異世界に転生した私は猫である。

草川斜辺

第1話 変なところへ

床にひもが置かれている。

紐は丸い形状を描いており、その紐の向こう側には同居人がいる。丸い大きな目のようなものがついた黒い箱を顔の前に持ち、私の名前を呼んでいる。


どうやらその紐の輪の中に入って欲しいようだ。昨日は同じところに小さな紙の箱が置かれていた。まあ、朝食を出してもらったことだし、期待に応えてやるか。


ゆっくりと歩いて紐で描かれた輪の中に入る。同居人が喜んでいる。いったい何が楽しいのだか。

同居人が移動した方を見ると、別の紐で作った輪が作られている。輪はちょっと小さい。どうやら今度はそっちの輪に移動してほしいようだ。


「みゃあ」

こんなことに何の意味があるのか。


その疑問を伝えるが同居人は我々の言葉が理解できない。やれやれ。まあ、べつに移動してやってもいいのだが。ちょっと抗議の意味も含め、さっきよりゆっくりと移動する。


そんな毎日を過ごしていたある日、同居人が不快な轟音を放つ棒状の物体を床にこすりつけているときに、窓が開いていたので外に出てみた。


外には時々でているが、その日は天気もよかったのでなんとなく遠出してみようと思った。


窓のすぐ下の斜面に飛び降り、さらにその斜面を下って道路わきの塀の上を歩いていると、人間の子供が親と思しき人間といっしょに歩いているのが見えた。何となくその子供と同じ速さで歩いていると、その子供が手に持っていた小さな球体が地面に落ちて転がり始めた。


同居人も持っている球体と同じようなサイズで、その球体を転がされると思わず飛びついてしまう。


この日もつい球体が転がるのを見て、歩いていた塀の上から人間用の道路に飛び降りて球体を追いかけてしまった。人間が歩く道路は、高速で動く箱状の物体が行きかっている。転がる球体に気を取られて、その箱状の物体が近づいてくることに気づいていなかった。人間の子供が大声を出したがすでに避けられる余裕はなく、衝突してしまった。そこまでは覚えている。



気が付くと木がたくさん生えているところにいた。

時々同居人といっしょに行く木の多い広場まで跳ね飛ばされたのかと思ったが、そこはそれほど近くにはないことを思い出す。


ぶつかった時の衝撃は大きかったように思うが、幸いどこもけがはしていないようだ。ここがどこかは分からないが、まずは人間のいそうなところを探してみよう。


どっちの方向に進もうかとあたりを見回すと、近くに何かいる気配を感じる。警戒しつつ様子を見ていると、茂みから何かが飛び出してくる。見たところ、半球状で半透明の物体だ。これはあの人間が持つ球体のようなものなのか? そんなことを考えながら注視していると、その場で小さく跳び上がり始めた。これまでに見たことはないが、どうやら生き物のようだ。


突然、こちらに向かって飛びかかってくる。反射的にパンチ。地面にたたきつけられたその半透明の生物は動かなくなったと思ったら、細かく分解してしまう。分解された際、目の前に複雑な形状の線で描かれた模様のようなものが現れる。すぐに消えたが、同居人と住んでいた部屋に似たような模様があったことを思い出す。人間ならこれが何を表すのかわかるのだろうか。


この生物が何なのかはよくわからないが、一撃で倒せるなら問題ないだろう。などと考えていたら、さらに茂みから次々と飛び出してくる。わけが分からないが、こっちに向かってとびかかってくるものはすべてパンチするしかない。


何体分解したかわからないが、ようやく半透明のやつらの襲撃がおさまり、ふと気づくといつのまにか森のはずれまできたようだ。

あの明るいところまでいけばこの森を抜けられるだろう。またやつらが出てくるとめんどうなので、明るいところを目指し走ることにする。森をぬけると、遠くに人間の建物らしきものが見える。あそこまで行けば人間もいると期待する。


街に近づくに連れて人通りも多くなってきた。見たことのない大きな動物が荷物や人を乗せた台のようなものを引いている。このあたりには、私がぶつかった箱状の騒音を出す乗り物は走っていないようだ。


街に近づくにつれ大きな壁が見えてきた。どうやら街はこの壁で囲われているようで、中に入るための門のところに人が並んでいる。大きな荷物を台に乗せて引っ張っている人間もいる。


入口のところではみんな立ち止まり、そこに立っている人間と何か話している。話をしないとここを通り抜けられないのか。荷台を引っ張る大きな動物は人間としゃべることなくそのまま通れているので、私も大丈夫だろう。そのまま通り過ぎようかと思ったが、ちょうど通りかかった荷台に乗せてもらうことにした。


門を通り抜け入った街の様子は、やはり知っている街とはかなり異なる。が、人間の街の様子がどうかなんてことは些細なこと。まずは住む家を探さなければ。


荷台から飛び降り最寄りの建物に近づく。ドアは閉まっているが、人が通るときに一緒に入れば問題ない、と考えていたが甘かった。

入ろうと近づいたところで人間に足で外に押し出されてしまう。失礼なやつだ。まあ、別にこの建物じゃなくてもいいんだし他をあたるか。


その後いくつかの建物、数は数えてない、で中に入ろうと試みたがどこも中に入れてくれない。我々猫は人間に好かれていると思っていたが、ちょっと楽観的過ぎたようだ。そろそろ日も暮れてきた。このままだと外で夜を過ごすことになりそうだ。家の外で過ごしたことは何度かあるし問題ないだろう。ちょっと寒いが雨が降りそうにないところがせめてもの救いか。


さて、どこを寝床にしたものか。街を歩いているとおいしそうなにおいがする。そういえばおなかもすいてきた。

このにおいは、道路の向い、にぎやかな声が聞こえる建物からただよってきているようだ。正面から入るとまた追い出されそうなので、裏にまわってみよう。


狭くて暗く汚い通りに入る。壁際を歩いている小さな生き物が見える。あれはネズミじゃないかと思った次の瞬間にはとびかかっていた。何度かパンチした後、動きが遅くなったところで前足で押さえつける。これが今日の食事だろうか。噛みついてとどめを刺す。すると、森の中で半透明のやつらを倒したときのように目の前に複雑な形状の線で描かれた模様が表示されるのだが、なぜかこれが何か理解できる。


『言語能力を獲得しました』


言語能力? すでにしゃべれるのだが。

いや、この線の模様が『言語能力を獲得しました』という言葉を表しているのが理解できる。


なるほど。この模様は言葉をしゃべることなく表せるものなのか。人間がこういった線の模様が並んだものを手に持って眺めていることがあるが、あれは線で表された言葉を目でみることで聞いていたということなのか。音はしないから聞いていたというのは正しくないが、まあ意味的にはそういうことだろう。実に興味深い。


そんなことを考えていると、ドアが開いて中から人間の男が何か手に持って出てくる。壁際にある大きな箱にその荷物を放り込むようだ。


「うわっ」

人間が声を出したので何ごとかと目をやると、その箱の中からネズミが飛び出してきたようだ。

考える間もなく飛びかかる。すぐに追いつきパンチを決める。逃げようとするので再度パンチ。このまま動かなくなるまでパンチを続けたいところだが、人間にネズミを捕まえたことをアピールするために前足で押さえつけ人間の方を見上げてみる。


「お、やるじゃないか」

関心を引いたようだ。いや、ちょっと待て。人間の言葉が理解できた?


「なに騒いでるのよ?」

中からもう一人の人間が出てくる。この言葉もわかる。


どうやら獲得した言語能力とやらは、線でできた模様を理解できるだけではなく、人間の言葉も理解できるようになったことを表すようだ。これはますます興味深い。


「ゴミ箱からネズミが飛び出してきたんだけど、その猫が捕まえたんだよ」

男が私の方を指さす。


「へー、優秀な猫ちゃんね」

そういうと人間の女がしゃがみ込んで私のあごを軽くなでる。

気に入ってもらえたようだ。ちょっと挨拶しておくか。


「みゃあ」

よろしく、といったのだが、さすがに人間の言葉はしゃべれないようだ。

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