第3話 手紙

 旅の途中、駿河するがの国に入った頃。

 日も暮れ、一行が林の蔭で休もうとしていると、見慣れぬ人影が近づいてきた。

 こちらに構わず、小走りに向かってくる。


 供の加流かるが、構える。加流は業平よりずっと年上で、その出自は、陸奥の国の阿弖流為あてるいの部族と言われていた。何より剛の者であり、忠誠心に厚いので、業平は信頼していた。

 加流が誰何すいかする。

「何者か」

 月明かりの中で、相手が答えた。白っぽい装束を着ている。

「四条の坊主にございます。業平様のご一行とお見受けします」

「寺の行者、何用か」

「文を託されました。業平様へ届けるよう」

 行者は両手で手紙を差し出し、頭を垂れた。

 加流は警戒したまま、合図して馬引きに手紙を取らせ、自分で表裏を確かめると、業平に渡す。

「座れ」

 行者は、少し下がって、黒土の上に腰をおろした。


 業平は、文を改める。京の女からだ。

 都を発つ時、一番近しい女に、武蔵の国へ行くと便りを出した。女たちの誰にも、全く知らせないわけにもいかない。

 彼は手紙に、「事情お話するのも恥ずかしく、何もお伝えしないのも苦しく」として、上書きには「武蔵鐙」と謎かけのように記したが、もうしばらく日が経っていたので、返事はないものと思っていた。

 女の手紙には歌が一首、


 武蔵鐙をかける止め具のように あなたをかけて 頼りとしております

 それで お返事しないのもつらいけど

 こんな知らせをしてくるのも わざとらしいわ 


 これを見た業平は、動揺した。もう武蔵にいく体でありながら、心だけ都に切り寄せられたような気分になり、たまらなくなった。

 彼は自分の気持ちをこのままにしておけず、行者に「待つよう」伝えると、こう一首を記した。


 知らせれば悪く言うし 知らせないと からんでうらむ武蔵鐙

 こんな時には もう息がとまってしまいそう


 行者は、業平の手紙をうやうやしく受け取る。

「確かにお届けします」と言い、月夜の光へと消えていった。

 業平を囲む一行は、表情を隠し、それぞれに眠りに落ちた。

 

 よいの月は、富士の山に半身を隠そうとしている。

 ことさら、変わったことが起きたわけではない。今夜のようなことは、よくあることだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る