持たざる者のやり直し

鈴鳴達谷

プロローグ

「――いらっしゃいませ」


 俺は開いた自動ドアから入ってくるお客様にお辞儀をする。

 これを何度したことだろう。

 最初の頃は、緊張して、小さな声でしか出来ず、先輩に怒られたものである。が、その先輩ももういない。今では、このコンビニ内では俺が先輩であることが多くなった。十二年も勤めていたらそうなるだろう。多くは、学生の頃の小遣い稼ぎ、それから就職を勝ち取って、バイトを辞める。まあ、続ける人もいるが、やっぱり数年経って辞めてしまう。そんな人の入れ替わりが多い中で、俺はずっとここにいる。何だか取り残されているような気持ちになってしまうのは気の所為だろうか。


 そんなことを考えていると、一人のスーツを来たサラリーマンの青年が、レジに来た。

 買いに来たのは、サンドイッチとブラックコーヒー。

 The・社会人と言うような食事。

 俺も大学生の頃は就職して、同僚と一緒にコンビニに買いに行ったり、上司に教えて貰ったおすすめの店に行ったり、そんなことを考えた時期もあった。まあ、そんな余裕は無く、ひたすら節約の毎日だが……


 そう考えている間に、俺は合計金額を伝え、スーツの男は精算を伝え、会社へと戻って行った。


「お買い上げ、ありがとうございましたー」


 この光景を後、何度見ていくのだろうか。


 大学生の頃は、コンビニバイトは楽しかった。

 少しずつ仕事を覚えて行き、自分が少しずつ成長している。少しずつ役に立つことが出来ているんだと思えたからだ。

 大学生の頃は、コンビニバイトは面白かった。

 コンビニには、色々な人が訪れる。

 友達を連れて青春を謳歌している学生。年数を重ね、給料が上がり、少し食べる量が増えるようになった社会人。定年を終え、趣味を楽しむ高齢者。

 それぞれの人生を、見た目と立ち振る舞いから予想する。それは俺の密かな楽しみであった。

 だが、その楽しみも長くは続かなかった。

 高望みばかりをして、就活を棒に振り、何とか漕ぎ着けた内定も、ブラックだからという理由でキック。

 来年こそはを続けて5年経った頃には、同学年の友達はみんな就職していて、バイトで生計を立てていた俺は、何だか恥ずかしくなって、同窓会も断り、気付けば疎遠に。

 そして、静かにゲームで時間を潰す毎日。

 そんな日々を送っている自分が見るそれらは、眩しすぎて、とても見れたものじゃなかった。


――俺って馬鹿だよなあ。


 そんなこんなで、時間は夕方。昼過ぎから働いていた太陽も帰宅を始めている頃合いである。

 後、二時間もすれば終わりかと、お客さんがいないことを見計らって背伸びをしていると、怪しい服装の男は入店した。

 帽子を深く被り、服装はお世辞にもかっこいいと言えない地味な服。


――なんだこいつ、何かおかしい。


 十二年もこの仕事をして来た俺の感覚がそう言っている。……気がする。


 男は、商品を持たないまま俺のレジの方へと近づいて来る。

 

「いらっしゃいませ、何をお求めでしょうか」

 

「金だ」


「はい?」


 男は、懐から包丁を俺に向けてくる。

 

——マジかよ。案の定じゃねえか。


「金を寄越せ! 袋に金を詰めろ‼」


「かしこまりました」


 俺は言われた通りにレジの中にあるお札と小銭をありったけ袋に詰める。


「早くしろ!」


 怖え。お金詰めるから頼むから刺さないでくれよ。

 俺はひたすら金を詰める。

 レジの金が無くなると、片方のレジへ移動し、更に金を詰めていく。


「へへ、分かってんじゃねえか」


——そうだろ。だから、本当に、マジで刺さないでくれよ。

 俺はまだ死にたくな……いや、このまま生きてても辛いかもな。


「入れ終わったな! 早く寄越せ‼」


 強引に俺から袋を取り上げた男は、袋に詰まれたお金を見てニヤニヤとしている。


——早くどっか行けよ! 怖くてちびる。


「山崎さん、すみません。 お腹下していて~……」


 背後にある休憩室の扉から、一人の若い女性が、俺の名前を呼びながら休憩室から出てくる。

 が、今の現状のヤバさに気付いたのか、気の抜けた声は詰まり、早くも言葉を失った。


——バカやろ! 今来るなよ‼


「おっさんの他にも、いるじゃねえか」


 男は彼女の体を舐めまわすように眺めながら、レジへと入っていく。

 きっと人質に代わりに連れていくのだろう。

 彼女は涙目になりながら、後ろに後ずさりするが、腰が抜けて床に尻もちを付いてしまう。


「いや……来ないで」


——どうする。こういう時にどうすればいい⁉

 

 俺は動かない思考を巡らせる。

 その間も一歩ずつ、また一歩ずつ、男は女性へと近づいていく。


「来ないでよ……お願い……山崎さん……助けて……」


 彼女は、大学生二年生である。

 確か、奨学金を少しでも早く返済する為に、ここにバイトをしていると言っていた。

 うん、実に良い子だなと思う。

 俺にも、良くできた人だと思う。

 彼女を危険に晒す位なら、どうしようもない俺が彼女を助けた方が良いに決まってる——


 俺は、男に襲い掛かるように突進していった。

 男の両手首を掴み、壁に抑えようと力を籠める。


「山崎さん……?」


「——うるせえ! 早く逃げて警察呼べば‼」


 彼女は、涙交じりの返事と共に外に出て行った。

 これで今より安全だろうか。


「——離せよ! おっさん‼」


 男は、俺の腕を振り解こうとする。


 俺は喋る余裕も無く、只々男に抵抗した。

 段々と自分の握力が無くなっていくのを感じる。

 それもそうだろう、運動なんかろくにしない。

 体なんて鈍り切ってしょうがない。

 だが、それでも、こうなってしまったからには、やるしかないのだ。

 生憎、強盗の男もそんなに強い訳じゃないみたい—— 


「——いい加減にしろよ!」


 俺はバカなんだろう。

 ほんの少し気持ちを緩めたからか、俺の手が男の手首を逃がした。

 

——やばい、死ぬ。


 そう思った瞬間、咄嗟に男の頬に拳を入れた。


「——ぐあっ!」


 男は後方に倒れ込む。


——へ、やってやったぜ。


 まさかの結末に少し安心する俺。

 俺ってもしかして、喧嘩の才能あるんじゃなかろうか。

 証拠に男は俺に恐れおののいたような顔をしているではないか。

 アッハッハ、完全勝利!


——ちょっと待て。男の挙動が少しおかしい。最初からおかしかったがもっとおかしい。

  

 表情が何というか、俺に負けて怖がっているというか。

 やってはいけないことをしてしまって、それで固まっているような……

 そういえば、男が持っていた包丁がない。

 包丁さえ取れれば形成が逆転するのに!


 俺は辺りを見回した、が、包丁は見当たらない。

 クソがという思いで、男の方に視線を映すと、男はなぜか、俺の腹のところをじっと見ている。

 そういえば、包丁を手放してから俺の腹をずっと見ている気がする。

 俺の腹には何も無い……ぞ——

 

——あった。包丁があった。俺の腹に刺さってい、いってええええええ‼


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。


 俺は、力が抜けるように床に倒れた。

 痛い。ただひたすらに痛い。

 そうだ、包丁を抜かないと。


 抜こうとしたが、凄まじい痛みの性で、力が入らない。

 このままじゃ、俺は死ぬ。


「……おい、お前。救急車、呼んで……」


「——うわあああああ!」


 男は走り去って行く。

 俺のことを見捨てて、泣きながら。


 その姿を目で追っていると、気付けば体が信じられないくらい熱い。

 だが、信じられないくらい冷たい。

 もうよくわからない。もう……

 そういえば、彼女は無事だろうか。

 いや、無事じゃないと悲しい。

 自分よりも社会に役に立つ若者を救った。

 いままでみたいに生きていくより、これで死ぬ方が良かったと思う。そう思いたい。

 ああ、これで死ぬのか。

 もっと色々やりたかったな。もっと色々出来たよな。

 あー俺はずっと自分のことばっかりで、お父さんにも、お母さんにだって、親孝行したことなかったな。

 もう絶縁されてるけど。

 くそ。また人生を始めからやり直せるなら、今より断然良い人生に……する。


 ——こうして俺は死んだ。

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持たざる者のやり直し 鈴鳴達谷 @yakult47

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