなるのだ。
子供相手では戦うわけにもいかない。
この部屋には家具のようなものがなく、手の届かないところに逃げることができない。どうしたものか。と考えている内に取り囲まれてしまった。跳躍力を活かして子供らの頭を飛び越える。
「飛んだ!」
「すごい!」
子供は多いが、私の運動能力からすれば逃げるのはたやすい。捕まえられるものなら捕まえてみろ。
しばらく逃げ続けていると、子供らも飽きてきたようだ。ようやく落ち着けるかと思ったら、一人の子供が泣き出した。
「だっこしたいのに!」
つられて他の子供も泣き出した。
「わたしもだっこしたい」
泣き声を聞いたのかリリアナが部屋に戻ってきた。
「シイラさん」
呼ばれたのでリリアナの近くに移動する。
そろそろ帰る旨を伝えることにしよう、と思ったら体を捕まえられてしまう。
「ほら、みんなシイラちゃんをだっこできますよー」
「わーい」
「私が先!」
子供に近寄りたくない理由を思い出した。
以前いたところで同居人と公園に行ったときに子供に捕まえられたのだ。体をあちこち触られたり何かの食べ物を口に押し込まれたりで散々な目にあったのだ。
人間の姿でも同じ目にあわされるとは思わなかった。図書室にはもう二度と来ることはないだろう。
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