時空剣-2(巻き戻る時の不可解について)
日は傾く。影は僅かずつ伸びてくる。羽虫が飛び回るようになったので、ヴィクターは『帰るか』と言った。リロイを手招き、人目につかない木陰まで移動すると、空間を切り裂いて短絡路を開く。そうしてそのままリロイの手を掴んで飛び込んだ。その後、最初に異変に気がついたのはヴィクターだった。
「ん?」
「……ここはどこだ」
出たのは砂利道の敷かれた森の中だ。リロイは用心深く周りを見渡す。随分と緑の濃い場所だ、とリロイは感じた。それに、じっとりと湿ったような重苦しい感じがある。ヴィクターは手を掴んだまま、リロイの方へ向き直った。
「悪い、繋ぐ先を間違えた」
ちょっと困ったように眉を寄せるヴィクターは指を立て、もう一度短絡路を開こうとした。だが、開かない。指を二本立て、力任せに引っ掻くが、それでもうまく行かなかったようだった。ヴィクターの表情が僅かに変わる。
「なにか、失敗した。リロイ、心配の必要はないが……ちょっと来てくれ」
手を引かれて歩いていれば、急に開けた場所へ出た。ヴィクターは軋む庭壁の扉を開け、柵の中にリロイを招くと体についた草を払った。鬱蒼とした森と岩っぽい地面。アレス中央区の近辺でないことだけが確かだった。
「……グラナト!」
「はーい」
呼ばれて出てきた黒髪の男は、そこに佇むリロイの姿を見てあからさまにぎょっとした。こんにちは、と小さな声が続くので、どうにも返しに困って意図の曖昧な会釈をしてしまった。意識を横へ向けると、ヴィクターは落ち着き払っている。
「グラナト、便利に使うようで悪いが弁当箱を片付けておいてくれるか? 流しに突っ込んでおいてくれれば後はやる」
「いや、ぜっ、全部任せておいてよ。ど、どうぞごゆっくり……」
にへ、とぎこちなく笑ってから、アレスではあまり見かけないようなゆったりした装いの男は逃げるように引っ込んだ。リロイは口を閉じている。今、場を支配しているのはヴィクターだからだ。それからふと、ヴィクターが気付いたようにリロイを振り返った。
「……説明くらいするべきだったな。ここは俺の家で、あれは妹の子だ。家の蔵には本物の時空剣がある。手袋に組み込んだ因子の大元だ」
「ヴィクターは手袋が故障したのだと?」
「それ以外に思いつかないからな」
結局のところ、時空剣を使っても短絡路が開かなかったので、リロイはヴィクターの家だというこの古い建物で一休みすることとなった。見知らぬ場所は肩身が狭い、と思った。実際、この家屋自体もそれなりに狭かった。
◆
「グラナト、今何時だ?」
ヴィクターの問いに、黒髪の男は甘い発音で答えた。
「え? えーっと、十五時三十五分だよ」
答えを聞いて、リロイとヴィクターの間に緊張が走る。手元の時計は十七時五十分を指していた。ヴィクターは窓を開けて顔を外に出す。間違いなさそうだな、といったところを見るに、太陽の位置を確認したのだろう。
「……叔父上、疲れてるんじゃない? お茶でも出そうか?」
「頼む。茶葉は引き出しの方にある缶を使ってくれ」
わかったよ、と声が飛び、足音は遠ざかる。リロイは黙って会話を聞いていた。『叔父上』とヴィクターは呼ばれていた。妹の子というのなら甥であるのは納得がいく。妹というのが、ヴィクターの直接の妹でないことは確かだったが。ともあれ、遠距離の短絡がもたらす時間のずれは決定的だ。明らかに時間が巻き戻っている。リロイはヴィクターの方を見やった。どうするつもりだ、と目で問う。
「しばらく休んで、もう一度試してみるしかないな。まあ、来るときにも同じことがあったんだ。そう妙なことにはならないだろう」
リロイは顔を歪め、不服を示した。だが、確かにヴィクターの言うことはもっともだ。考えていると、ヴィクターはのっそり立ち上がり、『少し待ってろ』といって出て行ってしまった。入れ替わりにグラナトと呼ばれた男が戻ってくる。
「おっ、お茶が入りましたよー」
配膳されるカップを見つめる。紅茶のようだった。供された以上飲まないわけにも行かないので、リロイは自然な所作に見えるよう気を遣って砂糖を入れ、ゆっくりかきまぜてから一口飲んだ。物腰柔らかな男と目が合って、どこか期待のこもったような目で曖昧に微笑まれる。リロイも精一杯の愛想として微笑み返す。知らない人間と二人きりでいるのはどうにも具合が悪く、早くヴィクターが帰ってこないかとそればかりを考えていた。
◆
「グラナト、手間をかけさせた。リロイ、行くぞ」
いつもの服へと着替えて戻ってきたヴィクターが、立ったままカップを干す。よく見ると腰に差している剣が二本になっていた。リロイは御馳走様とグラナトに伝え、急かすヴィクターを追って庭へ出た。
「行くって、どこへ行くつもりだ?」
「お前の家だ、それから、議会へ行く」
「議会に? なぜ」
言えば、ヴィクターはちょっと変な顔をした。
「前に、ディアナが時空剣を探しているといっただろう。俺の剣を見て偽物だと言った。言ったんだったか? ともかく、『違う』と言った。『探している時空剣はこんなものではない』と」
そのことはリロイも覚えていた。五年ほど前のことだ。議会に現れたディアナは、時空剣を探していると言った。それを得ることが、ディアナ本人の使命なのだとも。
「遠距離の短絡で時間の歪みが出る現象だが、ディアナはこの特性を知っていたんじゃないかと思ったんだ。だから、聞きに行く」
ヴィクターの言うことは端的で、唐突だった。
「まあ、何もわからないのかもしれないが。元々手がかりなんてないようなものなんだ、試して損はないだろ? それに、自前の装備の具合となれば、日頃から細かく確かめておかないとな。お前がいればディアナに長話をふっかけられることだってないだろうし」
それが本命か、と思ったが、リロイは何も言わなかった。ヴィクターのやることは無茶苦茶だったが、言うこと自体はこれ以上ないほどの正論だ。装備の使用で危険なことがあったとして、起こるのが『本番』でないなら誤差だと言える。それは翻って正しい行いに数えられた。ヴィクターは鷹揚に笑い、見ている前で短絡路を開いた。今度こそ、正確に、間違いなく。
「別に、今日でなくたって良いだろう」
「かもな。ほら、言うだろ。善は急げって」
「まったく……」
一つため息をついて、リロイはヴィクターの手を取った。日は再び傾いて、影はゆっくり伸びていく。時間は進む方へと流れていく。そうしてパチンと経路が閉じれば、この日、彼らがそこに戻ってくることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます