第2話 新たな家

住むことになったこの家「白兎亭はくとてい」は、人間のための食事をつくる食堂や酒場と呼ばれるところと、寝床を貸す宿屋というところが一緒になった建物のようだ。

ここでの私の役割は、ネズミ狩りだ。これまでその役割の猫がいたそうだが、いなくなってずいぶん経つらしい。で、私がその後任というわけだ。ネズミ狩りは得意だし、まあそれくらいはしてやってもいいだろう。それと、名前は「シイラ」と名付けられた。元居たところでは「ムギ」と呼ばれていた。


夜明け前から建物の中を歩き回ってネズミを狩った後、窓辺に座り通りを眺める。以前住んでいた場所のように騒音を出す大きな箱状の物体が通りを走ることはなく、ここは静かなところだ。


「あ、ここだ。やっと見つけた」

声が聞こえたほうを見ると、大きな荷物を背負った若い人間の男が建物を見上げている。

「失礼しまーす」

そういうと扉を押して建物の中に入り、さらに食堂に通じる扉を開ける。


「すいませーん、食堂はまだやってないんです。昼までもうちょっと待ってください」

昨夜最初に出会った男がこたえる。この男はこの食堂で働いている。


「いえ、食事じゃなくて宿を借りに来たんです」

若者が返事する。


「ああ、それなら、そっちに回ってもらえますか。宿の入口はそっちにありますので」

この建物の入口を入ると小さな部屋に入り、そのまま正面に向かえば食堂、左側のドアを開ければ宿屋の入口だ。

若者は男が指さす方を見る。


「アリナさん、宿に泊まりたいってお客さんが来てるよ」

「はーい」

食堂の方から昨夜出会ったもう一人の女が出てくると、若者を追いかけて宿屋の入口に向かう。


若者は私が見ていることに気づいたようだ。

「看板猫かな」

そういうと顎を撫でてくる。

何となくついて行ってみようかという気になったので、窓辺から飛び降りてついていく。


「いらっしゃい」

若者を追い越して宿屋の受付に入ったアリナさんが挨拶する。この人間は私に親切にしてくれるいい人間だ。


「こんにちは。あの、しばらく宿を借りたいんです」

若者がこたえる。


「しばらくというのは、どのくらいですか?」

受付に入ったアリナさんが若者にたずねる。


「えっと、いつまでかは決まってないんですけど、たぶん秋の収穫祭あたりまでです。ここは安くて長く住むこともできるって聞いてきたんです」


「そういう人たちは共同の大部屋に宿泊してますが、そこでいいですか?」

ほほ笑むアリナさん。


「大部屋ですか」

ちょっと考え込むようなしぐさの若者。


「部屋を見てみますか?」

「お願いします」

「ではこちらへどうぞ。二階にあがります」

そういうと階段を上っていく。若者といっしょに私もついていく。

階段を登ると薄暗い廊下が見える。

「ここが大部屋です」

そういうとドアを開けて中に入る。


「大部屋は、ご覧の通り二段ベッドが並んでいる共同の部屋です。ここは22人分」

二段に並ぶベッドが壁際と部屋の中に並んでいるので、ベッドとその間の通路しかないという感じだ。

昼前で住人はほとんどいないが、何人かは寝ていたり足を通路側に出して座っている。


「各ベッドにはこのようにカーテンがあります。あと、枕元には引き出しや物置があります」

「結構大きいですね」

「そうですね。日常生活に必要なものなら収納に困ることはないですよ。後、ここを引き出せばちょっとした机としても使えます」

そういうと引き出しの一番上の板を引き出す。


「大部屋は男性用がもう1部屋、女性用が1部屋、その他が1部屋あります」


「その他、ですか」

「その他というのは、特に性別の制限はしていない大部屋で、ドアのついた仕切りで区切られた小さな部屋に分かれています」


「お、新入り?」

ほうきをもった男が部屋に入ってくる。

「こんにちは」

若者があいさつする。

「冒険者かい?」

「はい」

「いいね。俺も冒険者なんでよろしくな。ギース・ストランドっていうんだ。大部屋にはもう3年半は住んでる」


「え? 3年半、ですか」

私はここに来てからまだ10日ほどだが、この間にここから引っ越していったのは1人いた。ほとんどの人間は大部屋に1年以上は住まないらしい。この若者も秋までの予定ということだから、半年程度の滞在を想定しているということか。3年半も住んでいると聞いて驚いたのだろう。


「このストランドさんのように、宿泊代を払う代わりに働いている方も大勢いらっしゃいますよ」

3年以上経っても日々の宿泊代を稼げていないということだな。意気揚々とやってきたこの若者の自信をくじかなければよいが。


「貧乏冒険者はつらいね。まあ、俺のようなやつのおかげでここは安いのさ」

そういうとギースは掃除を再開する。


「宿泊代は前払い、長期の宿泊の場合は10日分を先にいただきます。宿泊代には朝食代が含まれています」

「朝食といっても前日の夜の残りもんだけどな」

掃除をしながらギースがつぶやく。


「不満があるなら食べなくてもいいんですよ」

ギースの方を見ることなくアリナさんがいう。

「とんでもない。夕食のような豪華な朝食っていいたかったんだよ」

掃除の手を止め弁解するギース。


「大部屋の他に個室もありますが、見てみますか?」

「この大部屋の料金はいくらですか?」

「一日当たり4シルバです。長期滞在の場合は、10日分40シルバを前払いでいただきます。ただ、皆さん支払日が違うと混乱するので、決まった日に払っていただいています。今日からだと、最初はまず24シルバになります」

考え込む若者。

「それなら何とかなりそうです」


「10日毎にここで支払っていただいてもかまいませんが、ギルド登録は済んでますか?」

アリナさんが若者に尋ねる。

「いえ、まだです」

「そうですか。ギルド登録するとギルドに口座ができます。ここ白兎亭の口座もありますので、何もしなくても10日ごとにお金を移動するよう手続しておくこともできます」

「そんな方法もあるんですか」

「はい。ギルドのお仕事の報酬も口座に入りますし、預けておいたほうが安全ですよ」

「そうですね」

「では、最初の24シルバは直接お支払いいただきますが、ギルド登録のときに白兎亭のお支払いっていっていただければ手続きできます」

「はい。そうします」


「他に必要な費用としましては、洗濯場を使う場合は一回1シルバ、お風呂も一回1シルバです」


「風呂で洗濯すれば1シルバで済むよ」

ギースがいう。アリナさんは気にしていないようだ。


「それでは手続きしますので、受付に戻りましょう」

「はい」


階段を降りると、くたびれた4人組が宿の方に入ってきた。ここに住んでいる冒険者のパーティーが返ってきたようだ。


「おかえりなさい。浮かない顔ですね」

アリナさんが声をかける。見ると、みんな疲れ果てていて、服や防具も汚れたり破れたりしている。


「はあ。まあ見ての通りです」

男はそういうと担いでいた動物の死骸を床に放り出す。全部で5頭。いや6頭か。一匹小さいのが見える。

「取りあえず、この獲物でみんなの宿泊代10日分にはなるかな」

「そうですね。ザノトフさんのところにもっていって鑑定してもらってください」

アリナさんがこたえる。ザノトフというのはこの白兎亭の食堂や宿のいろんなものの調達をしている男だ。中庭でこういった動物の解体をしているところもよく見かける。解体しているところに行くと時々肉の切れ端をくれるいい人間だ。


「ここで働くほかに、こういった獲物で宿泊代を払うこともできるんですよ」

「そ、そうなんですか」

なんか不安そうな表情だな。まあ、さっきの掃除していた男やこいつらの様子を見れば無理はない。


「もう、二度とあんたとは組まないからね」

女が不機嫌そうにいう。

「だから、あれは偶然だっていってんだろ」

「なにが偶然よ。起こるべくして起きた人災でしょ」

「いいかげん許してやれよ」

「あんたも、あれ外すとかありえないでしょ」」

「だから、何度も謝っただろ」


「はいはい、お客様の前でもめごとはやめてくださいね」

アリナさんが口論をおさめようとする。


「ん? おう新入りか。俺はエルキノ、よろしくな」


「はい。今日からお世話になります。ハルト・グリアです。よろしくお願いします」

慌ててこたえる若者。名前はハルト・グリアというのか。


「こいつとは組んじゃだめだからね。まったくあてにならないから」

女が指摘する。この散々な結果に終わった仕事の原因はエルキノにあるといいたいようだ。


「だから、あれはたまたま失敗しただけだよ」

「いやいや、目の前の外したこといってんじゃなくて、そもそも最初っから段どりがお粗末すぎてお話にならないのよ」

「そういうお前も..」


「み・な・さ・ん、騒ぐなら外に出てくださいね」

アリナさんの、笑顔だが有無をいわせぬ雰囲気は伝わったようだ。4人は獲物を抱えて中庭の方に向かう。


「ここは経験の浅い冒険者さんが多く住むところですから、失敗することも珍しくないんですよ」

笑顔を絶やさないアリナさん。

「そうなんですね」

やはりちょっと不安そうな感じだな。

「もしお金に困ったら遠慮なくいってくださいね。お仕事はたくさんありますから」

そんなことをいうと、彼をますます不安にするだけだと思うが、アリナさんは気づいていないようだ。

「は、はい」


「もちろん、成功してここを出ていく人もたくさんいるんですよ」

「そ、そうですよね」

若者の表情がちょっと明るくなる。

こいつは私がここに住むようになって初めての新入りだ。ちょっと様子を見てやることにするか。

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