第18話 見習い魔法使いの作戦

どうもベルナの様子がおかしい。

いつも私を見かけると風呂に入ったか聞いてくるし、実際に私を捕まえて風呂に連れて行こうとすることも少なくない。まあ、ベルナに捕まる私ではないことはいうまでもない。そんな感じだったのに、ここ最近は私を見かけても挨拶するだけなのだ。


彼女は見習いとはいえ魔法使いだ。聞くところによると魔法とやらは色々なことができるそうで、攻撃や防御はもちろん物に触れることなく動かしたりするようなものもあるらしいが、彼女はそういった魔法は使えないようだ。彼女が魔法を使うのを見たのは、この前いっしょにダンジョンに行った時に見た杖の先を光らせるのと、同じく杖から炎を出して大ムカデを焼き払ったのだけだ。だが、何かを企んでいるような気がしてならない。


さて、今日も朝食の後に中庭で人間の形態での運動能力を確認した後、いったんリスタの作業場に行って着ているものを脱いで猫に戻ろうかと、白兎亭の中に戻ったところでベルナがいることに気づいた。


「おはよう、シイラちゃん」

ベルナがにこやかだ。

「おはよう」

と挨拶し、横を通り抜けようとする。

「ねえ、魔法の使い方についてなんだけど」

ベルナが呼びかけてくる。ダンジョンで人間に変身できる能力を得たが、ベルナによるとこれも魔法の一種だから、他にも魔法が使えるかもしれないということで、ベルナに魔法を教えてもらっているのだ。ただ、まったく成果がないので最近は教えてもらうこともほとんどなくなった。もちろん魔法への興味を失ったわけではない。


「まったく使えそうにないが」

率直にそういってみる。

「うん。私の魔法は火属性っていうんだけど、シイラちゃんはたぶん違うから、私では教えるのは無理かなって思って」

「そうなのか?」

「うん。残念だけどね」

「なるほど。まあ、世話にはなった」

会話も終わったような感じなので去ろうとしたが、ベルナが話を続ける。

「で、そのお世話なんだけど、まだ足りないところがあるのよね」

なんか怪しいな。いつもは右手に持っている杖を左手で持っているし、右腕は背中に回したままだ。いつでも逃げられるようにしておくか。


「これ」

そういうとベルナは後ろに回していた右腕を前に出す。手には短めの棒を持っており、その棒の先には短い布が何本も結び付けられている。ベルナがその棒を舌の方に向けて左右に振りだす。棒の先の紐がその動きに引っ張られて不規則に動く。

これは以前いたところでも同居人が持っていたものと同じようなものか。猫の形態だと間違いなく即飛びついてしまうやつだ。


「い、今は、に人間の形態だから..」

とはいえ元は猫だし、猫形態で過ごした期間のほうがはるかに長い。

「はーい、こっちですよー」

完全に猫扱いだ。視線をそらすが、ベルナはすぐにその方向に棒をもっていくので視界に入ってしまう。

振り返ってベルナから離れようとするがなぜか先回りされてしまった。

「たのしいですよー」

確かにベルナは棒を左右に振ることを楽しんでる。


結局、逃げ回ったがその甲斐なく、動き回される紐にとびかかってしまい、ベルナに捕まった。

人間の形態ではあの動きに即反応しないことは分かったが、やはり長年の積み重ねというか習慣によって飛びかかってしまったらしい。人間の形態でいる時間が増えればそのうちなくなるだろうが、これは私のある意味弱点だから克服しなければな。


どうやらベルナは私を風呂に連れていくようだ。

「風呂は一回1シルバかかるが、私はお金を持っていない」

「大丈夫、私のおごり」

「いや、それは悪い」

「じゃあ、これは貸しにしておきますね」

便利な言葉だな。

「風呂の用意もしてないし」

「持ってきました」

準備周到ということか。だが、まだ逃げる機会はあるはずだ。


「お風呂に到着ですよー」

白兎亭に来てから風呂場に入るのは初めてだが、ここは服を着たり脱いだりするところか。今は午前中だが、5人の人間がいる。ここの風呂は教会の二回目と三回目の鐘の間、五回目と六回目の鐘の間だけ湯が出されるということだったな。中庭でカウエンが焚いている火で沸かした水がここに流し込まれる。この世界の人間は毎日風呂に入るやつは少ないようだが、ここは住民が多いので風呂を使っている人間は毎日いるということのようだ。


「服を脱ぎましょうね」

ベルナが抱えていた私を床におろす。

これを待っていた。ベルナの手が離れた瞬間、入口に向かって駆ける。

え? 脱衣場にいた5人の女が立ちはだかる。


「シイラちゃん、お風呂が嫌いなんてだめですよ」

「そうそう」

「きれいにしましょうねー」

こいつらもベルナに協力しているのか。


「ここで逃げ出すことはわかってましたよ」

ベルナがにこやかだ。

だが、こいつらに捕まる私ではない。脱いだ服を置く棚の一番上に飛び上がる。

状況を確認する。脱衣場の入口は一つ。もちろん閉まっている。開いている扉は浴場側だけか。人間は全部で6人。誰かが入ってきたところで外に出るのがよさそうだが、一人が入り口の前に立っている。こちらの行動はお見通しということか。だが、一人なら何とかなる。彼女らの手が届かないところを移動しながらその瞬間を待つ。


来た。ドアが少し開く。今だ。いったん下に飛び降り、床を蹴って扉の方に跳躍! ん? 体の動きが遅い。体は空中に浮いているがなぜか速度が落ちる。


「それもお見通しですよ」

そういうとベルナが空中をゆっくりと進む私を捕まえる。

「彼女は狙った相手を浮遊状態にできるんです」

「うん、ちょっとの間だけどね」

こいつは確か大部屋に住んでる女だな。魔法使いだったのか。


「もう逃げられませんよ」

ますますベルナはにこやかだ。


「猫はお風呂入らないから、初めてだよね」

いや、以前いたところでは猫だったが風呂に入れられたことがある。

「そうだな」

こっちでは猫を洗う人間はいない。

「お風呂もいいものですよ」

少なくとも猫の時にはそうは思わなかった、と以前いたところのことを思い出したところで服を脱がされた。下着を脱がされたらすかさず猫に戻って逃げ出してやる。


「そうはいきませんよ」

ベルナに両腕を掴まれる。お見通しということか。


浴室に入る。湯気で真っ白だ。中庭から供給される熱い湯の入った大きな桶と水の入った桶があるようで、人間はそこから小さな桶に湯と水をすくって使うらしい。この世界の人間は浴槽には入らないようだ。


「はい、ちょっとぬるめのお湯を用意しましたよ」

「このせっけんを使ってくださいね」

「お湯を体にかけますから目を閉じてくださいね」

そういうとベルナが私の頭からお湯をかける。髪の毛が顔にへばりつく。体には猫のような毛がないので、簡単に流れ落ちる感じだ。それから、体の洗い方やらを教えられたが、目に水が入ると前が見づらく、こんな状態で人間はよく体を洗ったりできるものだ。


ようやく風呂が終わって脱衣場に移動。大きな布で頭と体を拭われる。頭以外の体は布で拭えばすぐに水がなくなり乾くようだ。これはいい。髪の毛はそう簡単に乾かない。この世界には、濡れた体を乾かすための温風とご轟音がでる物体はないようだ。だが頭だけならそれほど不快でもない。


「お風呂はどうでしたか?」

ベルナがたずねる。

「猫の形態では濡れるのは不快なのだが、人間の形態ではそれほどでもなかった」

「さっぱりして気持ちよくないですか?」

「さっぱり?」

「そうです。お風呂に入ると汗とか汚れが落ちますから」

そういうことか。

「体が濡れるのは慣れないから、まだそういう感じはしないな」

そっちょくな感想をいう。

「猫の時によく顔を前足で拭ってるよね。猫が顔を洗ってるとかっていうけど」

もう一人の魔法使いが尋ねてくる。人間は猫が顔を洗っていると思っていたのか。


「あれは顔というか主に口の周りの汚れを落としたり、ひげを整えているのだ」

猫の行動について説明する。

「お湯を使うと単にこするより汚れがよく落ちるでしょ?」

これはベルナ。

「まあそうだな」

「そうです。人間は口の周りだけじゃなくて全身の汚れをお湯で落とすんです」

「そういうことか」

「そうです。人間としてお風呂は絶対に必要なものなんです」

ベルナが力説する。

「わかったよ。これは1年に1回入ればいいのか?」

以前いたところでは、確か春あたりに1回体を洗われていたように思う。

「えっとですね、今はまだ涼しいですが、夏になったら毎日入ってください。冬は10日に1回くらいでも構いません」

そんなものなのか。以前いたところの同居人の人間は毎日入っていた。ここはいいところではないか。

「お風呂に入らなくても顔と足は毎日洗ってくださいね。それと、濡らして絞った布で体中を拭いてください」

ベルナが説明を続ける。それは面倒だな。


「面倒だな」

「これができないと、一人前の人間の女の子とはいえませんよ」

ベルナがなんか怖い顔をしている。まるで怒られているようだ。

「しかたないな」

やはりベルナの前に人間の姿で現れるのは極力避けたほうがよさそうだ。

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