第3話 私はただの町娘なのですが

最近ルージュの事で悩みがちだったカンナだが、次の日は朝から上機嫌だった。


週に一度の休息日、カンナは魔女のローブを脱ぎ捨て、町娘として街へ出る。朝からソワソワしながらワンピースを選び、ふわふわのピンクの髪をゆるくハーフアップにして顔を出す。誰も彼女が老魔女なんて信じないだろう。


お目当ては舞台。それもベッタベタの恋愛ものの舞台が大好きなのだ。


王都のある一角には、野外ステージや劇場が立ち並び、伝統的な歌劇や冒険活劇などがメインに上梓されていたが、女性たちに人気なのはやはり「恋愛もの」である。


少し前までは、カンナは劇場の後方、立ち見席で観覧するのが精一杯だった。座席には厳しい服装チェックがあり、俳優がよく見える特別席には主に貴族令嬢たちが、一般席でも前の方には、豊かな商人の娘や奥様方が、ヒラヒラした美しいドレスで陣取っていた。


座席は、チケットが取れたとしてもそれなりの身なりが必要。毎週ギリギリの予算の中で劇場に通っていたカンナは、立ち見席で満足するしかなかった。


ところが、あのルージュのおかげで大金が入った。別に「ふっかけ」たわけではない。貴婦人のために作った時はたしかに原材料などかなりかかったが、同じ物を同じ値段で貸し出すようになったため、予期せず大金が入ってくるようになったのだ。


魔女には貯金という概念がない。


大金を手にしたカンナは喜んでドレスを誂え、それ以来、ゆっくりと座席で観劇出来るようになった。



本日は最推しの男優ルシファー様が主演の舞台「君に捧げる剣ー叶わぬ恋を胸に秘めた黒騎士は、一生彼女を守り抜くことを誓った」である。


半年以上も続いているロングラン公演なのだ。


看板の絵姿には、貴婦人の手にキスを落とすルシファー様が描かれている。実は、これが、あのルージュのインスピレーションを得たシーンでもある。


愛する人の手にキス、、、尊い。


いつもは女性客で満杯の舞台ではあるが、今日はラッキーなことに観客はまばらだった。カンナの両隣は空席で、1人で感動を噛み締めるにはもってこいだ。


しかし、開演直前になって左隣の席に人が座る。ああ、台無しだわ、、、と一瞬思ったが、お目当てのルシファー様が登場した途端、カンナの世界は舞台だけになった。


(ううう、、、っうう、涙が止まらない)

『ヒロインが政略結婚した相手に蔑まれるのを、騎士はただ見ているしかない。だって彼女の夫こそ、彼が仕える主人だから。今日も頬をうたれ、愛人の元へ行ってしまった夫を嘆きながら、ヒロインは月明かりの庭園で1人泣いている。そこへ今までヒロインのことを悪女と誤解していた騎士が近づいて、、、、 』


いきなり劇場内に光がはいって、現実に引き戻された。ここで前半部分が終了である。 もうハンカチはグショグショ。


「あのさ」


と左横の席に座った人がカンナに喋りかけてきてビクッとした。

だ、男性だったの?珍しい、、、


「あのさ、今ので、なんで泣けるの?」

「えっ?」

「どこに泣くポイントがあったの?」


バッと左を向くと、レナルドだった。口をあんぐりと開けているカンナに、


「ハンカチが役に立っていないね」


といいながら、レナルドはズボンのポケットからハンカチを取り出し、カンナの顔を拭き出した。何がおきているのかさっぱりわからない。

そうそう、私は今、町娘のハズよね?、、、


「ど、ど、どなたか存じませんが、、、」

「レナルド」

「ああ?レナルドさん、あの、私予備のハンカチを持っていますし、ほっといてくれませんか」

「予備、、、」


本当にこの人とは話が噛み合わない。イライラしながらカンナは


「あ。の。舞台に集中したいので私のことは、ほっといてください、もう後半が始まりますから。これから騎士様が、夫にプレゼントの一つももらえないヒロインにルージュを贈るんです。『オレの手の甲にキスをして、少しずつ返して欲しい』って!!言うんです!!で、それが主人にバレて怪我をして再起不能になってヒロインが光魔法に目覚めて、、、と、とにかく1番いい場面なので、もう喋らないでください」


カンナは一気に早口でまくし立てた。普段しゃべる人がいないので、感動を誰かに語りたかったのかもしれない。


「なんなんだ、そいつ。本当に騎士か?てか、ずいぶん詳しいな」

「ええ、11回目ですから」

「11回目、、、それでよく泣けるな」


場内の明かりが消え、再演のブザーが鳴った。カンナはレナルドを無視することに決めて、舞台に集中しようとした。レナルドは舞台の後半が始まるとすぐに寝息を立てている。寝るくらいなら帰ればいいのに。カンナは睨むようにチラリと見た。


舞台からの、ほの明るい光を浴びたレナルドは、陰影ができ、とてつもなく美しく見えた。今日は普通席の中でも1番舞台に近い席である。大好きなルシファー様の表情もよく見えた。


なのに。


レナルドのほうが素敵だと感じた。


今日は普段着なのか、シンプルな白シャツに黒いパンツ姿。さり気なく剣を携えている。なんだか衣装で着飾っている黒目黒髪の主演男優が、レナルドの劣化版のように見えた。


そしてそんな自分に1番驚いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る