泥濘-2(二種類の命の種について)
時間は夕刻にさしかかる。カルロが食事の用意をするというので、ペタルは帰らず待っていた。皿が二つ並び、パンと匙が渡されたので、カルロが座るのを確かめてから食べ始める。目の前で食事をする黒髪の子供には、どことなく違和感があった。そうだ、食べ方がぎこちない。作り物のような動きを眺めていると、並ぶ皿から黒い目が上がる。
「よければ話の続きを聞かせてくれないか」
「良いですけど……食事中なのは気にならないのですかー?」
「ここにはペタルと俺しかいない。上等なもてなしの席というわけでもないし、自分の家だとでも思ってくつろいでくれたらいい」
全てのことはわかっていると言いたげな顔は、実際のところ何も理解してはいない。ペタルは言い返すのをやめ、何が聞きたいのか訊ねることにした。
「発生のトリガーの話をもう少し詳しく教えてほしい」
「そうですねー、人間の命のもとが何を指しているかって、わかりますか?」
「いや、わからない。見たことはあったかもしれないが、覚えはないな」
「なるほど、そこからですねー……」
話していると大人を相手にしているような感触があるのに、姿形や知識の程度はまるきり子供のそれだ。この年頃の相手ならこんなものだろうかと思うが、納得は程遠い。
「たしか、腹の中に詰まっていると言ったな? 俺の中にもあるとするなら、それは取り出せるのか?」
「できますが、えーと、食事中にする話ではないですねー。後にしません?」
「わかった。しかしなぜだ? もしかして、汚い話だったか? それとも流血が関わるような?」
「両方ですかねー……?」
目が僅かに見開かれ、おや、と思う。続く謝罪の言葉も、思いのほか申し訳なさそうに伏せられた睫毛も、ペタルの驚きを誘うのに充分だった。
◆
皿を下げたカルロが『今日はもう遅いので泊まっていけ』というのに頷いて、ペタルは仮初めの休暇を味わっていた。お産に関わらない場に呼ばれるのは珍しく、こうして出先でくつろいでいるのはどうにも据わりが悪かった。だがまあ、いくら手持ち無沙汰が堪える身でも、明日をも知れぬ産褥を思えば心の具合はよほど良い。
「こちらの片付けは終わった。さっきの話…… 取り出す手助けをしてもらえるか?」
窓の方を眺めて帝王切開のことを考えていたペタルは、声に気がついてカルロの方を向く。そうして、知らぬ間に台に並べられた消毒薬やタライ、何枚ものタオルにぎょっとした。
「なんの話ですか? 私はあなたに何をすると言いました?」
「命のもとを取り出す話をしたとき、食事を終えてからにしようと言った。流血沙汰になるかもしれないと聞いたからタオルを持ってきた」
話を後にしろといったつもりだったが、どうにも誤解があったようだ。ペタルは曖昧に頷いてから、取り出すというのが何を指すかを思い出して顔を曇らせた。カルロが早くしろとせっつくので、ペタルは渋々用意を始めた。
「これは?」
「振動器ですね、刺激を与えて体外に引っ張り出すんですよ。この方法であれば通常、出血はありません」
履き物を脱ぐようにペタルは言ったが、カルロは嫌そうな顔をした。
「腹に入っていると聞いた、この辺にあるのは排泄器官だろう」
「つまっているのは下腹なのでこのあたりで合っています。生殖器と排泄のための器官が隣り合っているというのは骨のある生き物なら普通のことですよ」
使い捨ての手袋をはめ、振動のダイアルを調整したペタルは服の下を探る。指先に伝わる振動で強弱の具合を確かめつつ、安楽にしているよう言った。
「気分はどうですか? 痛いところはー?」
「痛みはないが変な感じがする、少し痺れたような……」
「おや、それは良くないですね。神経障害が出るといけないので、今回はこのくらいでやめておきましょうか」
刺激を止め、消毒をして器具をしまう。服を直したカルロが不満そうな顔をしたので、ペタルは意見を述べるよう促す。
「それともなにかご不満がー?」
「別に、ままならないなと思っただけだ」
「日をあけて何度か試せば上手く行きますよ。それで、あなたは子供を設けてどうするおつもりで?」
虚を突かれたようにふと口が閉じる。ペタルは答えを待った。カルロは口の中で転がすように『子供』と呟く。
「……そうか、発生直後の人間はみんなあれか。ペタルにも子供だった時期があるんだな? あれをもう一度やるのは嫌だな……」
「自分にも子供だったころはありますが…… それよりもう一度ってどういうことなんです?」
腕を組んだカルロは片方の眉を下げる。大人びたその仕草は幼い容姿とひどく不似合いだった。
「発生して三年は声も出せず、糞便に塗れて暮らした。言葉を使うのに六年、思うように動き回るのには十年かかった。あれをもう一度やらねば人間の俺は作られまい。ほしい分だけこれを繰り返さなければいけないのだとすると気が遠くなる、上にいたころはすぐに済んだのに」
これが人間の持つ増殖特権のもたらす不利益なんだろう、と呟くカルロに、いいかげん動きの鈍ってきた頭を強いて、ペタルは適切な言葉を探した。
「……勘違いであれば否定してほしいのですが。カルロ。あなたの作る子供は、あなたそのものにはなりませんよ」
「なんだと? 俺の中で発生してもか?」
返る言葉は端的だ。嫌な想像ばかり当たる、とペタルは思った。
「男の腹の中に命を育むための部屋はありません。あなたのお腹にも当然それはない」
「は? 嘘だろう、嘘だと言ってくれ。せっかく人間になったのに増えられないなんて悪い冗談だろう」
いっそ可哀想なほどに狼狽えるカルロをなだめ、ペタルは湧き上がる目眩をこらえた。
「……カルロ、あなたのいう様々は自分のもつ常識と大きく食い違っています。どこで『発生』のことを学んだのですか?」
「どこって、俺自身がそうだった。ペタルは人間だったな。俺みたいなのは増殖特権のある本体から切り離されてこういう形になる。無論切り離された俺に特権はない。空の底へ降りて、仕事が終わったら本体の一部に戻る。そのはずだったが、俺は離れすぎた。変わりすぎたんだろう、本体の一部とは言えなくなり、このなじみ深い空の底へ捨てられた。俺は人間になり、今に到る」
聞いていたペタルは神に祈りたいような気持ちになった。自分とは違う場所から来た生き物が今は人間だという。そうして自分をもう一人欲しがっている。悪い夢を見ているようだった。
「……カルロがもうひとりいたとして、あなたはどうするのです?」
「どうもしない。目的が先にあるわけではなく、俺は元々『そう』なんだ。そう聞いたということは叶える目があるのか?」
「無理でしょうねー、身体が用意できてもそれがあなたにならなければ意味はないでしょうし」
カルロがしばし考えるように口を閉ざした。ペタルは少し悪い予感がした。
「あの、カルロ。なにか?」
「俺はやり方を知っている。ペタルが身体を用意して、俺がそれをカルロへ変える。今の言い方だとできるんだろう? 俺とペタルで人間の俺を作ろう」
「ええー……」
こんなことなら泊まるなんて言わずさっさと帰れば良かったな、と思いつつ、ペタルは話す者のいない部屋で窓を叩く雨音を聞いた。客人を閉じ込める降雨の檻、人間を作ろうと言ったカルロの言葉を反芻し、この後用意されるだろう寝台にまで思いを巡らせてから、やっぱり自分は誘われていたのだろうか、と思った。
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