貸与-3(紐解く薄表紙の謎について)

西日が差すのを眺めながら、煮出したハーブティーの味を見る。保管庫に積んである薬草の束は良い出来で、量、質共に申し分ない。片手鍋から茶漉しを通してカップへ移し、グラナトの分も注いでやる。途中、飴を持っていたことを思い出したので、茶請けとして添えた。

「おまえも飲むか? 土産、持ってこれなくて悪かったな」

「ありがとう。気にしてないよ、あったら嬉しいってだけ。あっ、タフィーだ! 叔父上が無事に帰ってきてくれるのが、おれにとってこれ以上ないお土産だよ」

「そりゃどうも。俺は口がうまいのを美徳とは思わないぜ。あれこれと無茶なものを欲しがるくせ、一丁前に殊勝な顔しやがって……」

腰を下ろし、カップから茶を啜る。立ち上る芳香と甘い味は心地よかったが、どうにもひと味足りない。ヴィクターは砂糖を二杯入れ、じっと胡椒の瓶を眺めたあと、ナツメグを僅かだけ散らし、カップを乱暴にかきまぜた。

「コーヒーでも飲んでいた方がマシってもんだな。それで、どう思う」

「おいしいと思うよ。もう少し冷ましてからの方が口当たりが良くなるとは思うかな……」

考えるようにしてカップを口に運ぶグラナトに対し、ヴィクターはちょっと変な顔をした。

「助言をくれるのは結構だが、俺が言ったのは本の話だ。……妙だと思わないか?」

「うん、まあ、叔父上に貸し出すような本ではないよね。どういう関係なの? 貸してくれた人とはさ」

「……『どういう関係』? 昔、仕事で組んでいて、今でも付き合いがある。家に行ってみたら掃除の真っ最中。机の上にはこれが置いてあって、俺とは話している暇がないから興味があるなら持って行けと貸し付けられた。別に俺は、見たいって言ったわけじゃないぜ」

聞いていたグラナトは少し変な顔をした。

「それって体よく追い払われてない? そもそも何しに行ったのさ」

「何って、挨拶だ。良くあることだろう。問題はそこじゃない。あいつ、これを『家族のものだ』と言ったんだ」

「えっ? どう見ても新品だけど…… 誤魔化すにしてもちょっと、無理があるっていうか…… あ、家族に頼まれて買って来たとか?」

「それはないな。指摘通り、『私的な趣味』を隠そうという言い訳にはやや厳しい。それから、あいつの家族は全員墓の中だ。寸分の狂いなく、そのはずだ」

聞いていたグラナトがあからさまにぎょっとしたので、ヴィクターは唇を噛んだ。

「……言い直させてくれ。俺が殺したわけじゃない。鬼籍に入っている。寿命だ。あれより下はいないと聞いている。家には誰もいない、本を欲しがる家族もだ。何もかもがおかしい、だが逆にそれが引っかかる」

グラナトは訝しげに首をひねりながら、言葉を探しているようだった。

「それなら家族っていうか、恋人のものなのかも? 通いのさ。家族間で受け継ぐような内容の本でもないし、それなら道理が通らない? 希少性って点だとたいした価値もないんだよね。大きめの図書館にならどこでも一冊はあるような本だ。これが初版ならまだ納得もいったけど」

ヴィクターは再び首をひねる。

「そうか。その手の相手がいるとも思えないが。……知らないだけでいるのか? よくわからないな。あーいや、一人だけ思い当たる人間がいる……」

「へえ、いるんだ、誰?」

グラナトが茶請けの飴に手を伸ばす。ヴィクターはカラコロと音を立てる飴の甘さを思い出す。次にリロイを。それから、味が良いのだと言った弟子の男を。ヴィクターは指を立て、にわかにグラナトの額に当てた。グラナトに気付いた様子はない。このままあと少し押せば秘術が発動し、グラナトは問いかけを忘れるだろう。意識は瞬時に撹乱され、記憶の定着は阻害される。だが、力を込める前に思い直してやめる。手を引けば、さっきまで指のあった位置をグラナトは押さえた。

「え、な、何? 今、何かした? この飴、取ろうと狙ってた? 俺が食べない方が良かったかな?」

「……なんでもない。ああ、問いかけには答えをやる。思い当たる人間というのは、俺の生徒だ。そんなことはあり得ないし、考えたくもない」



自分の弟子が相棒から手籠めにされているなど、冗談だとしても考えたくなかった。ヴィクターは荒っぽくため息をつき、植物図鑑のページを開く。効用の欄を眺めながら、よくわからんな、と呟いた。

「……全くどうして嫌になる。もし、疑念が真実だった場合、俺はどうしたら良いんだ?」

「何を気にしているのか知らないけど、そんなに気になるなら本人に直接聞いてみたらいいんじゃない?」

「それは、俺が、嫌だ」

問い質したとして、はいそうですと頷かれたら、それこそ俺はどうしたらいい、とヴィクターは続けた。

「難儀だね…… そういえば、叔父上。後書きってもう読んだ?」

「後書きがなんだ? 何かあるのか?」

「献辞の続きみたいな文が載っているんだけど、著者が個人に宛てて書いた渾身のラブレターだといって読者の間では評判でね。ちょっと借りるよ。普通はパトロンに向けて感謝を書いたりするものなんだけど、これはちょっと様相が違っていて……えーっと、要約するね……」

ヴィクターは本を渡し、グラナトの目が文字を追うのを向かいから見ていた。薄く開いた口がなにかを言おうとするが、言葉に詰まるようで開閉を繰り返す。

「……うん? 思ってたより長くてまとめるのが難しいな。うーんと、本が出るにあたって助力を受けたことへの感謝、薬剤調合における簡便化の監修に対するお礼、相手を讃える言葉、それから、軍隊に所属していたっていうその人が先の戦争で平和のために尽くしたことへの讃美が綴られているね。先の戦争ってだけ書いてあるけど、これいつの話だろ。どこかに書いてあるかな……」

「……八十年前の本なら、輝天五十年後半にアレス周辺であった大規模な討伐のことだ」

「詳しいね、担当は歴史の授業?」

まあな、とヴィクターは適当に返す。大嘘だった。指輪の禁術によって死の定めを免れたヴィクターは過去、実体験としてこの戦争を見てきている。無論、それをグラナトに言うようなことはしない。言う意味もない。

「他には何か書いてあるか?」

「うーん、どうだろ。……うわ。うわっ!」

読み進めていたグラナトが出し抜けに素っ頓狂な声を上げるので、ヴィクターは反射的に耳を庇った。

「急にでかい声を出すな、耳が壊れる」

見てこれ、といって、グラナトは本を押し出した。ヴィクターは反対からそれを覗き込む。

「ここ! 見てこれ、『金の羊にある中でいっとう輝く我が指針』、『長い髪は褪せることのない我が光』だって! ……叔父上、これ、ノーカット版だよ。この辺からだんだんおかしくなってくるんだ」

すごいもの見ちゃったな、といってグラナトは頬を指で掻いた。

「まるで編集版があるみたいな言い方だな」

「あるんだよ。半分の厚みで値段も半分くらいのやつと、一部抜粋と、現代語訳のやつを知ってる。でもこれは全文っぽいね……うひゃー、すごい」

「俺にも見せてくれ」

一言断ってから手に取って、しばし紙面とにらみあう。勢いのある筆致ではあるが、比喩が多くて意味が取れない。ヴィクターはグラナトに本を返して首を振った。

「……アレスで暮らして長いが、装飾の多い文はどうにも不得手だ。おまえはこういうの得意か?」

「まあ、それなりには、かな? わからないところがあれば教えるよ。おれが理解できるところに限ってなら」

「なら、ここから……ここまで。そもそもこの『金の羊』ってなんだ? 前にもどこかで聞いた気がするが、忘れてしまった」

「うーん、前半部分はあんまり意味のない文だと思う。後半の、人はいかにして他者へ影響をあたえるか、って話の前振りだから。金の羊のたとえは説明が難しいな。文単位だと、金髪の一族にある中でももっとも尊く素晴らしいものである、みたいなことかな?」

ヴィクターは理解できないまま曖昧に頷く。それを見たグラナトは、慰めるように、これっていうのは民族的な話だから、といった。

「……熱烈なのはわかったが、愛の告白って感じでもないな。どんなやつが書いたんだ?」

「ルーク・エリーズって人。現在の中央区あたりで薬屋の家系に生まれたけど、そっちよりも民俗的な文化習慣に興味があったみたい。国をあちこち回って事例の収集をしていたって書いてあったかな。ノーカット版だと生い立ちにページが割かれていて、実在の剣と人間の局部を比較した評論が間に挟まっているんだ。ほら、載ってる」

「信じられないようなことをするやつだな。人間の方には興味がないから剣の挿絵だけ見せてくれ」

「叔父上ならそう言うよね……」

どういう意味だよ、と言いながらヴィクターとグラナトは目録のように図の並んだページを眺めていた。

「……待て、この剣、見覚えがある。多分うちの蔵にあるぜ。こっちのもだ、これは……これはレプリカを持っている。本物とは柄の模様がちょっと違うな」

グラナトはそれを聞いて、驚いたような声を上げた。

「よく見ただけで判別がつくね……? おれはちょっと無理かな……」

「慣れだ、慣れ。触っていれば嫌でもわかるようになる。というか、せっかくだから見せてやる」

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