第5話 冷たい棺
ミルヴァスは夕日に照らされた湖の上を箒で滑るように進んでいた。
凝った銀の柄と水晶のクラスターをもつ箒が、空気を裂くようにきらめく。
黒髪とコートの裾が風にはためき、彼は一直線に目的地を目指す――小さな教会へ。
日没と同時に、彼は小さな教会にたどり着いた。
リンゴ畑で囲まれたその教会は立ち入り禁止の結界で囲まれ、中では黒いローブをまとった者たちが忙しく動き回っていた。
結界の周囲では近隣住民が遠巻きに中の様子を窺っていて、上空から現れたミルヴァスを見た住人たちは互いに顔を見合わせ、小声で何かを囁き合っていた。風が運ぶそのざわめきは、不安と期待の入り混じったものだった。
ミルヴァスはそんな住民たちの好奇の目をものともせず静かに高度を下げた。黒いブーツを履いた足が地面に降り立った瞬間、跨っていた箒は液体のように溶けて、小さな銀色のペンに姿を変える。それを胸ポケットにしまったミルヴァスはまっすぐ結界守りの男に歩み寄った。
「石使いのミルヴァスだ。現場への立ち入りを許可願いたい。」
「本人確認をさせていただいても? 」
事務的に言う男にミルヴァスは「失礼」と言ってゴーグルを外した。
露わになったのはきりりと吊り上がった目が印象的な相貌である。その星空を閉じ込めたような紫金の瞳を見た男は、一礼して家の中へ入るよう指し示す。
結界を通り抜けようとしたミルヴァスは、後ろからコートが引っ張られるのを感じた。
「あの、すみません。」
振り向いた先にいたのは金髪の少女である。青白い顔半分が包帯で覆われ、フラフラと覚束無い足取りの少女はミルヴァスのコートの裾をギュッと握りしめ、緊張した面持ちでそう言った。
「こら、そこの子供……。」
結界守りが少女を引き離そうと手を伸ばすのを制し、ミルヴァスは彼女を見下ろして声をかける。
「怪我人は下がっていろ。」
その瞳を見た少女は一瞬たじろいだように視線をそらした。しかし、唇をキュッと噛み締めた彼女は再びミルヴァスの目をまっすぐに見つめて口を開く。
「洗礼式に来なかった友達が……アルデアって子で……あ、あの子は無事なんですか? 」
声はかすれ、今にも泣き出しそうな顔をしている。ミルヴァスは身を屈めると、コートを掴む彼女の手をそっと取り、気をつけの姿勢になるようその体に戻してやった。
「君に話せることはない。」
メルは唇を震わせながらも必死に視線を逸らさず、搾り出すように声を上げた。
「お願いです……お願いだから、アルデアが……無事かどうかだけでも……」
「話せることはないと言っている。下がるんだ。」
「でも……! 」
「そこの子! 何をしていますか! 」
尚も食い下がろうとする少女のもとに、フードのついた白衣をまとった救護員が駆け寄ってきた。
「メルさん、でしたね。勝手に動いてはいけません! あなたはママの所にいるべきです。」
救護員が指さす方を見ると、赤ん坊を抱いた彼女の母親と思しき女が地べたに座り込んでいた。他の救護員が、ぐったりと傍らの木にもたれかかっている彼女から受け取った赤ん坊を抱いて泣き止ませようとあやしている。
「ご、ごめんなさい……! でも……。」
「お友達が心配なのは分かりますが、今はそういう状況ではありません。優先すべきは自分と家族です。いいですか? 戻りますよ。すみません石使い様。どうぞ任務にあたられてください。」
早口でまくし立てた救護員は、少女の手を引いて母親の方へ歩いていった。
ミルヴァスはこちらを何度も振り返る少女を無言で見送り、結界守りに促されて教会の内部に立ち入った。
砕け散ったステンドグラスの破片が、夕日の残光を鋭く反射していた。壁にはびっしりと蜘蛛の巣が絡まり、足元には踏み荒らされたリンゴと血の跡――。
礼拝堂の中は、凄惨そのものだった。
そこかしこで現場検証をする黒ローブたちが忙しなく動き回る中、一人の子供とその子供に話しかける白衣の女の姿が目に入った。うつむいているせいで子供の風貌ははっきり分からない。ただ、その体に施された魔法無効化の拘束を見るに彼女がこの事件の中心人物であることは間違いないだろう。
ミルヴァスは黒ローブ達の間をすり抜け、白衣の女に「フロース」と呼びかける。
「ミルヴァス教官、お疲れ様です。」
その声に顔を上げたフロースは、しゃがみ込んだ姿勢のまま少女に一言何か告げ、ミルヴァスを少し離れたところに誘導した。
「共鳴者の保護を任命されて来た。状況説明を頼む。」
「はい。共鳴者と思われるのはその少女です。怪異の気配を察知したウィザードが駆けつけたところ彼女以外の参列者がほぼ全員被害に遭っていたというところですね。」
フロースはクリップボードにまとめた書類を見ながら説明していく。
「解析班の見解ではエナジードレイン系の怪異によるもので、最近村に現れていた蜘蛛型の個体と同じと考えて問題ないだろうとのことでした。詳しい状況を聞きたいところですが、話を聞ける証人があの通り茫然自失状態でして。念のため拘束してコンタクトをとってみています。」
ミルヴァスはフロースの話を聞きながら祭壇の下に横たえられた遺体に近づき、膝を折って体にかけられた布をそっとめくる。
「本件で唯一命を落としたのは、この村の服飾職人、スピカ・ウィルゴーです。他の住民たちは怪異によるエナジードレインで衰弱させられているだけでしたが、彼女ともう一人の女性、あとあの子ですね。その3人だけ肉体を直接傷付けられていました。女性はかなり危ない状態で医療部に緊急転送したので、身元確認は治療の後になりますね。」
洗礼式用の白い服に身を包んだ老婆は、体のあちらこちらを切り裂かれた状態で息絶えていた。いい職人だったのだろう。しっかりとした生地に光沢のある糸で繊細な刺繍が施されているワンピースは、服飾に明るくないミルヴァスにも上等なものと分かる。傷口から溢れた血で汚れてしまっているのが惜しいほどだ。
彼はその苦悶に歪んだ顔を隠すように布をかけ直すと、手を組んで祈りを捧げた。
「手ひどくやられたものだ。」
「ええ。装具を着けていたので足が不自由だったんでしょう。逃げられず一方的に……って感じです。」
「あの少女の方は? どういう状態なんだ。」
「パッと見たところ頭部打撲と左足の捻挫ですね。詳しくは機関に連れ帰ってからの検査になりますが、全身の硬直状態を見るに、相当怖い目に遭ったんでしょうね……。可哀想に。」
フロースの言葉に「そうか」と一言言って、ミルヴァスは少女に視線を向けた。全身を血と吐瀉物で汚した彼女は未だ微動だにせずそこに座り込んでいる。
「彼女の魔力暴走による被害は何か出ているか? 」
「まだ分かりません。ウィザードが駆けつけた時点では既にこの通りだったってことなので……。でも、住民たちに怪異由来の衰弱以外症状が出ていないので、むしろ暴走によって怪異を倒した、と考えるのが自然でしょう。」
髪を顎で切りそろえた小柄な少女である。拘束魔法で後ろ手にきつく縛りつけられて多少なりとも痛みを感じているはずなのに、少女の目は何も映していなかった。現実を目の前にしながら、その心だけがどこか遠くに置き去りにされたように。
「体の状態も酷そうですが、あの状態だと、相当な心的外傷も負っているでしょうね。早急にケアしてあげないと……。」
ミルヴァスは少女に歩み寄り、その前にしゃがみ込む。
「君がアルデアか? 」
近くで見た少女はやや吊り上がってぱっちりとした目をしていた。眼窩にはエメラルドグリーンの宝石のような瞳が輝いており、これはウィザードの力の根源たるジェムに共鳴した者の証だ。
ミルヴァスは、少女の風貌にどこか引っかかるものを感じて眉をひそめたが、すぐに首を振ってその感覚を振り払った。
少女はただぽっかりと空を見つめるばかりで、ミルヴァスの問いに答えることはない。
「この子の名前ですか? 」
「恐らく。先ほど近隣住民の少女が友人の安否を教えてほしいと話しかけてきてな。彼女だけ洗礼式に来なかったと言っていた。」
ミルヴァスの脳裏に浮かんでいたのは、メルと呼ばれた金髪の少女の顔だ。
立ち入りが禁じられている結界の間近に近寄った挙句、一般人がウィザードの任務遂行を妨げるなど下手をすれば罰則を課されかねない。それを承知で彼女があのような行動に及んだのだと考えると、もう少しまともな答えを返してやるべきだったのではないかという思いが一瞬頭をよぎる。
しかし、過ぎたことは仕方ない。彼は目の前にいるアルデアに意識を切り替えた。
「来なかったって。でも実際この子はここにいるじゃないですか? 」
「後ほど改めて聞き込みをしよう。他に何か報告事項はあるか? 」
「ああ、そういえば……。」
フロースは再度クリップボードに視線を落とした。
「先ほど、洗礼式に参列していた住人の全員が被害に遭ったって言いましたけど、違いますね。……一人だけ、助かってます。」
「誰なんだ? 」
「……赤ちゃんです。」
フロースは、自分でも信じられないとでもいうような表情を浮かべていた。
「……何だって? 」
「洗礼を受けたばかりの赤ちゃんが……無傷でいたんです。」
ミルヴァスは眉を顰める。
「どういうことだ? 」
「分かりません。母親とお姉ちゃんと一緒に糸に捕らえられたのに、一人だけ怪我もせずエナジードレインも受けずスヤスヤ眠っていたとか。今はお腹が空いて泣いているそうですよ。」
そういえば先ほどメルに話しかけられた時分、赤子が泣いていたことを彼は思い出した。
「分からないな。」
「ですね……。もしかしたらその子――アルデアの固有魔法に関係があるかもしれませんね。」
フロースから『固有魔法』という言葉が出たとたん、ミルヴァスの目は鋭く光った。
「早速解析を……。」
「えっと、話を聞いてました? 」
しかし言いかけた言葉はぎっと細められた琥珀色の瞳に遮られてしまう。
「解析も大事ですが、まずは身体と精神のケアを優先するべきだと、私は思うんですが……? 」
呆れたような口調で言うフロースにミルヴァスはバツの悪そうな顔で「分かった。」と返した。すると彼女はにっこりと笑顔を浮かべて言い放つ。
「教官、連れて行ってくださるんですよね。共鳴児童の保護は教育部の管轄ですし。」
「当然だ。眠らせてもらえれば適当な箱に入れて運ぶ。」
「言い方を考えてください……。怪我人は荷物じゃないんですよ……? 」
フロースが「ちょっとごめんね。」とアルデアの額に指をかざすと、瞳と同じ琥珀色をした小さな花の文様が額の上にいくつも展開される。指先ほどの大きさの花が融合し合い一つの大きな花が発現すると、アルデアは電池が切れたように倒れ込んだ。フロースはその身体を抱き止め床の上に寝かせる。
アルデアが眠ったのを確認したミルヴァスは嵌めていた手袋を外し、手のひらの上に小さな石塊を作り出した。目を閉じて魔力を注ぎ込むと、手のひらサイズの石塊はたちまち1メートル程の大きさに引き伸ばされ、細長い棺のような形で床の上に鎮座した。
「毛布を貸してくれ。」
フロースは鞄の中から毛布を引っ張り出してミルヴァスに手渡す。ミルヴァスはそれを棺の中に敷き詰め、横たわったアルデアの体をそっと持ち上げる。すると服の中から何かが転がり落ちた。
「あら? これ、何かしら? 」
それは細長い木箱と封筒だった。フロースが透かし彫りの施された蓋を開けると、中には小さな革袋やかぎ針、木の葉の形をした道具などがごちゃごちゃと入っていた。封筒の方は吐瀉物の水分が染み込んだせいでベタベタになっており、この場で開封するには些か躊躇われる状態であった。
「一緒に入れておこう。」
ミルヴァスはアルデアを棺の中に横たえると木箱と封筒を静かにその手に持たせる。そして少女をすっぽりと毛布で包み、冷たい石の中にそっと安らがせた。
「助かります。管轄なんて言いましたけど、実際本部から応援が来るまで人手が足りなくて……。」
「構わない。そもそもこのために来たのだしな。」
申し訳なさそうに言うフロースに事務的に返すミルヴァスは、蓋を閉めた棺を牽引紐で縛り上げて自身のベルトに結び付けると、胸ポケットから取り出したペンを再び箒の形に設えた。
「ラルス先生が医療チームとこっちに向かっているので、到着したら私もすぐに戻ります。」
手袋とゴーグルを装着したミルヴァスはフロースに一つ頷いて箒にまたがった。するとその身体は宙に浮き、紐でつながった棺も追随して浮かび上がる。後端に据えられた水晶が強く光ると、次の瞬間にはもうそこにミルヴァスの姿はなかった。室内にいた者達が突風にあおられ、開け放たれた窓が風圧でビリビリと音を立てる。
「もう! 怪我人をあんなスピードで……。」
既に光の点になったミルヴァスを見送り、フロースはため息をついた。
※本作に登場する人物たちの、もう少し柔らかい表情が見たい方へ。
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