第5話 王太子の婚約者の事情

マリアーヌはこの国有数の貴族であるオーク侯爵家の末娘であった。銀色に輝く豊かな髪と、エメラルドにも例えられるつぶらな瞳を持ち、最高の教育と、貴族としての高い矜持を教え込まれた。めったに社交界にも現れない、深窓のご令嬢であった。


そんなマリアーヌが16才のとき、婚約者ができた。相手は王太子である。

彼とは、貴族が通う学院で同学年だったけど、マリアーヌは”最悪”と思った。


あの人の笑った顔を見たことないんですけど。いつもむっつりしていてさ、喋りたいとも思わないし、そもそも近寄るなオーラがすごいじゃない。いつも男ばかりで行動してさ、女なんか寄ってくるなって感じ?私と目が合うと睨んでくるしさ、とにかくあの人と生活したくないし、そもそも「王妃」ってめんどくさそう〜〜


マリアーヌの本性は自由奔放な性格だった。もともとのポテンシャルが無駄に高いだけの、いきあたりばったりな気性でもあった。家族ももちろん知っているので、社交界に出せないのである。


本人の計画としては、幼馴染の伯爵家の次男と結婚して、気ままな生活を送るはずだった。彼は気が弱く、小心者だがお金はある。爵位はないけど、生活の心配もない。なんといってもマリアーヌの尻にしける。恋愛感情は全くないけどね!!


そう考えていたのに、王妃なんて悪夢でしかない。


とはいえ、王家の意向に逆らえるわけではない。勉強なんて適当にしとけば良かった、、、王城からの使者に「謹んでお受けします」と言いながら、マリアーヌは泣きそうになっていた。使者は、完璧令嬢でも緊張するのだな、などとうなずいていたが、どうしようもない悔しさで震えていた。


婚約期間、王太子のアルバートと顔を合わせたのはほんの数回。王妃教育で王城へ行っても、一緒にお茶会や夜会に出席しても、睨まれることはあっても、話しかけてくることはない。もはや、結婚に夢なんて持っていなかった。


婚約から4年すぎ、とうとう結婚式の日取りが決まった。マリアーヌは、結婚と同時に王太子妃となる。


そんな、冷たい王太子と堅っ苦しい未来に絶望を感じ、最後の自由を謳歌していたある時、悪友の公爵夫人から気になる情報を聞いた。


上流婦人の間で、ある魔女が作った「媚薬」が話題になっているらしい。その媚薬は、他とは違って『身体だけじゃなく、心までとろけてしまう』そうで。


貞淑で評判の公爵夫人は「遊ぶなら今よ」と囁いた。


ふーん。


結婚を前に、今まで関心のなかったそっち方面にも多少の興味が出てきた。身体、、、はどうでもいいけど、私だって舞台に出てくるヒロインのように、心がとろけるような恋を経験してみたかった。どうせ管理されたつまんない生活を送るんだから、一度くらい誰かと淡い思い出を作ってみたかった。


そんなに腕の良い魔女なら、そういう薬もつくれないかしら、、、


マリアーヌは、悪友から「黒き森の老魔女」の家を聞き出して、直接乗り込むことにしたのだった。






マリアーヌは王太子の婚約者になったときから、王家からの護衛をつけられている。最初は鬱陶しくて邪魔だと思ったが、意外とマリアーヌの自由を尊重してくれる。


それでも、マリアーヌが町娘が着るようなワンピースを着て商店街をうろつくのは必死に止められた。振り切って街へ出ても、「せめて馬車を使ってください」とか「買い食いはやめてください」とかいちいち煩い。婚約してからは、侍女だって付けているのに。


そんな中で、唯一レナルドという護衛は、特に意見もせずに黙ってマリアーヌに従うだけだった。


見た目こそ憂いをおびた美青年に見えたレナルドだが、早々にマリアーヌは、彼が単純に「何にも考えていない」ことが分かった。いや、頭はいい。腕も立つ。しかし、心底「護衛」という役目にうんざりしていて、早く騎士団に戻りたいというのが本音のようだ。


ちょうどいい。彼が護衛担当の時を狙って街へ出て、趣味の舞台を観るようになった。結婚したら、やたらと重厚な王立劇場で、長ったらしい歴史ものの観劇くらいは出来るだろうが、マリアーヌの推し俳優セフィロス様が出てくるような恋愛劇なんて二度と観ることはかなわないだろう。





ということで、マリアーヌはある日の午後、レナルドだけを従え黒の森へとやってきた。

レナルドは流石に「森の老魔女」と会うのは反対した。しかし、マリアーヌの悪友たち(名家の淑女たちである)は「全く危険はない」と言っているし、この国の魔女は、人を傷つけるような魔法は使えない、ということを強調して強引につれてきた。


森の中を少し進むと、「普通の家」としか言いようのない建物が見えてくる。レナルドが形ばかりの門を開くと、家の中からドンガラガッシャン!と派手な音が聞こえた。来客の合図なのだろう。レナルドは「一緒に中に入る」と主張してきたが、依頼するものがものだけに頑なに拒否し、家の外で待たせて中に入った。ちゃんと顔を隠すベールも被った。

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