外側に潜むそれ以外の話
空の底へ降ろされた男の話
泥濘-1(不可解な増殖方について)
「お招きいただきましてどうも。自分はペタルといいます」
呼ばれた先は廃墟のような屋敷だった。家主らしい男は尊大な態度で封筒を改めてから『カルロ』と名乗った。丸い頭と細い首、時代がかったような発音で話す黒髪の彼は、まだほんの子供に見えた。
「……足労願ったのは意見を聞きたいからだ。何からいったものかわからんが。そう、まずは確認だ。ペタルといったな? 産婆だろう。合っているか?」
ペタルは違わないといって、先を促した。厳密に言えば産科医は産婆ではないのだが、ペタルの側にはこだわるような事情もなかった。
「次の本題だが、俺は……めでたく人間になった。人間には生まれながらにして個々に増殖の特権が与えられている…… 俺には増える必要があるが、やりかたがわからない。人間の増減に関わる職に就いた人間なら、知りえるだろうと手紙を出した。そう、意見を聞きたいというのはそのことだ。どうすれば増やせる?」
「少し、待ってくださいねー……」
人に教えを乞うなど十五年ぶりだ、失礼があったらすまない、と詫びるようにカルロは言ったが、礼儀以前の問題だ。言っている意味がわからない。ともあれ、反応を見ればわかることもあるだろうと、ペタルは話を続けることにした。
「いくつか確認させてくださいね? 人間に生まれたことはあなたにとって喜びですか?」
「……わからない。あまり、良いことばかりではなかった。俺の命はこれから何をするかにかかっている」
だからこそ増える必要があって、それは俺を取り戻す第一歩になる、とカルロはいった。貴族の跡継ぎがらみだろうか、とペタルは思った。子供ができないのだと相談に来る患者は一定数いる。この男もその類いなのだろうか、と思う。それにしたって随分と若く見える。
「……おうちに人を増やすって相談ですか? えーと、あなたが主体となって?」
「そう、その通りだ、理解が得られて嬉しいよ。この十五年、何を言っても理解してもらえなくて頭がおかしくなりそうだった。すぐにでも始めたい、今すぐにでも! 俺は早いところ一つになりたい。そのために何をしたらいい?」
ぱっと目に光が灯るのを目の当たりにして、ペタルは目をぱちくりさせた。『早いところ一つになりたい』? ふんわりとした言葉選びに反して随分下品なことをいう、と思った。
「方法をたずねておられます? お相手は……いいえ、もしやとは思いますが誘ってます?」
ここで『はい』と言われたら専門外だといって席を立とうと思った。男同士で子供を授かることはなく、仮にそれが誤りでもペタルにその気はなかった。事によっては産科医が交合に詳しいわけでないと知らしめる必要もあった。
「誘うって何にだ? 方法を訊く以外にどう取るというんだ? やりかたを知るのなら方法を、知らないのなら『知らない』と答えてくれ。俺の言葉におかしいところはないよな? んん、声が出てないか? これもここ数年でようやく取り戻した機能の一つだ……つまり、思うようには使いこなせないって事だ……」
「……的外れなことを聞いたのなら謝りますが、おそらく話が本題からずれています。ああ、質問? 質問でしたね? 私は増えるための方法を知っています。準備はどこまで進んでいるのです?」
「準備? ああ。俺は、今、人間だ」
「ええ、さきほど聞きましたよ。それで?」
引っ張り出したカルテに日付や名前を書き込みながら、続きを促す。カルロはきょとんとした目を向けてきた。
「他に、何か必要か?」
ペタルは手を止めた。黒い目と視線が合い、しばしの沈黙が降りる。
「……お相手の方は? いらっしゃらないんですか?」
「自分以外にも人が要るのか? ああ、そうか、手引きをせねばならないものな。それはそうだ、俺は何も知らないからこそペタルを呼んだ。産婆だと言うからな、頼りにしている」
しばしの間じっと二人で見つめ合う。話そうと思ったことの全てが丸めて横へ押し流されていく。ペタルは目を瞬く。
「産婆というのは間違いではないのですが、自分を呼ぶときは『産科医』と言っていただけますか?」
「産科医、産科医だな? 覚えた。医者なんだな? 病気を治したりするのか」
「ええ。調剤とまじないは専門ではないのでそこはご承知を。それと、失礼ですが、カルロは今おいくつですか?」
「その質問は正しく答えられる。発生は不明。輝天六十三年にここいらへ来て、人間になったのが丁度……十五年ほど前だ」
どこか誇らしげにカルロは答えた。ペタルに経歴を訊ねたつもりはなかった。そもそも人間に『なった』というのがわからない。だが、使われなくなって久しい輝天歴で答えたということがペタルの心を揺り動かした。
「……お答えありがとうございます。あなたの今の状態を知るために少し身体に触れますね? 良いですか?」
「必要なら」
ペタルは肩や腕、頭へ触れ、筋肉や骨を触った。喉仏が出ていない。肉はついているが身体は薄く、骨はまだ柔らかい。頭蓋は硬く締まっている。医者の勘が、これは十代中頃の身体だと告げた。先ほどの十五年と一致する。子供じゃないかと思ったが、輝天六十三年といったのが気にかかる。そもそも輝天歴は北国(アスター)独自の年号で、使われていた時期は百年も前だ。
「健康そのものですねー。カルロのご出身はどちらなんです?」
この廃墟じみた屋敷で暮らす男が出自を割る道理はない。なんとはなしに口に出しただけの言葉だったが、意外にも返事があった。
「メジーム。知らないだろうが、山間の田舎町だ。厳密な話をすれば、『俺』はこの空の底で発生したが、故郷という言葉にあたるのは向こうの方だ」
すっと上を指す指に迷いはなかった。一つ聞くたびわからないことが数倍増える。ペタルは目眩がした。
「わかりました。次に行きましょう。次に、ええと、何をしようとしていたんですっけ」
「人間の増やし方だ。知っているのだろう?」
「そうでした。その前にすり合わせをしましょう」
「すり合わせ?」
「そう、カルロが知っていることをなるだけ詳細に教えてください。横で都度、補足していきます」
わかった、といって、カルロはしばし考えるようなそぶりを見せた。
「……人間には増殖の特権がある。ええと、新しい個体は体内に発生して、半年くらいで出てくる。そのあと何年もかけて本来の姿を取り戻す。なにか間違ったところは?」
「半年では短すぎます、一年に満たないくらいですね。あと、本来の姿というのは?」
「言葉にも行動にも不自由しない姿こそが人間の正しい形なのだろう?」
「正しい形かと言われればそうですが…… いいえ、この際良いとしましょう。発生の前は? ご存じですか?」
ペタルが訊ねればカルロは首を振った。
「いや、わからない。望まねばならないのはわかる。俺がここに来たときもそうだった、勝手に増えたりはしないんだ。なにかトリガーになることがある」
生殖の機序について訊ねようかと思ったペタルだったが、知るはずもないだろうと思い直して口を噤んだ。代わりに言うことを探す。
「……えーと、人間の繁殖行動を生殖と呼ぶのですが、人間のお腹には命のもとが二種類と、それを育むための部屋があるんですね。二種類を混ぜて部屋に定着させることで、大きくなって一年ほどで体外へ出てきます」
つつがなく事が運べばと言う前提ありきではありますが、と医者であるペタルは補足した。カルロは額に手を当てた。
「そうだったのか。命のもとというやつを混ぜて腹に入れよう。どこにあるんだ? いや……二種類? 体内に分かれて入っているのか? ある種の接着剤のように?」
この一言だけで本当に何も知らないのだということがこれ以上ないほどにわかる。ペタルは口を閉ざし、なんと言ったものか考えた。
「……先ほど、お相手がいるのかと訊ねましたが、これは、命のもとの片方をくれる相手ということです。人間はこれらを片方ずつしか持っていないので」
「ああ、そういうことか。ではそれもお願いしよう。頼めるか? 器を用意しよう。腹に入れるときは飲み込んだら良いのか?」
虚を突かれたペタルは出された空のティーカップをまじまじと見た。
「…………カルロは男性でしたよね?」
「そうだ。それが何か?」
「自分も男なんですよ」
「お揃いだな? この話と何か関係があるのか?」
「大ありです。二種類ある命のもとというのは、男女で持つものが違います。同じ性別では新しい命は生まれませんし……なにより口から入れてもなんにもなりません」
「そうなのか? さすが、専門家は詳しいな。呼び寄せて正解だった」
それ以前の問題なのだとは言えなかったので、ペタルは無言で頷いた。
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